03
この地域一帯に鳴り響くのは十二時のサイレン。
汽笛を思わせるそのサイレンは他にも時間帯ごとに鳴り響く。
それを合図にして皆次々と休憩に入って行く。伊沢は自分も休憩に入る前に、喫煙のために一度外へ出た。喫煙所というものは存在しておらず、裏口を出たその先のゴミ捨て場が唯一喫煙を許されるスペースだった。
コンクリートの壁に挟まれた狭いその場所には、灰皿代わりの空き缶が一つ置いてあるだけである。
ゴウン、ゴウン――とこの辺一帯に別の工場から出されているのであろう機械の音が鳴り響いている。
「……お疲れさん」
先客が、そこにはいた。
製造の方にいる人で、名を長谷川という。製造エリアの人とはそんなに話す機会が無く、顔を合わせる事も滅多とないのだが、たまに喫煙に現れる長谷川さんのことはよく知っている。
長谷川は、二十九歳(本人の口から聞いた)の社員だ。
鼻筋の通った高い鼻と、切れ長の目元、無駄なものの一切無い顔立ち。中々の二枚目なのだが、口数は少ないし一見すると怖そうだった。そのせいなのか未だ独身で、もう長い事付き合っている人もいないらしい。
「お疲れ様っす」
軽く会釈をしてから、伊沢もその隣に腰を降ろした。煙草を一本抜いてから、伊沢はそのフィルター部をふっと吹いた。
この銘柄は、どうもスポンジ部分に葉がついている事が多かった。それを吹き飛ばすためにこうやって息を吹きかけるのが癖づいている。伊沢はオイルの少ない安物のライターで火を点けると、煙草を唇に含んだ。
しばしの間その煙草を味わっていると、長谷川が話しかけて来た。とても珍しいことだった、彼の方から話しかけて来るのは。
「――仕事、楽しいか」
ぼそぼそと喋るような調子で長谷川が問い掛けて来た。一瞬だけ、伊沢は意外そうに目を丸くしたがすぐに笑いながら答えた。
「あー。どうですかねえ。正直言って楽しいとかより、ラクだなって感じです」
真面目に働いている人間からすればお叱りを受けそうなその答えにも、長谷川は口角の端にちょっとだけ笑顔らしきものを浮かべるだけだ。
「そうか」
長谷川は煙草を吸い終えると、灰皿に吸殻を捨ててすっくと立ち上がった。
「昼からも頑張れよ」
言い残して長谷川は喫煙所を後にした。
――かっこいいよなあ、長谷川さん。顔だけじゃなくて喋り方にせよ立ち振る舞いにせよ……あれで独身のフリーって……
にわかには、信じ難いものがあった。まあ、こうやって何度か話すうちに慣れてくれたっていうのもあるから慣れるまでは正直近寄りにくいタイプだからか。
――俺が女だったらほっとかないのになあ
長谷川を見る度に思い出す――というか彼を語る上で切り離せない事が一つ、あった。先程少しだけ触れた「本来ならば社長の座を継ぐはずだった孫」の存在についてだ。[ 3/11 ]←前 次→
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