5.追求 「なっ…んで、練紅炎……様…!」 まさか来ると思っていなかった予想外の人物を名前は驚きから何時もの引っ込み思案を忘れ、目を見開いて紅炎を凝視した。 しゃがみこんでいる名前の腕をつかんで覗き込む紅炎と、なんとも弱肉強食を絵にしたかのような図である。 「紅炎で良い」 「こ、紅炎様…宴は、」 不機嫌そうな紅炎が恐ろしく、自然と声が小さくなっていく名前。それにまた眉根を寄せる紅炎に、驚いて引っ込んだ涙が再び顔を出す。 紅炎はかたかたと震える名前を見て眉間のシワを濃くすれば肩をビクッと揺らす名前に、ため息を短く吐く。 「長旅で体調を崩した妃をほったらかす輩がどこにいる。宴は炎影達に任せて来た」 そう言って紅炎は名前の手をぐいっと引っ張って立たせた。よろけた名前の腰をしっかり抱き、膝の裏に手をいれて持ち上げ部屋の奥へとずんずん進んで行く。 「こ、紅炎様…!何を…っ」 俗にいうお姫様抱っこをされてあわあわと顔を真っ赤に染めながら名前は紅炎から逃れようとじたばたする。 そんな名前に今度は目もくれずただ前を見据えて移動して行く紅炎。逃げられないと察した名前は顔を青く染め暴れるのは体力の無駄だと大人しくなった。 ___カタン 小さな音を立てて入り口からひとつ扉を潜った所にある本がいっぱい並んだ書斎の椅子に紅炎が名前を抱きかかえたまま座る。 直後、やっと腕が緩んで降りようと動き出す名前の腰を持ち上げ、己の膝にまたがるようにして座らせた。 「……こ、紅炎…様。ぁ、あの…う」 態勢と少し落ち着いて戻ってきた羞恥心とのせいで蚊の鳴くような声小さな声で名前はもごもごと抗議の声をあげようとしてはどもる。 「名前、俺の目を見ろ」 「…!は、はい」 恐る恐る視線を合わした名前だが、紅炎の射抜くような視線に間髪開けずにまたさっと逸らす。すると紅炎が頬をがっしりと骨ばった大きな手で覆い、無理やりにあわせる。 「名前、体調が悪いだなどというのは嘘だろう?」 「……っ、ぅ、嘘じゃ、無いです」 ここで嘘だと言って、では何故、なんて事になっても答えられない。自分自身何故涙が流れてきたのか分からない。 名前の言っていることが嘘だと安易に分かった紅炎は、少し眉根を寄せる。張り詰めた空気が痛い。 名前は恥ずかしい態勢や密着して伝わってくる体温、紅炎の強い眼差しに、許容オーバーを起こして顔を真っ赤にしながら止まらない涙をぽろぽろ落としている。 「泣くな」 さっきまで眉根を寄せて険しい顔をしていた紅炎が、いきなり名前の涙を優しく親指で拭う。驚いて体を引こうとした名前の腰を掴み、逆に引き寄せる。 「俺との婚儀は嫌か」 逃がさないと眼光を強めた瞳に射抜かれ、もはや名前は肉食獣に捕まえられた哀れな兎の状態。 「そんな事…有りません」 「では何故泣いた」 「そ、それは…私にもよく分からなくて…その…」 本当に名前は婚儀が嫌で泣いたのでは無い。むしろ捨てられたとはいえ、自国を出る事が出来た事には感謝している。 「分からない…?」 「は、はいっ…気づいたら涙が出ていて…」 名前は困ったように眉を垂れ、引いてきた涙を今だ優しく拭う紅炎の手をきゅっと掴む。 紅炎は名前の言葉を聞いて考えに耽っていた。 名前のいう事が本当なら、何も無いのに泣いた事になる。だが名前はそんな事をする程情緒が不安定には見えない。しっかりと自分を持っていて芯が通っているように見える。おどおどしていはいるが。 なら、名前の知らないうちに何かが名前の心を乱すような引き金を引いたんじゃないか? そこまで考えが至った紅炎は考える事をやめた。そこまでは考えた所で名前にしかわからない。 「紅覇に何を言われた」 直前にあったことは紅覇と話したことだ。そこで何か言われたのだろうと紅炎は考えた。 「な、何も言われていません……」 「本当にか?」 「はっ、はい」 名前の目を覗き込んでも嘘をついているような目では無い。なら本当に衝撃を受けるようなことは何も言われていないのだろう。 「なら、何かされたか」 「……っ、な、何も」 紅炎は目を細めた。何かされたかと言った瞬間、名前は目に見えて動揺した。否定しても何かされたということは事実になってしまった。 back |