情報が欲しかった、それも確かな物が。
この状況では笑ってしまうほど難しい事だと知っていても、嫌な考えが頭を占めてしまって、別の事を考えるのも難しい。



「……………」



水道の水を止めた。
洗った顔を手拭いでふくと、少しだけ憑き物が落ちたような感じになった。
美しい無表情の中で、瞳だけが色を持っていない。



「涼しげだね」



ふと、後ろからそう声をかけられた。
手拭いをよけて振り返ると、そこにいたのは。



「……藍染、隊長」



いつもの五番隊の羽織を着た藍染の姿。
前に美花を連れていた時とは打って変わって、優しい面立ちだった。
以前との変わりようにしばし言葉を出せず、葵が立ち尽くしていると。



「ああ、心配しないで。何もしないよ」



穏やかにそう告げて歩み寄って来た。
咎めるような口調も、蔑みに満ちた瞳も持ち合わせていない。



「…前に会ったのもここだったね。あの時は、すまなかった」



苦笑混じりの謝罪。
その姿に葵は心の中で眉を潜める。
藍染が何を考えているのか分からなかったからだ。
何か、とてつもなく大きなことを隠している瞳を、眼鏡で誰にも知れ渡らないように防いでいるみたいで。

一度それを外せば。
ひどく恐ろしいものが、出てきそうで。



「今来たのは、君に誤解を解いてほしかったからなんだ。僕は……花椿君の味方じゃない」

「……え?」

「紛らわしいことをして悪かったね。最初から花椿君は疑わしかったが、何分状況は君が不利だったんだ。しばらく仲間の振りをして彼女の真意を観察させてもらった。花椿君は嘘を言っている…そうだね?」

「…………」



今まで、ずっと引っ掛かっていたこと。
藍染は前にこの場所で葵が吉良に殴られたとき、暴力と言う不毛な手段を使った吉良をいさめた。
自分の敵である自分を殴ったのに、吉良の方を追求した。

ここまで落ち着いて状況を見られる藍染が、簡単に美花に流れるのは腑に落ちなかった。
藍染は葵の前に立つと、そっと頬を撫でた。



「…吉良君に手を出させて、本当にすまなかった。昨日葵君が九番隊の隊員に酷いことをされたのも知っているよ。今四番隊からそれについての報告書ももらって来たんだ……ずいぶん、辛かったね」



それは葵がずっと求めていた言葉。
うつむいて、口を閉じる
藍染のことなら信じきれていない。
相変わらず眼鏡の奥にある瞳は得体が知れず、不気味だ。

それでも藍染は、かつてギンの上司だった。
あのギンが下に着く相手を自分から決め、そしてそれは間違いでは無かったと言わしめたのだ。
自分の意見や評価を疑ったことはないが、それ以上に、乱菊とギンが大切にしているものは葵にとって大きな意味を持っている。

二人が大切にしている物は葵にも大切だ。
二人が慕っている上司がいれば葵も慕う。


「どうか許して欲しい、一生君の敵になったりはしない。ずっと君を守るから」

「……はい」



葵は小さくそう頷くと、目の前の藍染に寄りかかった。
藍染はそれを見て微笑むと、その小さな体躯に腕を回して抱きしめた。
暖かかった。



(ああ…私は、藍染隊長のことが…)








――――――…


「それじゃあ、本当に気をつけてね」

「はい。ありがとうございました、藍染隊長」



頭を下げたまま、周囲の空気から藍染がいなくなったのを確認して。



(……行ったかな)



もうすっかり人影はない。
葵は息を一つ吐いて、袖から一枚の書類を取り出した。
【四番隊負傷者報告書】と書かれている。
これに昨日ズタズタだった男隊員達の様子も書かれているはずだ。



(今四番隊からそれについての報告書をもらって来たんだ)



そう、それは。
葵がずっと欲しかった言葉。
辛かったね、と囁かれても、葵は辛さを感じていない。
ギンと乱菊に迷惑がかかると思うと苦しいが、痛みや苦しみは押し流してしまえる。



(……少し、悪いことだったかな……)



四番隊の報告書を見たいと言っても、藍染が簡単に渡してくれそうも無いことは予想がついた。
少なくとも、自分に優しくする事で彼に利益が生まれるのだという事も何となく察した。

なので、ちょっと寄りかかって。
ちょっと腕が回ってきた時に。
ちょっといただいた。



(いい?色仕掛けの基本は『ちょっと』よ。あからさまなのは駄目。あくまで自分からそうしたように思わせないと意味ないの)

(お前は葵に何教えとんねん)

(私のように楽に生きていく秘訣よ)



以前乱菊に教わった事を活かす機会が来るとは思わなかった。
悪いことだけれども、男隊員達をああまでズタボロに切り刻んだ者の正体が知りたかったから。



(どうか許して欲しい、一生君の敵になったりはしない。ずっと君を守るから)



なぜ、藍染がそんな事を言うのか分からなかった。
自分を守るのは自分であり、自分を罰するのもまた自分であるはずだ。
それ以外の者に許すも咎めもない。
瞳の奥に潜む企みが何かは分からなかったけれど、それでももう十分だった。



(…ああ、私は藍染隊長のことが……嫌いだ)






気持ちを切り換えてくすねた書類に目を通した。
指でなぞりながら昨日の男隊員達の欄を探すと、最後の方に目的の項目を見つける。





【四番隊負傷者報告書
怪我人…九番隊男隊員四名

怪我…全身の切り傷及び大量の出血

発生時刻… 月 日 (昨晩)

発生場所…九番倉庫裏

全治…一週間

発生状況…昨晩倉庫裏で突然一人の男に襲われたもの。
隊員の一人が攻撃を受けながらも相手の顔の一部を見ており、その隊員は襲ってきた相手をこの者だと供述した。

その者の名は―――】



その先をなぞっていた指が止まった。



「……え?」



その先に書かれた、男隊員が襲われたと言っている者の名前。
見間違いではない。
思考がグルグル回っている。






【―――三番隊隊長  市丸ギン】










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