七猫は引き際を心得ていた。
手のかからない存在である事が最後の飼い主孝行だとでも言うように。
猫が屋根の上からいなくなった後、しばらくは静かな雨の中に一人で立っていたけれど。
(手紙が…濡れてしまう)
着物の上からいつも懐に入れていた手紙を手で覆いかばう。
零番隊の扉は封鎖されてしまったので、執務室の裏の扉を首にかけている鍵で開けて入った。
「蒼鼎もしばらくお休みですね……」
ちゃりん、と揺れる鍵の音を聞きながら、人気の無い隊室へ入った。
さすがに手際がよく私物も全て運び出されている。
昼間だと言うのに薄暗いのは、外の天気のせいもあるのだろう。
葵はそんな中を自分の隊長机の後ろにある『零』と書かれた額の前まで行き、懐から手紙を取り出す。
便箋にも入っていない二枚の紙。
そのどちらも『#name4#へ』と言う幼い文字で始まっていた。
(私が持っているよりは安全だろうから…)
そう思い、その額の裏へ静かにしまった。
これでいい。
これでもう、何もない。
(…退席の準備をしよう)
そう思いするりとその場から離れて、部屋を出ようとした時。
ギシッ…
背後で隊室の扉が揺れた。
誰も来るはずがないのに。
不思議に思って扉に近づき、外と同様に鎖で巻かれたそれに触れた、瞬間。
「葵様あ!」
それは間違いなく、空の声だった。
ドンドンと扉を叩く音と共に、何度も何度も自分の名を呼ぶ。
一瞬自分の存在が分かっているのかと思ったが、もう霊圧を制御されている今それはない。
それならば、もうここに自分はいないと分かっているのに、それでも尚。
こうして名前を呼び続けていると言うのだろうか。
「葵様!どうして!どうしてどうしてどうして!だって昨日まであんなっ…あんなっ…」
だんだん声が高くなる。
到底この扉はあの華奢な手では壊れないと分かるのに、扉を叩く力は一向に弱まらない。
そんなことをすれば壊れるのは手の方だと言うのに。
やめなさいと、言ってはいけない。
何か言葉をかけてはいけない、自分がいると知られてはいけない。
自分の名前を呼ぶ声に嗚咽が混じり、裏返り、掠れ、人の物とは思えなくなっても。
この耳を塞ぐことは許されない。
扉を叩き続ける手が壊れ血の匂いがしたとしても。
ここから逃げることは許されない。
「葵様ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
どうしてこんなにも
たくさんの人を悲しませてしまうんだろう
乱菊にギンに殺那に七猫に空
全て仕方のないことだと分かっていても
どうして私はそうなる道を選んでしまうんだろう
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