4.宴会 いくら無礼講とは言え、礼儀作法などは崩れない。この様な公の場でしかも大勢いる前で失態など冒した時には、良い笑いものだしこれからの城中での生活にも支障をきたすからだ。 だから逆に、失態を見つけて弱みを握ろうと目を光らせる者もいるわけだ。だから宴は、怖い。 名前は宴が始まってからずっと練紅炎に酌をしていた。何も言葉を交わす事なくただひたすら、酒をついでいた。 「炎兄!」 名前がそろそろ沈黙の重みに耐えかねていたちょうどその時、どこかあどけない幼さの残る声と共に、視界いっぱいに鮮やかな紅が、隣に座る練紅炎と同じ紅が広がった。 「…?」 炎兄と言っていたから練紅炎に用事があるんだろうなとすっかり思ってしまっていたからまさか自分の目の前に、しかも鼻と鼻がもう少しでくっつきそうな所に来られるなんて思ってなかった名前は、ひどく動揺した。 「ねぇ、えーっと…」 「え、あの…」 名前はお得意の臆病さがでて、なかなかうまく話せない。 「名前だ」 「あーそうそう!名前!君、炎兄の正妃になるんでしょ〜?」 「あ…ぅ…はい」 驚いた。確かに練紅炎が正妃になる私の名前を知っていておかしくはないけど、急に呼び捨てにするなんて… 名前はその事に驚いて下げていた視線を紅炎へ向けた。が、目がバチッと合ってしまい慌てて逸らした。気恥ずかしさから、袖で顔を隠してあわあわする。 「お〜い、今は僕が話しかけてるんだよ〜、無視なんて酷いんじゃな〜い!」 その一連を眺めていた人が話しかけたのは自分なのに無視された事に不貞腐れたのか、名前の頬を両側からつかんで無理やり目線を合わせる様にしてそう言った。 「あ…ぁの…ぅ」 ただでさえ上がり症なのに目を鼻と鼻がつきそうなほどの近くで合わせられて話せるはずもなくただ意味の無い単語を呟くしかできなかった。 「紅覇、そんなに近づいたら話しづらいだろ」 「あ、それもそうか〜ごめんよ?」 名前紅炎のおかげで解放された頬の熱を冷えた袖口で覚ましながら紅覇と呼ばれた人物を見る。紅覇、何処かで聞いたことがある。 「自己紹介がまだだったね…僕は練紅覇、炎兄の弟だよ」 練…練…練紅覇!?皇太子じゃないか!どうりで紅炎ににているわけだ…。でもそんな人が私なんかに一体なんの用があるのだろう。顔ならさっきの会見で見たはずだし…。 「ねぇ君さ〜、どこの国出身だっけ?」 「リ、リアンバル帝国で……す…」 皇太子ともあろう人に、恥ずかしいからと言って無視をすることはできないから名前冷や汗を大量にかきながらも何とか返事をする。 「リアンバル〜〜?聞いたことないな〜」 「東の…方にある、小さな国…ですから」 「ふ〜ん、君さ、戦ったり出来るの?」 「い、いえ…私は、武術などは出来ません…」 「へ〜〜、君、なんで炎兄の正妃になんてなったの〜?」 話すたんびにずい、ずいと顔を近づけてくる紅覇のせいで必要以上に背中が背もたれに食い込み出した時、なぜ紅覇はこんなことを聞くんだろうと思った。 練紅炎の正妃になったのは傘下に下った自国が友好の証として私を嫁がせたからだ。そんな事を知らないはずはない。じゃあどうしてと思い名前は真意を探ろうと紅覇の瞳を覗き込んだ。 その時、見慣れたものが見えた。ハッキリとした拒絶。この人は私の事を認めていない。それどころか拒絶している。認められないのは分かっていた。でもいざ目の前にしてみると辛い。この瞳は自国でいつも目にしていたものとよく似ている。 そう理解した時、嗚呼、私は一生この瞳と付き合っていかないといけないんだな。とそう思った。その直後、名前の頬を暖かいものが流れた。 「……え?」 予想していなかった展開に、紅覇は間の抜けた声を出して固まる。隣で見ていた紅炎もまた、突然のことに目を見開いて呆然としている。 名前は自分が涙を流していることに気づいていない。必死に穏便に済ますにはどう返せば良いかを考えている。 「私……は、その……」 __ポタッ 取り敢えず何かを話さないと、と名前が話し出した時、遂に重さが限界に達した涙が名前の膝の上で握り締められた手の甲に落ちた。 「……?」 そのおかげで、頬が何故か熱いことに気づいた名前はゆっくりと手を頬に持ってくる。 「……!?っあ、あのっ……わ、私…ここに着いたばかりでっ、その…、疲れて、みたいでっ、だ…から、その……し、失礼します!」 涙に気づいた名前はガタッと行き良い良く立ち上がるとそう早口で捲し立て、紅炎の顔も紅覇の顔も見ずに、走り去って行った。 __あああああ!何て事を!何て事を! 殿方の前で、しかも練紅炎の前で、涙を見せてしまった。よりによって何故正妃なったのか聞かれている時に!あれではよほど正妃がいやみたいじゃないか!それに涙を流すなど、めんどくさい女だと思われたに違いない! 名前はあの後急いであてがわれた自室に戻り、扉の前で蹲っていた。流れた涙は存在を知った瞬間、堰が外れたかのように溢れ出した。 「止まれ……!止まってよ…!」 袖口で目をごしごしと擦る。せっかくひっそりと暮らそうとしていたのにまるで台無しだ。宴で妃が逃げ出しただなんて良い笑ものだ。 「もう、最悪よ……!何で……!?」 「そんなに擦ると後が残るぞ」 「ひゃっ」 突然、必死で目元を擦っていた袖口を、強い力で掴まれた。びっくりした名前が振り返ると、無表情でこちらを見下ろす練紅炎がいた。 back |