深く考える必要はなかった。
少しの恐怖を我慢して、少しの勇気を出すだけ。
ただそれだけをしようと思った。
私がこうありたいと幼い雪の日に願った存在はもうずいぶん遠くへ行ってしまったけれど、せめてこれ以上離れる前に止まることだけはしたいと思った。
ごめんなさい。
「…美花?」
六番隊に戻って恋次を呼んだ。
四楓院に負かされたことを謝ろうと開いた口を遮って十番隊へ着いてきてもらった。
泣き腫らして目を赤くした私を見て、いつものように葵と零番隊を疑いにかかる。
いつものように。
「…ごめんね皆」
今更で、自暴自棄で、偽善で、自己満足で、そう見られても仕方のないこと。
私の斬魄刀は、少しずつ人の理性を奪う事が出来る。
でも私に無関心の人には効果が無いから、私を好きな人、慕ってくれる人、仲のいい人程扱いやすかった。
ごめんなさい。
皆私を大事に思ってくれていたのに。
「…今までのこと、全部ね…」
「っふざけんな!」
「!」
高速で投げられた石が顔の横でバチイッと壁にぶつかって跳ねた。
もういくつかは体に当たっているけど痣くらいにはなるかも知れない。
「てめえ俺達を散々使っておいて、自演でした!?水無月隊長は人を斬りつけられません!?んなことが許されると思ってんのか!」
「おい、よせ!」
「阿散井副隊長だって散々こいつに使われたじゃないですか!それで良いんですか!?」
いいわけない、絶対に。
ああ葵、あんたの斬魄刀のこと、少しだけ話してしまったのごめんね。
でもそれしか言っていないから…
バチンッ!
「っ!」
大勢の元取り巻きだった隊員の中から女子達が前に出てきて平手打ちをかました。
連れてこられた裏庭の壁にもたれかかって見上げたその形相は、一人残らず怒気しか含んでいなかった。
こうなるまでにずいぶん時間がかかった。
何度真実を言っても私が葵に言わされていると言う解釈しか出てこなくて、これが自分のしたことなんだと改めて実感した。
やむなく葵の斬魄刀のことを少しだけ話してようやく、周りが全てを信じだした。
阿散井君のあの呆然とした顔はまだ瞼に焼き付いている。
…ああそっか。
騙している間、葵の瞳をいつも恐ろしいと感じていた理由はこれだったんだ。
葵は人を裏切らない。
自分が信じた人はどんな紆余曲折を得ても奥底の部分では絶対に裏切らない。
私へしていた事のように。
裏切りから始まった私がまっすぐに葵を見られなくて当然だ。
「聞いてんのか!」
男達の罵声と女達の平手打ちで現実に引き戻される。
首ごと壁に押し付けられて息が出来なくなり、目の前の口々に叫びながら近づいてくるたくさんの隊員が霞んで見えた。
今まで浴びたことの無いような暴言を受けているのだけ聞こえて、それもどこか遠くなって行った。
息が止まる覚悟をして目を閉じる。
目蓋の中で闇がじわじわと広がっていった、その時。
「うわあああああ!」
突然今まで首を絞めていた男の隊員の叫び声が私の真っ暗な視界に木霊した。
それと同時に手が離され、流れ込むように入ってきた空気にむせながその場に座り込む。
ぶれて揺れる視界の先では、何かを受けたのか倒れている隊員と。
「…………」
「あ……」
ただ無言でこちらへ対峙している葵がいた。
後ろには、さっきから姿が見えなくなっていた阿散井君が肩で息をしている。
呼びに行っていたのかもしれない。
「水無月隊長…」
「水無月隊長だ…」
皆が口々にかしこまってその名を呼びながら遠巻きになる。
この間まで嫌悪していた葵から。
なぜだろう、座り込んでいる私の目の前にいる葵は変わらない無表情だけど。
どこか怒っているように、見えた。
「私が標的で無くなったら次は美花さんですか」
誰にでもなく発した言葉が、ぞっとするほど冷たかった。
ただ声に色を乗せないだけて人はこんな温度が出せるのか。
その場の雰囲気に耐えかねてか、近くにいた隊員達が次々と頭を下げた。
「も、申し訳ありませんでした水無月隊長!花椿なんかの口車に乗せられて…!」
「こいつは俺達がしっかりとシメときますんで!」
「どうかお許しください!」
「嫌です」
その返事が頭に突き刺さるように響いた。
次々と謝罪していた隊員達の言葉がしん、と静まる。
「美花さんを信じたのはあなた達が自分でした事です。真実が出てきたからと言って美花さんのせいにして私へ頭を下げるのは、ただの無責任な寝返りです。それを分かった上で今の謝罪をしましたか?」
ぐ、と隊員達が言葉に詰まる。
分かっていたわけではなかったことを見抜いた葵の目が少しだけ細められた。
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