海に行こうぜ | ナノ
「海に行こうぜ」
冷房の効いた俺の家で、空になったカップの氷を弄んでいたラッセルが突然そんなことを言った。
「海?」
「海」
視線が天井の一部に固定されていて、俺の方は見ずにそう言った。その意思は硬そうで、きっと明日にしない?は通らないんだろう。
「でも、ラッセル」
「ん?」
「今日雨だよ」
「おう」
「何しに行くの?釣り?」
「お前海って言ったら」

「あんまり荒れてないね」
「小ぶりだからな」
傘をさして海に来た。いつもは地面がアスファルトで覆われているところにくるのだけれど、今日は違った。だって今日は海に泳ぎに来たのだから。
「本当に泳ぐの?」
「おう」
そう言うラッセルの格好はいつもよりラフだ。泳ぐ気はあるみたいだが、水着になる気は無いようだ。俺はと言うといつもと変わらないシャツとズボン。この格好なら別に濡れていいだろうし、そもそも水着とかどこにいったかわからない。
「砂、気をつけてね」
「うん」
慎重に一歩を踏み出すラッセルがこけそうで思わず後ろをついて行ってしまう。
「ラッセル」
「ああ」
「気をつけて」
「もちろん」
そういうラッセルは義足で砂を弄んでる。生命を持たないものは文句も言わないから。彼が楽しむには丁度いいんだろう。
「ラッセル」
「なんだ」
「雨降ってるけどこれ海の中でも傘さすべきかな」
「そんなことしたら泳げねぇじゃねぇか」
「そうだね」
別に泳げなくてもいい、なんて口には出さない。彼の機嫌を損ねるから、なんて言うつもりはない。ただ、彼に賛同したかったから。
「あっ」
「おっと」
砂に遊ばれたラッセルの身体が一瞬重力に争った。それを思わず支えれば、しっかりとこちらに身体を預け上を向いたラッセルと目があった。
「ないす」
「でしょ?ほら、海まで運んであげる」
「いや、濡れるし」
「どうせ海に入ったら濡れるよ」
「でも」
「誰も見てないよ」
そう言って同意もさせないままその身体を抱き上げた。お姫様抱っこってやつ。義足を外すように促して、それの上に傘を投げた。これで濡れることはないだろう。
「入るよ」
「おう」
塩がまとわりつく。

「冷たい?」
「全然」
「俺も」
苦い塩が溶けきった水の流れ。それに抗いながらざぶざぶと進む。足がつかなくなって、浮力を感じながらまだ進む。
「ラッセル」
「大丈夫」
首に手を回していたラッセルが水の流れを楽しんでいる。お姫様抱っこは自然にとけていって、俺はラッセルの腰に手を回してるだけの状態になった。
「はは、気持ちいいな」
「うん」
塩水が跳ねた。水によって張り付いた肌どうしが必死に自己を保とうとしてる。少しはやいラッセルの鼓動を聴きながら暫く海に漂っていた。

「なぁ」
「うん?」
雨が強くなってきた。周りに落ちて出来るそれが次第に大きくなっていく。肌に雨を感じる。
「ランピー」
「うん」
ラッセルは町の方を見ていなかった。先の、ずっと先のところを見ていた。かつて彼がいたであろう、その海のずっと先を。
「こんなこと言ったらさお前怒るかも」
「やめて」
ラッセルがこちらを向いた。
「ランピー」
「やめて、やめて。ね、お願いだからさ」
キュッと彼の肩を掴んだ。俺より暖かくて、それに驚きながらもしっかりと。
ラッセルは暫く考えるような顔をして俺の頬に手をやった。
「馬鹿だな」
いつもそう言われてる俺にはその言葉の深い意味がわからなかった。
「ごめん」
謝れば形の良い目を大きく開いて、ゆっくり閉じた。
「ばぁか」
あやすようなその声に、目をやって、ゆっくりと引き寄せられた。縋り付くように背を屈めて、少しラッセルを持ち上げるようにキスをした。
冷たくてしょっぱい。それが俺の嫌いな海と似ていて、また、海が嫌いになった。

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