ある日、空が隊舎の屋根からいつものようにあの人を見ていた時、また雪が降ってきました。
その日のあの人はいつもの黒い羽織を着ていなくて、空から見れば寒そうでした。
そんな時。
「葵様!」
遠くからそんな名前が聞こえて、呼び声にその人が振り返りました。
その人は葵様、というようでした。
見るとその人の後ろから髪の長い死神が駆け寄ってくるのが見えました。
女の人でしょうか、何せ結構遠いので分かりません。
声が聞こえたのもほとんど奇跡です。
人よりもいい視力で見る限り、駆け寄ってきた長い髪の死神さんは男の人のようです。
空は腰までの髪がある男の人を初めて見ました。
男の死神さんが何かを喋って、葵様と呼んだその人にいつもの黒い羽織を渡していました。
風邪を引きますよ、みたいなことを言っているのが口の動きで分かります。
一方それを受け取った葵様は、もっと小さく口を動かすので男の人になんと答えたのかは分かりませんでした。
ただ三文字だけ唇を読むことができました。
せ つ な
髪の長い死神さんは、せつな、というようでした。
「せつな」と言うと「刹那」でしょうか、漢字に自信は無いです。
それからと言うもの、だんだん寒さが厳しくなっていくにつれて、「せつなさん」が「葵様」の所へ迎えに来るのは多くなりました。
せつなさんは本当にあの人を大切に思っているんだなあ、と見ているだけで分かりました。
寒くなるのと同じく空の居場所も寒くなりました。
最近では誰にも口を聞いてもらえなくなって、先輩に叩かれる数も増えました。
一番隊の人達はエリート、一番隊に選ばれることは名誉なこと。
そんな中に空みたいな落ちこぼれがいれば当然です。
貴族だからと言う理由だけで一番隊に入れられたようですから、隊員の人達が空を嫌うのも当たり前なんです。
いつも隊室にいない総隊長さんと副隊長さんが気づかないのも、もう分かりきったことです。
でも、だから。
「せつなさん」と「葵様」の関係がとても強くて、とてもうらやましくて、とても。
泣きたくなりました。
――――――……
「現在、護廷十三隊を統一している零番隊の二代目を作っているから少々騒がしくなるが、各々気にせず職務に徹するように」
今朝の朝礼で副隊長さんがそう話していました。
最近『零番隊』の隊長が二代目に変わることになって、周りはその話題でもちきりです。
とってもとっても強い隊長さんと副隊長さん、席官さん達だけで作られた凄い隊で、二代目は今のところ二席分空白があるそうです。
副隊長クラスの人達は何とかそこに入れないかとあちこちで情報交換をしています。
零番隊の存在の名目は腐敗してきている十三隊の管理、というとても難しいことだったのでよく分からなかったのですが。
びっくりする事件が起きたのはそんな報告があってから少し経った日のことでした。
雪はすっかり積もって歩けば足跡ができるくらいになっていました。
その日、相変わらず一人で隊舎の屋根の上にいた空へ。
「いつもここにいるんですね」
と、後ろから綺麗な声が聞こえてきたのです。
一瞬それが空に言われていることだと気づかず、キョロキョロしていました。
だけどすぐ後ろにいたのがあの「葵様」だと分かった時、空は本当に叫んでしまいました。
あんまり久しぶりに叫んだので喉を痛めました。
そんな空にその人は「驚かせましたか?」と心なしか悪く思わせてしまいました。
違う、と言うことを示すためにブンブン首を横に振って否定しました。
あまりのびっくりさに思わず口から出た言葉が。
「サインしてください!」
「…はい?」
ああ、あの頃の空はバカでした。
でも遠くから見ているだけの空にとって葵様はどこか手の届かない所にいる人だったので、テレビで見る有名人みたいな存在だったんです。
だからってサインを欲しがるのは今考えても少しズレていたような気がします。
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