コルセット | ナノ
 目の前の白く透き通った肌を見ていると謎の罪悪感に苛まれる。
 その白い肌はラッセルの性というものを激しくかき乱してくる。それに耐えるために、いや己を加速する為にかラッセルは今日何度目かわからない生唾を飲み込んだ。
 その白い肌の持ち主はその事に気付いているのかそうでないのか。背中に刺さる熱い視線に己の何かが這い上がってくるのを感じながら彼がそれを締めるのをただひたすら待った。そう、コルセットが締められるのを。
 人よりは物が少ないモールの家で、モールとラッセルがコルセットを締め合う。という奇妙な現象が起きているのには勿論理由が存在するのだ。
 話は数日前にさかのぼる。

 このハッピータウンには様々な行事が存在する。寒くなった時期に行われるミュージカルもどきもそのひとつなのだ。大人と子供に分かれてそれぞれ練習して、歌と踊り、そして劇が混ざった様な何かを発表し合うと言ったものなので、発表するものは年々様々である。くじ引きで選ばれた審査員以外はこれに強制参加させられる。無論、ノリの良い住人ばかりなので参加したくないと言う人はそういない。という事で今年も全員参加でこの行事を迎えることになったのだが……。

 「じゃ、モールとラッセルはこの服を着てね!」

 まとめ役であるランピーがくじ引きの末二人に手渡したのはどう見てもドレスの類だった。見た瞬間頬をひきつらせたラッセルに対してモールはそれが何であるか手探りで確認していた。そんなモールの様子を見て、「嗚呼、言えるのは自分だけしかいない」と悟ったラッセルはランピーに詰め寄った。

 「待て待て待て待て、ランピー?これは女物のドレスじゃないかよ」

 不機嫌そうに言うラッセルにランピーは至極当然と言った感じでうなずいて言った。「そうだけど?」と。
 その言葉にラッセルはまた、己の頬が引きつるのを感じる。何故こいつは話が分からないんだ。そう言いたげにラッセルはランピーを睨むが当然の様にランピーはそれに気づかない。
 そのことを知ってるからこそ、こうしてラッセルは言葉でのやり取りをしているのだ。

 「そうだけどじゃない!これ女物のサイズじゃねーかよ!」

 そうさらにランピーに言うのだが、ランピーはまた「そうだねぇ」と頷く。

 「いやー、踊る役がいるんだけどねぇ。二人でよかったよ!二人とも細身だからさ〜、ほら、俺とか軍人の彼だったら筋肉とか肉とか贅肉とかすごいじゃん?だから作る羽目になるかなー?と思ったんだけど二人なら大丈夫!女物でも入るよね!」
 「入らねーよ。常識的に考えろ」
 「え?入るよねぇ?ね、モール?」

 話が苦しくなったか、それとも通用しないと分かったかランピーは話し相手をラッセルからモールに変えた。それに対してモールはドレスを逆さにしながら答える。

 「肩幅ないですから入りますよ。ウエスト以外はね」

 その言葉にラッセルは改めて己の手の内にあるそのドレスを見た。確かに、つくり的に肩幅その他はクリアできそうなのだが、問題はウエスト。モールが入らないというウエストに自分のそれが入るとは到底思えなかった。
 どうすんだ。と言った感じにランピーは見れば、ランピーは手をひらひらとさせながら笑う。

 「だいじょーぶだよー。ウエストは女性もコルセット締めるからさぁ。だから二人ともコルセットしなよ〜」

 その言葉にモールは「なるほど」とつぶやきラッセルはというと「こるせっと……?」とその言葉が受け入れられないといった感じにその言葉を繰り返した。

 そして今に至る。
 お互いなかなか不自由な生活をしている者同士、というかそもそもの話。コルセットなど一人で着れるわけもなく、お互いで締め合おう。という結論に至ったというわけだ。
 まずはモールから。というわけで目の前に白い肌を目の当たりにしながらラッセルはコルセットの紐を掴んだままでいた。

 「し、めますよ?」
 「お願いします」

 ヒクッと自分の喉がうまく空気を吸えないのを感じながらラッセルは何度目かの確認、そしてスタートの合図をかけた。何度目かのそれは正しく機能したようだが。
 紐を自分の方に手繰り寄せるようにすれば、ただでさえ細いモールの体は締め付けによりさらにその細さを増していく。片方の紐は左手で、もう片方は歯で引っ張りながらラッセルはただモールの体が分裂しないかと思いながらそれをさらに引く。
 丸椅子に座っていたモールの体は曲がることなど許さない、といったように背筋はコルセットにより伸ばされる。その姿はまるで、胴にあった臓物がその場に留まれずモールの胸に喉に顔に移動していくようにも感じた。
 加虐心がそそられる。なんて悠長なことが言えたものではない。目の前にある芸術作品が己の手によって壊されていくのではないかという不安に罪悪感にラッセルは蝕まれた。

