静かに自分を見ている葵の口からお咎めが出るだろうことくらい、七猫にも分かった。



「全治二週間、だそうですよ」

「……俺は悪いことしたって思ってないからね、謝らないよ」



ぷい、と顔を背けた。
相変わらず子どもっぽい七猫の変わらなさぶりに、思わず葵がクスリと笑うと、猫は多少ドギマギしながらも顔をこちらに戻す。
葵の笑顔が見たいから。



「誰かに見付かるとは思わなかったんですか?」



首を横に振った。



「バレたら怒られんのかなとかは思ったけど…葵がこんな場所まで怒りに来るとは思わなかった」

「私がいつ怒りに来たと言いました?」

「……は?」

「私はお礼を言いに来たんですよ。今までのはただの質問と報告です」



さらっと葵がそう言うと。



「……俺コケて良いかな」

「やめた方が良いですよ、屋根ですし」



屋根から落ちたときの危険さを示唆した。
心底安心したように七猫が長い息を吐く。



「……んだよー……俺めっちゃ、めっちゃ覚悟してたのに……」

「私はそんなに怖いですか」



七猫は怒った葵が嫌い。
自分が何か葵にとって嫌なことをしたと言う意味だから。
まあ、滅多に葵が怒る場面などなかったのだけど。



「お礼言いに来たって……あいつらをズタズタにしたお礼?」

「少しひどい言い方ですが……そうですね。これで乱菊さんと市丸隊長の鬱憤も少し晴れたと思います」

「抜け目ねーのな」

「おかげさまで。お礼を言いにと言っても、言葉だけでは何だか失礼ですね」

「何かくれんの?」

「七猫が欲しい物だと難しそうです」

「うん、めっちゃムズい」



それは何かと葵が聞いても猫は答えなかった。
ただ口の端を吊り上げて笑った。
葵が乱菊やギン以外にあまり笑顔を見せないように、七猫はこのまるで猫のような笑い方をごく身近な人間にしか見せない。

葵とは正反対な無邪気な笑みを。



「きっと七猫は瀞霊廷に残っていないだろうとは思っていました」

「……葵がいるって知らなかったし」

「私が?」

「葵がいるならまた死神になる、俺を下に置いてくれるなら」



それを聞くと。
葵は遠く遠いどこかを見つめた。
また葵の目から、一つ色が消えた。



「それも、良いですね。でも……私はもう、あなたを捨ててしまいました」



零番隊が解散になった日、隊内の全ての関係は払拭される。
各隊員の居場所は教えられず、また接触しないよう監視を受けることになる。
解散になってしまえば、それは仕方のないこと。

その時に葵は、七猫達が責任を感じないように表面上『捨てた』。
自分のことに未練を感じるくらいなら切り捨てられたと感じる方が楽だろうと、自分に責任を置いた。

ほんの少しでも気が楽になるのなら。

自分を恨めば良いと。



それでも。

それなら。

この気持ちはどうすればいいんだろう。

ジレンマに似た、自分を恨めと言った主人の意思に従えないもどかしさは。
葵を恨みたいはずはないのに。
欲しいのは、そんな優しすぎる配慮じゃなくて。



「でも、元気そうで安心しました。今日は本当に、七猫にお礼をしに来ただけです」

「……いらない」



思わず言葉が不意をついて出た。
礼なんていらない。
本当は何もいらない。



「お前から感謝なんていらない」



まるで子どものようだと自分でも思う。
だけどもう、口先も思考も止まらないから。



「七猫……」

「礼なんて言われることしてない。葵が言うなら何でも聞く、どこでも行く、望むんだったら何だって壊してくる」



だって葵は俺の世界だった。
零番隊が、あの自分だけの席が、頭を撫でるこの優しい手が俺の全てだった。
葵はいつも俺に向かって命令してればそれで良いのに、礼なんてしなくて良いはずなのに。



「……欲しい物、用意出来ないのに、あげるなんて言うな」

「……何だったら欲しいんですか?」

「…言ったら葵は困る」

「でも私は、聞かなければ分からないんです」



じゃあさ、と呟いて。




「……もう一度俺を拾ってよ」





膝をだき抱え、小さく小さくそう言った。
何度願ったか分からない、こんな堂々めぐりな考え。

解散されたあの日。
捨てられたあの日。
与えられたのは自由のはずなのに。
頭の隅にあるのはいつだって変わらずに、たった一つの居場所だけだった。

もう何もいらない、何も欲しがったりしない。
長生きしなくてもいい、ずっと飢えててもいいから。
もう一度俺を、あの場所に返して下さい。


やっと貴方に会えたのに。

昔、この場所で初めて会った時のように、俺を拾ってはくれないのですか。

ご主人、ご主人。







哀しそうな猫の鳴き声。
いつ崩れるかも分からないこんなちっぽけな場所に、いつ来るかも分からない主人を待っていた一人きりの猫の言葉に。
葵は目を細めたまま、頷くことが出来なかった。






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それでも涙を見せないのはあんたに似たんだ



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