尸魂界に春が来るのは早い。
それが暮らす人々に早く暖かさをもたらすためか、季節の流れが違うのかは分からないけれど、それを気に止める人はあまりいない。
美花が暖かな日差しを受ける一つのあばら屋の角を曲がると、路地裏から元気に子ども達が飛び出してきた。
手に手に道端に咲いていた花を持っていた。
その子ども達が後ろにある角を曲がって行くのを見届けてから、再び視線を歩む方向へともどす。
左手には風呂敷包み。
右手には葵から渡された一枚の手書きの地図。
地図を渡した本人から言いつけられた『おつかい』を、遂行しに来たのだった。
道を少し歩いて見慣れない場所へ出たため、今一度確認した地図の上にはそう遠くない位置に赤く丸い印が付いていた。
目的地はここ。
残すところは一本道となったので顔を上げて少し遠くを見渡すと、それは見えた。
春が近づいて来たと言うのに一つの花も付けていない木の下が目指していた場所。
そこに小さな人影がある。
あれから何日あの場所にいたのだろう。
ただ冬の終わりの雪は思いの外冷たくなかったのか、凍えることは無かったようだ。
木の下へ辿り着いてもその場所にいる人影はうずくまったまま顔を上げない。
それでは困る。
美花は、この存在へおつかいを頼まれていたのだから。
「ねえ、いい加減顔上げなさいよ。良々」
「!」
その名を呼ばれた瞬間、今まで膝を抱えていた少女は顔を引き上げた。
一瞬見下ろしている美花の頭上にあった太陽に目を細めるけれど、決して視線は外そうとしない。
美花が葵から言い渡されたおつかいの相手、風音良々がそこにいた。
「…美花、なの?」
「…あんたは本当に良々みたいね」
化粧を落とした良々を見たことのない美花にとって今の彼女の姿が本物かどうかは判断することができない。
それでも霊圧が底を尽きかけているらしい様子と名前を呼んだ時の反応から、これが良々の素の顔なのだろう。
服装は目立つ死霸装では当然なく、そこらにいる流魂街の住民と同じような物を着ていた。
「な、んで…ここに…」
「葵からのおつかい」
ぽつりと呟いた言葉に、良々が不思議なものを見るような目で美花を見つめる。
それもそうだ、今まで美花が人の命令を聞いたことなど無かったのだから。
葵の名前を呼ぶことも。
良々の目の前に立ったまま、美花は今までに起きたことをかいつまんで教えた。
本人はそれを黙って聞いていた。
特に混乱が起きると思っていた、葵が零番隊の隊長だったと言う事実も、良々は何も疑いをかけなかった。
一番最初に葵の化物じみた霊圧を浴びていたのだから、うなずける所があったのかも知れない。
「葵、今九人くらい自分の部下を持っていて、その中の三人にずっとあんたを探させていたらしいの」
「でも、アタシずっと千匹皮で色んな人に化けてたのに…」
「あんた、葵に一度千匹皮の能力見せたんだって?」
そう言われて、反射的にうなずく。
葵の元へ檜佐木達と共に押しかけたあの時、向こうから障子を開けさせるために一度乱菊に化けた。
使ったのは声だけだけれど。
「その時のあんたの霊圧を葵が覚えてて、流魂街の似た霊圧を片っぱしから探し出したみたいよ。隊長が無茶ならそれをやっちゃう隊員も無茶苦茶よね」
それは、多分気の遠くなるような作業だ。
霊圧の特徴だけで場所を割り当てては、確認してふるい落とす。
この膨大な流魂街と言う住居世界の中では、どれだけ時間がかかるか分かったもんじゃない。
けれどそうやって自分は見つけられたのだと、未だ捨てられない腰にさしたままの斬魄刀に触れながら良々は思った。
「それで……今更、何の用」
「だから言ったじゃないの、おつかいよ」
葵からの、と告げて左手に持っていた小さな風呂敷包みを投げ渡した。
突然渡されたものをいぶかしげに見つめていたけれど、美花にさっさと開けるよう急かされて仕方なく結び目を解く。
訳も分からずに風呂敷に手をかけていた良々の顔が、中身をみた瞬間に一変した。
「…こ、れ…」
中に入っていたのは黒い布。
いや、黒い衣服。
あの日瀞霊廷から逃げ出した直後に脱ぎ捨てていった、昔の自分の死霸装。
真新しいそれが、きちんと畳まれて袋の中に収まっていた。
「ついでに、はい」
美花が懐から取り出した一枚の文をまた良々へ投げ渡す。
そこには仰々しい字で『勅命』と書かれていた。
「…勅命?」
「そこに、あんたの隊内復帰を許可する旨が書いてある」
「!」
その言葉に弾かれたように文を開くと、確かにそこには達筆でそう書かれていた。
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