「仕事以外でこんなに動いたことはなかったですからね」
「そういやそうよね。ここほのぼのしてるけど、絶対誰か仕事してたもの」
「こんだけの面子で隊室の床に座ったまま昼飯なんて普通ありえへんよなあ」
確かに、と数人が声をあげて笑う。
引っ越し前のような箱の山、寄せて積み上げられた机や棚。
軽く掃除をし終えた床。
けれどこれはどこかへ移るための作業ではない。
終わるための、消えるための作業。
それを分かっていても尚、今こうして笑いあえていることが、たまらなく幸福に感じた。
午後。
大がかりな動きが増え、机の運び出しなどの室内を徹底的に空にする作業が主になった。
今まで使っていた物を少し名残惜しそうに運んで行く。
「うー…葵様、この猫ちゃんの爪痕が残った机もらっちゃ駄目ですか?」
「もらっても置く所がないでしょうに…」
「でもでもー」
「お前が居眠りした時の涎が染み込んだ机なら持って行っても咎められないだろう」
「何を言いますか殺ちゃん!そんな染みるほどこぼしてないよ!」
「居眠りの方を否定しろ!」
しかし空と同じ意見を持った隊員は多いらしく、何かと後ろ髪が引かれる様子だ。
それでも何とか誰も机を持って帰るような事態にはならず、広い室内で残されたのは部屋の中央に飾ってある『零』という文字の書かれた額縁のみになった。
全員が見守る中、葵が静かにそれへ歩を進め、そっと外した。
誰ともなく小さく息を吐く音が聞こえる。
「葵、それはもらったら?」
「…これですか?」
一つの歪みもない筆先で堂々と書かれた『零』の文字。
文字の持つ意味とはまるで違う存在感に、少し笑えた。
「こういう物は無い方が良いんです」
しんみりと葵が呟く。
「心がここに残ってしまいますから、取っておかない方が良いんです」
「でも零番隊が存在した証でしょう」
「証ならここに十人も存在します。それだけで、十分です」
葵が額縁を大切に持ち直し、小さく詠唱を唱えた。
それが終わるか終わらないかの瀬戸際、少しずつ額の端が掠れていく。
霧か、泡か、白く綺麗な形になり、上へ昇っていった。
消えていく零番隊の証そのものも、自分たちの証であった葵も、美しかった。
やがて全ての形が屋根を越えた上空へ消えた頃、意識を持っていかれていた隊員達へ向き直る。
では、と言葉の鋭さを強くして。
「解散式を、始めましょう」
復活は人前で行われたが、解散式は各々でやっても良いと許可をもらっていた。
式とはいえ身内同士なのですることも少ない。
綺麗に整列した隊員の前で葵が用意された解散の義を伝え、副隊長、第三席が辞令を述べる。
殺那の辞令は堂々とした立派なもので、空の辞令はもう半分くらいは涙で消えていて隊員達が声援を送っていた。
「自分たちがどの隊へ行きたいか、又はここを出たいかというのは、この後意志が決まりしだい総隊長の元へ伝えに行ってください。何か質問はありますか」
少しの沈黙のあと、列の真ん中にいた隊員が手を上げた。
「…私たちは長い間この隊にいることが出来て、本当に楽しかったです。水無月隊長は、零番隊にいらしてどうでしたか」
小さく誰かが息を飲んだ。
その問いに少しの間隊員達を見つめる。
昔に出会ったギンと乱菊を見て、秋に出会った殺那を見て、冬に出会った空を見て、春に出会った七猫を見て、隊員達を見て、零番隊を見て、過去の解散も別れの涙も、笑いあった季節も蔑まれた季節も、たくさんの人を泣かせてしまった自分も、今ここに立っている自分も、愛した時間と空気の全てを、見て。
優しく、微笑む。
「私もとても、とても。幸せでしたよ」
自分の幸せを願わないできた彼女の、本当に安らかなその笑顔に、目から溢れるものを何人もが必死にこらえた。
そして全てを終えた真っ白な姿で尊い君主は、全てのことに終わりを告げる。
「これを持って零番隊を、解散します」
隊員達が一斉に深く礼をし、少しの間誰一人として顔を上げなかった。
たくさんの物が乗りかかり顔を上げることを抑えていたから。
涙が頬を伝うから。
それでも何か使命があるのか空が一旦部屋の外へ出て、四角い箱を抱えて葵の前に戻ってきた。
「あ、あの葵様、っこれみん、皆で…うっひっく…」
「空……一度泣き止まないと分かりませんよ」
「三席頑張ってー!」
「泣かないでー!」
もう限界に来ている空へ後ろからやはり声援が飛んだ。
「そっそうですよねすいませ、これ、皆できっ…きっ…うわああああん葵様あああ!」
堰を切ったように大声で泣き出した空を慌てて他の隊員達がなだめに駆け寄り、「皆で決めたんです」と言葉を引き継いだ。
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