「…ここまで私を怒らせたのは、あなただけです。でも、構いませんよ、私にした事は」
けれど、なぜ私で止めておかなかった。
なぜ乱菊にまで手を出した。
そうしなければまだ私は、あの人からあなたを救えたのに。
そんな時。
「……っ松本!水無月!」
不意に聞こえた日番谷の声に葵が振り向いた。
一定になった霊圧のおかげで唯一動けるようになった隊長格達が、潰されないよう必死に向かってきていた。
それらは自然と地面に倒れた乱菊を見つける。
「……松本!?おい松本!しっかりしろ!」
すぐさま日番谷が乱菊に駆け寄るが、その動きは霊圧で制され非常に鈍いものだった。
それでもどうにか乱菊の顔を起こし、何度も呼びかけ続ける。
その光景に葵が目を細めた時、雑踏の中から声がした。
「なんて傷だ…」
「水無月!まさかお前がまた……」
それを聞いた瞬間、ようやく抑えることが出来ていた霊圧が終わりを告げた。
「……いい加減にしなさい!」
メキメキィッと近くの大木が縦一列に根元まで裂けた。
「ぐぁ…っ!」
葵が霊圧を上げていた。
己から発される霊圧で光を放ちながら髪がなびく。
明らかに、キレた。
「いつもいつもいつもいつも偏見ばかりで少しは公平な目を持つ方はいないんですか!」
「ぐっ…!」
強大な霊圧に声を出すことしか出来なかった。
あまりに体に負荷がかかると、体の内側から蝕まれていき、やがては意識どころか、精神も失いかねない。
「たっ…助け…っ」
恐怖にそう呟いた良々が、ようやく隊長達の視界に入る。
血のついた刀を持っているソレが。
「…あなたは、三番隊の風音さん…」
他の隊長格よりも霊圧の扱いに長けており、まだ幾らか持ちこたえている卯ノ花が呟いた。
女子に詳しい京楽もそれに続く。
「あれ、風音ちゃん…だよね?」
「…その刀は、誰の刀なんですか?」
血濡れた刀を持っている彼女に弁明の余地はなかった。
一方の葵は今日は帯刀していないからだ。
「な…によっ!見ないでよ!人の気も知らないで!」
ジリジリと、少しずつ上がっていく霊圧はそれを聞いた葵の怒りがたまってきた証拠。
ギッと音が聞こえるほどに目を尖らせた。
「あなたが私を狙うのは好きにどうでもいい、けどなぜ私の人を巻き込むんですか!片想いだか何だか知りませんがどれだけ周りを巻き込んでるのか自覚しなさい!」
葵が怒りに狂い背後に何だか炎のような物が見え始め、霊圧が最高点に達した。
隊長格までもが気絶しそうになったとき。
―パアンッ
何かが弾けるような音がして、鏡が割れたようにフッと霊圧が空気中から消えた。
急激な濃度の変化に隊長達が膝をついて意識を取り戻した直後、ふらりと、立っていた葵の体が力を無くした。
「ぁ……」
その場に倒れそうになったとき、不意に二つの影が人混みから飛び出した。
影の一つは揺らいだ葵の体を受けとめて。
もう一つは血だらけの乱菊を起こした。
「…危ないところでした」
葵を受けとめたのは殺那。
葵の霊圧制御装置が壊れた瞬間に流れ出た霊圧ですぐに状況が分かったものの、本人にも抑えきれなかった量のそれに手間取った。
「…いや、ほんまやね」
乱菊を起こしたのはギン。
他の隊長格達と一緒に駆け付けたときに、一人だけいた殺那を見つけた。
「四番隊長さん、来てくれます?葵と乱菊ちょお危ないんや」
「え…あ、はい…」
「市丸、貴様……!」
息も絶え絶えながら、未だギンに食いつく東仙へ、やや不機嫌気味に振り向いた。
「何やの?まだ葵が乱菊やったとでも思っとるん?」
「………っ」
そう言われれば顔をしかめるしかない。
状況証拠もさることながら、あれほどの剣幕と霊圧で諭されてはそんな気などほとんど失せていた。
ギンと自隊の副隊長の単独行動を止めたいが、もう体が使い物にならない。
「まあ何があったかはそこの良々ちゃんに聞いたらええやろ。何もかも」
「ッ水無月は花椿も…」
「しつこいなあ」
別に疑うんは自由やけどね、と薄く笑った。
「まだ手ぇ出すつもりなら覚悟した方がええよ。僕なあ、やられた以上にやり返すの大好きやから」
ようやく声の大きい者達が静まったので、卯ノ花に再度呼び掛けて四番隊の方へ歩いていった。
殺那が「詳しくは山本総隊長にお尋ねください」と助言したおかげで、それ以上引き留められることはなかった。
ずいぶん長い間眠っていたように思う。
それでも、恐らくはとても短い時間なのだろう。
遠い昔、三人で一緒にいた頃は、どんなに長い時間も一瞬に感じた。
その後、一人ぼっちになった頃は、どれだけ短い時間も永遠のように感じたけれど。
「…葵?」
呼ばれてゆっくりと瞼を開けた葵の瞳に、乱菊が映った。
目だけ動かして辺りを見ると、四番隊の治療室のようだった。
「…乱菊、さん…?」
「ああ良かった、気がついたのね……」
心底ホッとしたように寝ている葵の体に顔を落とした。
隊服の中に、幾重にも巻かれた包帯が見えた。
「ほんと…良かった…っ」
ああ、立場が逆だ。
そう思った。
相手が無事なのを心配しているのは本当は自分のはずなのに、また心配されてしまった。
よく見れば、乱菊は腕や首にも包帯を巻いていた。
「乱菊さん、無事ですか?」
「無事に決まってんでしょ、あんな女に殺されるわけないわよ。そりゃ、油断はしたけど……」
言葉を濁して、それより先は言わなかった。
偽物だと分かっていても、葵の姿をした良々に斬魄刀を抜く事が出来なかっただなんて言えば、どれだけこの存在が心配するか。
葵じゃないと、知っていたはずなのに。
「葵、気ぃついたん?」
入り口のところからギンが顔を出した。
こちらも心配そうな表情を浮かべている。
「……私は、やってしまったみたいですね…」
枕元に置かれた、砕けてしまった鍵の残骸を見つめて、溜め息を一つついた。
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