10.来客 「それでは昼餉を持ってまいります」 綺麗にお辞儀をして出て行く次女達を見送る。結局風呂を出た後、溜まっていた疲れが出て来たのか、眠ってしまった名前が起きた時には既に紅炎は居らず、太陽も登りきっていた。 またやってしまった、と頭を抱えた名前の身なりを、様子を伺いに来た侍女は手早く整えた。 ここに来て失態ばかりおかしている気がする。と名前は侍女の出て行った扉を眺めながら思う。 程なくして侍女が戻ってきた。持ってきた昼餉を1人でちまちまと食す。魚がメインの献立で、まだ箸にあまり慣れて居ない名前は魚の身を解すのに苦労していた。 魚肉を咀嚼しながら、今日は何をしようか、と考える。正式な婚儀は、明後日にあるのでそれ迄は名前のする事はないのだと昨日の食事の時聞いた。 またあの空間に行かなければならないのか、と内心震え上がっていた事は記憶に新しい。 「……はぁ」 「何だよお前、辛気臭ぇ顔だなあ!」 ため息を吐いた瞬間、昨日と全く同じ声が窓の方から聞こえて来た。まさか、と目を見開き勢い良く窓の方を見ると、案の定ニヤニヤとした笑みを浮かべたジュダルが窓枠に捕まり座り込んでいた。 「ジ、ジュダル、様……どうして、ここに……?」 大層怯えて、椅子を盾に伺う名前。ジュダルは不気味な程口角を吊り上げる。 「決まってんだろ?お前に会いに来たんだよ!昨日は逃げられたし……な!」 言葉を紡ぎながらゆっくり挙げられていく杖に、まさか、と思うも名前は怖くて固まっていた。振り下ろされるのは一瞬で、勢い良く飛んで来た氷の塊は、一直線に名前の方へと飛んで来る。 目を閉じる事もできずスローモーションのように飛んで来る切っ先を、見開いた目で追っていると、それは名前の手前で大きな音を立てて 暫くの間、静寂が部屋の中を支配した。 「っは!やっぱお前魔導士なんじゃねーか!しかもすげぇ ジュダルのその言葉を聞いて一瞬で名前は試された事に気づいた。もともとジュダルは名前に攻撃する気など無かったのだ。 それを理解したところでもう既に遅く、ジュダルはおもちゃを見つけた子供の様な顔で名前を見つめて居る。 「なぁ!お前そんだけ魔力持ってんだからさ、強いんだろ?」 窓から飛び入って来たジュダルが、杖を揺らしながら名前を見る。食べかけの昼餉は、先ほど防壁魔法の衝撃でひっくり返っている。 次は本気で攻撃されるかもしれない、との恐怖にかたかたと震える名前は、今だ椅子に隠れながらジュダルの様子を伺っていた。 「ジュ、ジュダル様……私は、その、ほんのかじった程度にしか魔法は使えません……だから、あの」 「はぁ〜?何だよ、お前もったいないな〜」 名前が、近づいてくるジュダルにに怖々と口を開く。ジュダルはそんな名前の言葉に有り得ないと顔を顰める。 まさかそんな反応をされると思って居なかった名前は、ぴっ、と一度肩を揺らし、またかたかたと震え出す。もう死ぬかもしれないなどと内心大げさすぎる事を考えていた。 「そんなに魔力持ってんだから使わないともったいないだろ!」 「そ、そんな……」 ついに目の前にやってきたジュダルはしゃがみ込んで、名前に目線を合わせた。眉をこれでもかと垂らす名前は、もう何を言えば得策かなど考えられなかった。まず自分にジュダルが言う程魔力が有るとも思えなかった。 「何で魔法使えねんだ?」 「だ、だからその、かじった位にしか勉強しなくて……」 「だから、それが何でだって言ってんだよ」 「え?」 それはどうして勉強しなかったんだ、と言う事だろうか。名前は何故そんな質問をジュダルがして来るのか分からなかった。何故なら、一国の皇女が、魔法など勉強するはずがないのだ。 皇女と言う立場は、その国にもよるが、悪く言えば何処かの国の皇子と政略結婚をし、利用されるために生まれてきた様なものだ。少なくとも名前の国ではそうだった。することは花嫁修行など、ひたすら自分を磨くものばかり。 武術や魔術など危険を伴う教育は、全くと言っていいほどされないはずなのだ。 暫く無言が続いた後、顔を疑問に染めていたのが解ったのか、ジュダルが理由を話し出した。 「お前、妾の子なんだろ?そういう奴ってさ、武道とかなんつーの? 国に利用される様な教育受けるんじゃねーの? あ、お前は結婚で利用されたのか?」 ジュダルの言葉を聞いて、名前は大きく目を見開いた。そんな事、まさかジュダルに面と向かって言われるなんて想像もしていなかった。 自分でも理解して割り切っていたはずの立場を、他人に、言われるとそれなりに傷ついてしまう。それもジュダルはまだあって間も無い。そんな人にとやかく言われた少しばかりの怒りも混ざり、名前は喉の奥がきゅ、としまって胸が苦しくなった。 「わ、私、私は……」 上手く返す言葉が見つからず、視線を彷徨わせ焦る名前。手は痛いくらい握り締められて、顔は強張っている。 「あー、いや別にお前の事情はどうでも良いんだよ。その様子じゃ利用すらされなかったみてぇだし?」 意味のない母音ばかりを断片的に繰り返す名前を見てジュダルが言った。いちいち心に刺さるジュダルの言葉は名前をじわりじわりと侵食して行く。 相変わらず返す言葉もなく俯いて焦る名前に、ジュダルは突然立ち上がり声を掛ける。 「気が変わったわ!お前、ダンジョン行こーぜ!そんだけ魔力あんだ、きっと選ばれるぜ?」 「え……?な、何を言って」 ダンジョン、昔突如現れたそれは、様々な人が挑んでは戻ってこなくなり、攻略できた人なんてものはほんの一握りのとても危険なものだ。 そんなものにこの名前が入ったとして、1時間も生きていられる保証などない。 「最近戦もなくて退屈なんだよな〜、まぁ今のお前じゃダンジョン攻略なんて絶対無理だけどさ。魔法さえ勉強したらお前の魔力なら何とかなんだろ」 「で、出来ません! そ、それに私が「いーっていーって!そーゆーのは」 冷めた目で名前を見下ろす。続けて言われた言葉は、本当に横暴そのもので、名前は驚くしかなかった。 「別にお前の立場なんて俺がしったことじゃねーよ。ただお前がダンジョンを攻略して金属器使いになりゃおもしれーし。それにお前だって利用価値が出てきてこの国での待遇も良くなるだろーよ、ダンジョン攻略者はいて困る事はないからな!一石二鳥ってやつじゃん!」 そこまで言って、いきなり腹が減ったと溢して窓に近づくジュダル。魔法の勉強しとけよ!と言い残し飛び出した。ここが2階だと気づき急いで窓に駆け寄ると、浮遊魔法で悠々と飛んでいくジュダルが見えた。 暫く呆然と窓の外を眺めていた名前は、ジュダルが出て行ったことで緊張がきれ、糸がきれた様にぺたんと座り込んだ。 ジュダル様は私を如何したいのだろう。それが座り込んだ名前が最初に考えたことだった。 でもそれは、このたった3日の間にたくさんの事が起こり過ぎて、頭がうまく回らない名前には分からなかった。 「昼、何があった」 それは夜、紅炎が部屋に戻ってき、夕餉を食べようとした時に言った事だった。 結局あの後、タイミング悪く入って来た侍女に、ひっくり返った昼餉を元に戻そうとしている所を見られてしまった。 ひどく心配されたが、何でもないで通し、紅炎様には言わないでと口添えもしたのだ。が、如何やらきいてくれなかったらしい。 案の定重い空気を纏った紅炎が、名前を真正面から問い詰める。一昨日の夜で、紅炎に逆らうと痛い目をみると学んだ名前は、正直に昼の事を話した。 ダンジョン攻略の部分を除いて。 名前は紅炎にダンジョン攻略の事を言いたく無かった。お前には無理だ、と言われたく無いのか、あっさり行って来ればいいじゃないか、と暗にお前の事などどうでもいいと言われたく無かったのか。それは名前自身分かっていなかった。 「あ、あの、紅炎様」 「なんだ」 「魔法書は、どちらに有りますか」 急に魔法を勉強しようと思ったのがなぜか、それも名前にはよく分からなかった。ただ、私にも居場所ができるかもしれない、という蜘蛛の糸に、縋り付きたいだけなのかもしれない。 back |