コンコン



「はい」

「九番隊の水無月です。怪我をしたので来ました」

「…どうぞ」



扉を開けると、勇音がはっと息を呑んだのが分かった。
他にいる隊員達の視線も葵に集まっている。
ずいぶんやりにくいだろうに、それでも勇音がすぐに治療を始めてくれた。
特に会話をする事も話しかける事もなく終わったが、今はそれがありがたい。
痛々しい色の痣になっていた腹部が元に戻る。



「ありがとうございました」



治癒後、一礼して部屋を出た。
その時。



「         」



後ろから、誰の声かは分からなかったけれど。
確かに聞いてしまった。



「…………」



少しの間、治療室の前に立ち尽くした。
ただ動くのが億劫になってしまっただけなのかも知れない。
けれどそんなことどうでも良かった。



「……水無月さんですか?」

「…………卯ノ花」



ふと横を見ると、卯ノ花が立っていた。
手に荷物を抱えている。



「怪我でもなさったんですか?」



傷が治って少しだけ回るようになった頭が、一つの考えを浮かび上がらせた。



(……卯ノ花には、言っておこうか)



治してもらった腹の怪我について。
今置かれている身の状況について。
この人には言っておくべきかもしれない。



「…卯ノ花、実は…」

「卯ノ花隊長と呼びなさい」



(…………え?)



今更ながらに葵は、卯ノ花が敬語を使っていたことに気づいた。
私事ではいつも、葵にだけは使わなかったこの人が。



「あなたは一般の九番隊隊員でしょう、立場をわきまえなさい」



卯ノ花の、その冷ややかな表情を見たとき。
何かが。
どこかで。
壊れたように感じた。



「私はあなたに失望しているんです水無月さん。斬られた花椿さんの手当てをしたのは私です。そんな人だとは思いませんでした」

「あ……」



ああ、あなたはもう。
葵と呼んではくれないのですね。



「もう一度四番隊隊長の義務として聞きます。怪我でもなさったんですか?」

「………」



葵は、静かに首を横に振った。



「…転んだだけ、です」

「そうですか」



ひどくあっさりと言い捨てて、治療室に入ろうと背を向ける。
それを葵が引き止めた。



「……卯ノ花」

「っですから、卯ノ花隊長…と………」



振り返った卯ノ花が、固まった。
いつも表情の無い葵の顔が、悲しそうに見えた。

思わず言葉を失った。
長い間近くで過ごして初めて見た彼女の悲しみの表情と呼べるものに。
それのあまりの、儚さに。



「……卯ノ花は、いつも笑っていた……」



その声が。
胸を締めつけられるほどにか細かった。



「……そんな顔…しなかった」



自分にだけ使うたどたどしく、ぶっきらぼうな口調。
慣れないせいで途切れ途切れになってしまう無器用な彼女。


いつも微笑んでいると良いと自分が言い聞かせたのは。
この子だ。



「……卯ノ花は……」



俯いて、目を閉じて、何かに願うように顔を上げる。



「……私がやっていないと言ったら、信じてくれる?」



してはいけないことをしてしまったような気がした。
目の前にあることばかりに耳を傾けて、葵そのものに聞くことを忘れていた。
今自分の前に立っている葵の顔は、無表情なんかではなく。
ただ純粋に、親へ何かを訴える、すがるような悲しい子どもの瞳。
大人びた彼女の本来の姿、あどけなさの残る大きな瞳。

それを見て、言葉を無くしてしまった。
不安だったのだ、この子はあまりに人に助けを求めないから。
全部自分で抱え込んではいないかと、自分に弱みを見せられないんじゃないのかと。
そして遂にそれが暴力という形で出てしまったのではないかと、行き着いてしまった。

悩みを打ち明けてくれない葵が心苦しく、そうさせてしまったのであれば自分の責任だと悔しく、周りの誹謗中傷にいたたまれず。



このひねた心は今、この子に、何と言った?



「…分かり、ました」



はっと意識を目の前の葵に戻した頃には、彼女は顔を無表情に戻してしまっていた。



「あ……」



か細い声も子どもの瞳も全て消え。
何にも動じない表情に戻る。



「申し訳ありません卯ノ花隊長。平隊員の無礼をお許しください」

「水無月、さ…」

「失礼します」



それだけ言ってその場から立ち去った。
賭けだったのかもしれない。

卯ノ花を、信じていたかった。



(こんな気分は……久しぶり)



美花の企みも良々の嫉妬も。
果ては自分の体に作られた痣も。
そんなこと、本当にどうでも、良かった。

ただ。



ギンと乱菊に会いたかった。







(…うのはな?)

(ええ、卯ノ花って言うのよ。
はじめまして葵)





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初めて会ったとき あなたは二人と良く似ていた



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