「…さっむ。」
はぁーっと息を吐いてみるが期待していたように息は白くならなかった。
いつもは昼にぶらぶらと散歩する道だが、今は夜だからかどこか不安に感じる。その不安を埋めるように今までまったく興味なかったタバコをポケットから取り出して1本咥えてみる。まだ火も着けていないというのに初めての経験に少し興奮していた。初めての経験なんて可愛らしいことを言ってもあの人が吸っている姿は常に見ているのだ。どのようなものなのかよくわかっている。
そういえば今咥えているこのタバコ、あの人のやつ勝手に持ってきちまったんだよなぁ。
そのことに多少の罪悪感を感じながらも手持ちのライターで慣れたように火を着ける。俺の小さな憧れからあの人のタバコに火を着けたいと申し出たのはいつのことだったか。随分前のことだったはずだ。
先が赤くなったタバコは吸おうとしていることをはっきりと実感させてくれた。
あの人がいつもやっているように軽く煙を吸い込む。ふわっといつもの香りが漂う。とりあえず最初ということでふかしておこう。無理して咽るほうがかっこ悪いもんな。
はぁっと息を吐き出すと先ほど期待したような白い息とはまた違った煙がぷかぷかと暗闇に溶けていった。
あの人も最初はこんな感じだったのかな、とタバコと酒の匂いがしみ込んだいつもの黒スーツを着た彼を思い出す。そういえば、あの人はいつも親指と人差し指、中指で持っていたはずだ。思い出したことに満足し同じように持つ。
ふと顔を上げると月が雲もかからずきれいに出ていた。
いつも見ている月のはずなのに、悪いことをしている気分にさせたれた。
また煙を口に満たす。慣れた匂いにどこか安心感を覚え口元がほころんだ。
じっと見てくる月にふかす。風向きが変わったのかその煙が自分に返ってきて目にしみた。
じわりと目頭が熱くなる。それが引き金となり涙が出た。ぽたぽた落ちていく水滴はコンクリートに丸いしみを次々と作っていく。
何度手で拭ったって溢れてくる。鼻につんときてずずっと何度もすすった。
持っていたタバコを道路に何度も押し付ける。元が何だったかよく分からないほど押しつけると中身がぽろぽろと零れてくることが分かった。
いつも泣いているとあの人が不器用ながらも手で涙をすくってくれていた。それが嬉しくて嫌なことがあるたびあの人のもとに行っていた。最近はめっきり泣くこともなくなってしまったが嫌なことがあるといつもあの人の側にいた。何も言わずただ頭を優しく撫でてくれていた。そんなときでもこのタバコの匂いが漂っているのだが、それが何故か安心した。
今日は、あの人は、来てくれないんだろうか。いや、あの人が来てくれることなんて一度もなかったじゃないか。いつも俺から、一方的に近づいていただけじゃないか。あの人にとって俺はなんだったのだろう。ただの便利屋とでも思われていたのだろうか。それとも、いつも邪魔をしてくるガキ?ははっ、やだな、ありそー。
喧嘩をして、じゃないな、俺が一方的に叫んで出てきてしまったんだ。さすがに呆れて見放されるかもしれない。
そんなこと考えだしたらきりがなく、どんどん気が重くなっていく。
とりあえず、なんとかこの止まない涙と止めようと目を険しくして上を向く。
月はまだ俺のことを熱心に見てくれている。
そう思うと自然と落ち着いてきた。
「はぁ、もう帰ろう…。家、入れてくれるかな…。」
さっきまで歩いていた道を振り返り歩を進める。
なんとなく、またポケットから1本のタバコを取り出して火を着けた。
この匂いに包まれると抱きしめられているようで落ち着く。まるで恋する乙女のような考えに自分で笑ってしまう。
あーー、帰ったらちゃんと謝ろう。そんで頭撫でてもらって、思いっきり抱きしめてもらおう。
そんなことを考えながら歩いていると、公園の前で見慣れた黒のベンツが目に入った。
普段、運転席に座っている姿なんて見ないはずの人が座り、俺をじっと見ていた。
想定外のことにしばらく硬直してしまったが、なんとか理解すると嬉しさで口元がにやけてしかたない。
たいした距離ではないのに早く会いたくて、走って車まで行く。
くわえタバコなんて知るか。消す時間も捨てる時間も惜しい。
きっとドアを開けると今の俺と同じ匂いでいっぱいになってる。
ああもう、早く会いたい!
bkm