 「ラッセル……」

 締め付けによりモールの声はより細いものとなっていた。目の前に集中していなければ聞こえない程に。ラッセルはその言葉を確かに聞いた。呼ばれたのが自分の名前だったとこの時のラッセルは気づいてすらいないほどだった。

 「ん、ふぁい」

 反射的に返事をするものの、コルセットの片方の紐を噛んでいるラッセルにその返事がちゃんとしたものにするのは難しい事で抜けたような返事をする羽目になる。
 そんなラッセルの返事を受け、モールはまた一段と艶めかしく、美しく、何よりも大罪の様に身じろぐ。少し紅潮した顔が確認できるまでこちらに顔を向け言った。サングラスが外された目は少し潤んでおり終点の定まらない筈の目は確かにこちらを捉えていた。
 息をするのも忘れる。なんて言葉が似合う。ラッセルは今目の前にいる男が本当に男なのか確認したいまでだった。
 そんな性別が分からない男から発せられた声はか細かった。

 「もっと」
 
 懇願するようにそう言われてしまってはそうするしかないのだ。力を込めて再度紐を引く。静かながらも荒い息に代わるモールを見ながら、いやほとんど罪悪感故に直視することはできずただ言われるがまま、望まれるがままその紐を引く。
 彼の額から流れ落ちた汗が誘惑するように首筋に流れるのを見て、無意識にそれを自分の舌で掬い取る。という考えが頭によぎるものだからラッセルは首を必死に振ってその考えを出そうとする。
 息遣いの荒いモールが突然こちらを向く。もういい。その言葉が聞きたかったのに、モールから発せられたそれは真逆の意味を示すものだった。

 「もっと……強く……」

 ね?と後押しされるようなその言い方にラッセルはこのままモールが息ができなくなるまで……といった考えが頭をよぎるほどに興奮した。目の前の彼はこの現状をどう受け止めているというのか。その言葉はそのままの意味なのだろうか?それとも……?ラッセルは考え過ぎだ。と思うも、欲はラッセルの熱せられた脳を支配した。その白い肌を刺す焼きつく様な男の視線を受け、図らずも彼もその視線に身を焦がし求めてほしいと思ったのだろうか?それともその視線の正体を知りながらももっと焦がれろと自分をさらに追い詰めに来ているというのか。
 残り少ない理性が己を必死に抑えながらも、抑えきれない欲望が力任せにその紐を引かせる。
 
 「んぁっ」

 弓の様にしなったモールの体がラッセルの体に寄り掛かる。汗のせいで湿ったその体がぺたりと己の体に吸い付く。荒く上下するその喉仏に目は釘付けになった。嗚呼、男だ。その事を再度確認したというのに欲が収まっているようには思えなかった。
 しかしそんな時間にも終わりが来たようだ。
 自然と荒くなりつつある自分の思考と息遣いにモールは不審か喜びかそれともただたんに心配に思いこちらを再度向いた。紅潮した肌は元の白さを取り戻しつつあった。

 「もう大丈夫ですよ?」
 「ふ、ふぁい」

 限界まで締めたのだろう。モールの胴とコルセットの間には水すら入る隙間などないように見えた。
 モールに体調の方を聞けば「問題ない」と返してくる。その言葉通りいつもと変わらないように机の上に置いたサングラスをその白い指で器用につまんでかけようとして、何故かそれをやめた。
 どうしたという顔をすればモールはこちらの気をくんでポツリと「なんとなく」と返した。
 気を取り直したようにモールは先ほど自分が座っていた丸椅子をポンポンと叩いた。

 「お次、どうぞ」

 小首をかしげ流れに沿って揺らいだ紫色の髪はラッセルの不安を仰いだ。


 もう既にムチッとコルセットに乗る形になる肉を見てラッセルは羞恥心に襲われた。生憎、それが見えていないモールは紐を離すまいとその紐をかなり強く掴んでいた。
 ラッセルは自分を落ち着かせようと言い聞かせる。大丈夫、そんなにモールさんは苦しそうじゃなかった。大丈夫。心の中でそう言えば何とかなる気がした。
 一回深呼吸をすれば、それを合図と言った感じにモールが口を開いた。

 「いきます」
 「はい」

 一気に、ではなく徐々に締められていく己の体にラッセルは息のしずらさを感じた。ゆっくりながらも確実に締められていく体だったが、嗚呼やっぱりこんなもんか。とラッセルが安堵していた時だった。

 「ああっ!」 

 そう言わずにはいられない。ラッセルは内から来る圧迫感に身をよじった。
 皮膚は余るほど締め付けられ、肉は行き場をなくし臓物を圧迫した。そして圧迫され行き場をなくした臓物は内からラッセルを容赦なく圧迫した。
  言わなくても分かる。モールが急激に力を強めたのだ。
 やめて。と言おうとして息を吸うもののそれが声となって出ていくことはなかった。息をしているはずなのに息ができないとラッセルは感じた。圧迫されてない場所から脂汗が噴き出る。じっとりと身を湿らすがそれは今の状況を打開する術など当然ながらもっていなかった。
 苦しい。それがラッセルの脳内を埋めた。言葉にできない不快感がラッセルを襲う。無理だ!言葉に出来ない不快感がラッセルをその椅子上から降ろさせた。それは明らかなるモールへの逃亡だった。

