一瞬幻覚か何かを起こす能力かとも思ったが、違う。
すぐさま体勢を立て直し、瞬歩で相手の後ろに回り込んだ。

よし――





「蒼鼎、鎖」





その呟きが聞こえた瞬間、刀を持つ右手首と踏み込んだ左足首が動きを止めた。



「ぐっ……」



まただ。
今度は目に見えない紐状の物が体に巻きついている感触がする。
姿も見えず、触れている感触も曖昧だが、まるで動かす事が出来ない。
空中で飛び上がった体勢のまま固まっている。

やはりこの斬魄刀の能力は…



「蒼鼎、『鎖』から、『鞭』」



今まで絡み付いていた見えない鎖が唸りをあげて体を弾き飛ばした。
間違いない。
この斬魄刀は、持ち手の言葉に合わせて姿を変える。

能力はただそれだけで、つまりそれは。
絶望を表していた。





正面から行けば防がれる。

裏をかけば止められる。

逃げようとすれば捕らえられる。

まるで質量を持った空気を相手に戦っている感覚。




それが水無月葵の『蒼鼎』だった。



格の違いはその時点ですでに分かっていた。
それでも俺は潰されそうな霊圧の中、無我夢中で斬りかかり。
女はそれをいつまでも受け流して、時に捕らえ、時に反撃した。

長い長い時間。
いつしか勝ちなど頭からなくなり、一手でも相手の裏をかこうと必死だった。
女はそんな俺を察してか決して力で潰そうとはしなかった。




不思議な感覚だった。
状況は劣勢だと言うのに、振り下ろした刀を防がれるのも自分の移動より相手が先に動いているのも初めてで。

ああ俺は、嬉しかったんだ。
俺の中にも檻神の血が流れている。
それを思い知らされるほどの相手と出会えて。
俺の全てを覆す存在と出会えて。

どうしようもなく嬉しかったんだ。





どれくらいの間そうしていたのか。
日が沈みかけた時、遂に俺の体力が限界に来た。
相手の動きへの反射も、技を出す速度も少しずつ落ちていった。

女はそれを悟ったのか静かにその目を伏せて。



「……終わらせましょうか」

「!」



ビクッと体が反応した。
相手は結局、一度も立っている場所から動く事はなかった。
それが俺にとっての現実だと言うのに、無機質に放たれたその言葉に、ガタがきている体がそれでも尚斬りかかった。

けれど、そんなものが届くはずもなく。
女は最後の一言を無情にも口惜しいほど綺麗な声色で言った。






「蒼鼎」





それは一瞬の出来事だった。
まだ夕日に包まれていた俺の体から重力を奪い、恐ろしささえ感じるほどの圧倒的な力が全ての皮膚の上から襲いかかり。
やがて指一本動かせなくなった。

これが全て霊圧によるものだと、潰される直前の脳で考えた。
喉が、肉が、骨が、まるでぬいぐるみのような柔らかさで潰されていく感触を味わいながら。

ああ、やはり俺は叶う余地がなかったのか。
最初からこの言葉を使えばとうに俺など倒せていたはずだ。
それを使わなかったのは、きっと。

眼球から視力が消え去る直前、夕焼けの中に一瞬白色が見えた。
あの女の、他とは色合いが違う隊長服の色だった。






ゆっくりと瞼を開くと、俺は地面に横たわっていた。
まるでついさっき動き出したかのように肺は酸素を取り込み、心臓は早鐘のように鳴っている。
汗一つかけない程余裕のない体内環境だったが、どうにか首をひねって辺りを見た。

幻のような女は、すぐ側に立っていた。
何の表情もなくこちらを見下ろしているだけなのに、夕日に包まれて白い肌を染めているその顔は、魂が抜かれそうな程に整っている。





「……生きているのか、俺は」

「……しばらくは立てないでしょうが」



辺りを包んでいた霊圧の存在は消えており、女の声に反応するように首から下がっている鍵がチャリンと揺れた。



「俺の完敗だが……一つだけ、聞きたい」

「はい」

「……どうして俺にだけ、斬魄刀の能力を見せたんだ」



俺は斬魄刀の力を見せなかった。
まだ名前が聞けていないからだが、これ程の実力を持っていながら誰にも見せていないというのが、不思議でならなかった。
女はそれを聞くと、屈んで俺の顔を覗き込んだ。



「……私の霊圧は苦しかったでしょう」



どこか寂しそうに、そう呟く。
だから小さく頷いた。
最後に俺に向けられた技は結局の所、巨大な霊圧に押しつぶされたことによる感覚潰しだ。



「……あれが私の全てです。私は剣も振るわないし、技と呼ばれる物もありません。あの、化け物じみた量の霊圧を溜め込む器が体にあるだけ」



ぼんやりとした声が耳ではなく頭に届いた。



「だから、私の副隊長になる方には知っておいてほしかったんです。自分でも抱えきれない、この力について。私はあなたが思うより、何も出来ない存在であるという事も」

「……それは、」



まともに開かない口をどうにか動かそうと足掻く。
思えばこの存在は昨日も今日も、一人でここに立っていた。
隣に立つ者はいなかった。



「きっと、たくさん迷惑をかけます。私の代わりに前に出る事も、隊を仕切る事も、他の人とお話する事も、お願いするでしょうから」

「……隊長は、何を?」

「私は大虚を倒したり、必要な相手を霊圧で潰したりします。それが役割です」

「……そんなのは……」



まるで、ただの兵器のようだ。
そう言いかけた口元を、向こうは人差し指で抑えた。
その瞳は寂しそうだった、けど。



「でも、これからはあなたがいてくれます」



その人は、儚くて壊れそうで、魂ごと持って行かれそうな微笑を浮かべた。





「ずっと、来てくれるのを待っていました。檻神さん」





…そんな笑顔を見せながらそんな台詞を言うのは正直、反則だ。
結局最後まで、敵わなかった。






「零番隊……か」



小さく呟いたのが最後。
グルグルと回り続ける頭の中で、その姿さえ黒に塗り潰されていく。
次期隊長に見守られながら、俺は意識を失った。



 



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