美花はハッと正気に戻ると、すぐに表情をセッティングした。
この室内に葵がいることに男達も気づく。
「あ、お前水無月!何でこんなところにいんだよ!」
「美花ちゃんの行くところに現れやがって!」
「み、皆ぁ…」
グスッと美花が怯えたように振り返る。
その行動にすっかり男心をくすぐられた隊員達。
「美花ちゃん下がって、アイツに近づいちゃ駄目だ」
「そうだ、ここは俺達が守るから」
「あ…ありがとぉ…」
「気にすんなって……」
周りにぽわぽわした桃色の空気(ある意味紫)が流れ始めたが、剣八と隊員側は群青色と言って差し支えない空気になっていた。
「……仲が良いですね」
「本当だねー」
「……お茶こぼれてんぞ弓親」
「ゴメン呆気になりすぎて」
「おい、他所でやれ」
小さな偽愛の劇場にダバダバこぼれていたお茶をようやく止めた頃。
「更木隊長!」
何人かいる男性隊員の一人がズイッと書類を差し出した。
「……十番隊からの報告書です」
「ああ」
他の隊の隊員にとって、剣八へ何かアクションを起こすのはかなりの度胸がいること。
それを自分の取り巻きにやらせて、にっこりと微笑みながらやちるに近づく美花。
(更木隊長は怖いけど…あの場にいなかったのよね。どうにかして私の方に引き入れないと)
隊長を落とすために副隊長から狙うのは、今までもよく使ってきた作戦だ。
剣八に近づくにはまず分身のやちるから、と考えた。
「久しぶりぃ、やちるちゃん」
「ひさしぶりー美花ちゃん」
何気なく両手で口と鼻を塞いでいるやちるを見て、中々大人だと感じた葵。
よほど香水の匂いが合わないらしい。
「美花と遊ばないぃ?」
「遊ばない」
ぎゅーっと葵に抱きついて離れない。
それを見た美花のこめかみがピクッと動いたが、苛立ちを悟られないよう抑え込んだ。
(何よこのガキ…せっかく相手してやってんのに)
あまり知られてはいないけれど、やちるは子供扱いされることを嫌う。
子どもでもしっかりと副隊長の座にいるのだから、剣八は良いとしてそれより下の隊員にナメられるのは闘争本能と本人の常識が許さなかった。
だから一角や弓親もやちるをガキ扱いはしないし、同じ副隊長格の女子隊員も同じこと。
だから、呼び捨てでも良いと言ったのに敬称を忘れずに、格下扱いしない葵の事はそれなりに気に入った。
(葵ちゃんが斬っても斬ってなくても、美花ちゃんはバイバイ!)
そう思って花の匂いから逃れるために、近くの葵の体に顔を埋めた。
「葵ちゃんいい匂いするね!石鹸?」
「はい、友人がおすそ分けしてくれた物なんですが」
「石鹸やちるも好きだよ、剣ちゃんもあれで頭洗ってる!」
「え、石鹸でですか」
一方的な女の戦いが起きて、すぐに終わった頃、美花の取り巻きは一角達が相手だった。
「斑目三席も…こんな女の近くにいてはいつか寝首かかれますよ」
「あ?」
「水無月は美花ちゃんどころか良々ちゃんにまで手ぇ出してるんですから、そんな女かばうことないっスよ!」
「綾瀬川さんは醜い物が好きじゃなかったはずでしょう?」
「僕は今日初めて女神という存在を知ったよ」
「はあ!?」
「ったくあんな奴除隊されれば良いものを…」
「あー心配すんな。九番隊を除隊されたらここで引き取るからよ」
「何血迷ったこと言ってんスか!」
「血迷ってなんかいないよ。僕らの隊長が『水無月は白だ』と言ったら白なのさ」
「ここの皆さんは水無月に騙されて――」
「五月蝿ぇ」
そう言い終わらないうちに一番前にいた隊員の顔面を鷲掴み、正面にある扉へ勢いよく投げつけた。
木製の扉から恐ろしい音が響き、破壊され、その向こうの廊下の壁まで吹き飛んでいった。
あまりに一瞬で、吹き飛ばされた者以外は状況がすぐには理解出来なかった。
「やちるが気に入ってんだ、グダグダ言うんじゃねえ」
「ひっ…」
剣八に目の前に立たれて凄まれては、身を竦めて顔面蒼白になる以外出来ることが無い。
「てめぇらはもう帰れ。それとも今度は霊圧で送ってやるか?」
「いっいいえ…っ失礼しました!」
脱兎の勢い、を絵に描いたような速さで隊室を後にしていった。
「剣ちゃんカッコイイー!」
「……邪魔だっただけだ。てめぇもそろそろ戻れ、東仙は時間にうるせえ」
「はい、ありがとうございます」
葵が立ち上がる際に弓親が手を取りそうだったところをやちるがアッパーで回避させた。
「やちるさん、一つ聞いて良いですか?」
「なあに?」
「アレはどなたが教えてくれたんです?」
と言って、美花と会った時の鼻と口を両手で塞ぐのを真似してみせた。
「えへへへ内緒ー!香水の人と化粧の人に会ったらこうしろって教えてくれたんだよ」
「そうだったんですか」
今度美花と会った時にやってみようかと思った。
「それでは、失礼します。」
「葵ちゃん絶対また来てねっ。ギンちゃんと乱ちゃんにもよろしくね♪」
「……え?」
教えていないはずの名前が出てきた。
それにやちるはニーッと笑って。
「葵ちゃんは、ギンちゃんや乱ちゃんと同じ匂いがするの」
「匂い…ですか」
「うんっ」
「やちるが大好きな人の匂い」
てくてくとまた廊下を歩いて、隊に戻っている葵が、ふと思った。
(大好きな人かあ…)
大好きな人相手に感じる匂いを、やちるはギンと乱菊から嗅ぎ取っていて。
もちろんその中には剣八や他の隊員もいるのだろうけど。
自分と同じ人を好いてくれていることが、とても嬉しかった。
どんな錯覚でも勘違いでも。
再び自分の周りに、以前のような人達が戻ってきたようで。
それでもやはり、それは。
錯覚でしかないのだけれど。
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地獄はその背後に忍びより
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