 「あっ!っ!!」

 当初はなくしてはいけない。と強く握られていた紐がいまではただの抑制のためのものでしかなかった。逃げれば苦しくなる。逃げなければ何とも言えない苦しみを味わう。どちらも苦しみ故に理解力が乏しくなったラッセルには同じように感じたが、生存本能はそれでもモールから逃げろと信号を送る。
 ありえない程顔が熱い。それは熱がこもる。なんて優しいものではなかった。臓物が本当に顔まで上がっているんじゃないかと思うほどだった。床に這いつくばり額から落ちた汗がそこに雫を作った。フローリングの床はそれを吸収することはなくただ、それが現実であると言わんばかりにそこに滞在した。あるはずのない吐き気がこみあげてくるようだった。少しでも楽に、などという考えは頭の中にはなくただ、逃げるために自分の熱い顔をフローリングに押し付けた。冷たい。と思うのはほんの一瞬でフローリングは自分が落とした汗とは違い直ぐにその熱を吸収したのだ。
 今だ止むことはないモールの締める手の力。自然と浮くその腰に、無駄とは分かっていながらも押し付けて逃げようとする己の顔。
 傍から見ればなんと性欲を掻き立てられる光景だろうか。言葉にならない拒絶を繰り返す男にまたがるかのように己の方に引く同じコルセットをした男性。その顔が今、どんなものであるか。そのことを拒絶する男性は知らない。その顔が欲情しきった獣と同じものであること。

 「あっ!はっ!……んぅっ」

 逃げようともがくラッセルの四肢はもう完全に動きというものが出来てはいなかった。ただ、その苦痛から逃れようと手を握り締めて耐えることに専念した。嫌だと思っているのはその頭の中だけでとどまっていることをラッセルは気づいていないのだ。口からこぼれ出る言葉ともいえないそれがモールの欲を掻き立てていることも。
 モールは乾いた己の唇をそっと舐めた。そして乾いているのは唇ではなくその口内という事に気付く。嗚呼、焼き切れそうだ。脳の血管も彼の声帯も己のそれも。
 ラッセルは目を力強く閉じ、爪が食い込むほど強く握り、歯を息も通さぬほど強く噛みしめた。その全てが、苦しい。という事から逃れるために取った行動だった。勿論実際に苦しさからなど微塵も逃げきれてはいないのだ。
 自然と流れ出る涙が彼の長い睫を濡らした。余計に荒くなる息の中。ラッセルは必死にモールに届くように声を捻り出した。

 「も、もうっ!む、むりっでっ!」

 最後の音は自らの荒い息によってかき消された。
 それでも確かにモールにその願いは届いた。締める事をやめた手にラッセルは心から安堵した。自分の体を跨ぐ様にモールがいることを今、気配で知った。彼の紫色の髪が己の湿った肩にかかる。振り向こうとした。しかしそれはモールの一言で叶わない。

 「我慢しなさい」

 耳から熱湯を注ぎこまれた様だった。熱い。耳から熱が回り脳を支配して背中に熱と震えを呼び起こさせた。彼の手により、コルセットは再度締められた。確かに苦しいのに。その行為すら何故かラッセルは欲情した。変な気分になってしまう。ラッセルは熱で埋められたその脳で必死に己を制御した。
 突然手が緩められた。モールが自分からどけたような感じがして、ラッセルは後ろを向いた。そこにはさきほどと変わらぬモールがいた。

 「終わりましたよ」
 「あ、あ、ありがとうございます」

 乱れた息でそこまで言って、ラッセルは己の身を締めているコルセットに目をやった。着れている。醜いが。そしてモールに再度目をやる。先ほどまでの事がまるでなかったかのように穏やかなモール。優雅な手つきで彼のアイデンティティーのサングラスを手に取りそのまま彼の表情を隠すようにかけた。

 「あの、モールさん」
 「はい、なんでしょう」

 ラッセルは己の体をもう一度見てそしてモールに言った。

 「ランピーに抗議しましょう。これじゃ踊るどころか舞台にすら上がれない」
 「そうですね。それがいいでしょう」

 ラッセルは早速モールのコルセットを外しにかかった。その時、モールがこちらを向いて言った。

 「随分と良い声で鳴くんですね」
 「え」
 
 先ほどとは違う意味で汗が流れたラッセルに、モールは意地悪気に微笑むと「冗談です」と言った。もう少し後にサングラスをかけてほしかった。ラッセルは熱に犯された目で彼を見た。

『コルセット』 2017/0114

目次 ひとこと感想
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -