夢の中で
夢を見た。
「…また、なのか」
カヤと一緒にいる時は見ずにいられた悪夢。
カヤと出会う前であれば頻繁に見ていた悪夢。
思い出すだけで憎悪がわき上がるような記憶を見せられて、真っ白な空間にポツンと取り残される。
立っていることが億劫で僕はしゃがみ込んだ。
僕はこんなにも、ちっぽけで弱いの存在だったのか。
「くそ…っ」
こんな思考、僕らしくない。
だから嫌なんだ。夢はいつも僕を孤独にする。
…もしこのままカヤにもう二度と会えないのだとしたらその時は、あいつらの願うままにとことん闇に堕ちるのも悪くない、なんて。
「ー…トム」
「……っ!」
不意に女の声が、僕の名前を呼んだ。
カヤの声じゃない。
ビクリと揺れた肩を情けないと思いながらも立ち上がって、周りを見渡してみると白い空間の一点がキラキラと輝いていた。
「トム」
今度はハッキリと聞こえたそれに、僕は戸惑いながらもその光へと近づく。
「…誰なんだ」
人の姿も見えないのに、ただの光に話しかけるなんて傍から見たら頭がおかしいと思われるかもしれない。
だがここは夢の中。
僕を見る人は誰一人としていない。
「…トム、」
「…っ、お…まえは…」
光は小さな粒子を放ち、人の姿に変わった。
僕は途端、驚愕した。
目の前に立つのは、写真でしか見たことのない…自分を産み捨てた母親だ。
多少老けてはいるが写真とは変わらない彼女は、僕を見てふと目元を和らげる。
「失礼ね。母親に対しておまえ、だなんて」
夢なら何でもありか。
ごく普通に話しかけてくる自称母親に、奇妙な気分になりながらも僕は息を吐いた。
「…何が母親だ」
「何がって、貴方を生んだのは私なんだから母親でしょう?」
「僕に両親と呼べる存在なんていない」
悲しげに伏せられた彼女の瞳を何故か直視出来ず、言い捨てて視線を逸らした。
「ごめんなさい、トム。あなたをそんな風にしてしまったのは私のせいね…」
「…うるさい」
「でも、私はあなたを愛していた。いえ、今でも愛しているわ」
「やめろ…!」
今更だろう、何もかも。
それに、母親に愛されていようがいなかろうがもう僕にはどうだっていい。
「もう、擦れちゃってしょうがないわね。…でもトム?あなたがカヤさんと出逢ったのは、私のおかげでもあるのよ?」
「…はあ、?」
自信満々に腰に手を当ててニヤリと笑う目の前の女に、イラッとする。
僕とカヤが出逢ったのは彼女のおかげとは一体どういう意味だ。
それよりも何故、こいつはカヤを知っている。
きっと眉間にシワを寄せているであろう僕の表情を見て、クスリと笑いを零した彼女。
「出産の最中にね、思ったのよ。このまま私が死んだら、あなたは独りになってしまうって。…あなたのお父さんは、正気に戻ってしまって面倒を見てくれるとは思えなかったから」
憎き父の話なんて、聞くだけで不快だ。
僕が顔を歪めれば、彼女は困ったように眉を下げる。
「…本当に、馬鹿なことをしたと思っているわ。愛の妙薬なんてものを使ってあの人を縛りつけて、挙句の果てには自分の子供さえも不幸にしてしまった」
ごめんなさい、と小さく謝る彼女にかける言葉は見つからない。
「まあ、それでね?私は考えたのよ。あなたが孤独になんてならないように、あなたを心から愛してくれる人ときっと出逢えるように。…私はあなたに魔法をかけたの」
「魔法?」
「ええ。魔法というよりも、まじないに近いかしら」
ふふ、と上品に笑う彼女は僕の握られた手に自分の手を重ねてきた。
感触はない。だが、暖かい。
どうしてか振りほどく気にはなれなかった。
「トムを愛してくれる人、トムが愛することのできる人が必ず現れますようにって。…まさかそれが別の世界のお嬢さんだとは思わなかったけれど」
にわかには信じ難い話なのに、僕の口から否定の言葉が出てこない。
まさか、本当に…この人は。
「その魔法で魔力もカラカラになってしまって…そのまま体力にも限界がきて私は死んでしまった」
「………」
「でも、私のかけた愛の魔法はきちんと効果を発揮してくれた。だから、信じられないかもしれないけれど私があなたを愛していることは本当なのよ…トム」
まるで縋るように言葉を吐き、それから口を閉ざした彼女は大きく息を吸うとニコリと笑う。
…向けられた双眼は赤く、僕と同じだ。
「人を愛する気持ち、そして愛される気持ち。カヤさんと出逢ったトムならもう分かるわよね?」
「…カヤとは、どうしたらまた会えるんだ」
「そうねぇ。あなたがカヤさんを想う気持ちの問題じゃないかしら」
そう言われて、思わずカッと怒りが沸き上がる。
僕がカヤを想う気持ちが足りないとでも?
こんなにもカヤを切望して、カヤのことを愛してるというのに。
「こーら、勝手に被害妄想膨らませないの。私が言ってるのは、もっとポジティブに考えなさいってことなのよ」
「…どういう意味だ」
「もう。あなた頭は良いはずなのに、そういうところは鈍感なのね」
「っ、そんなことはどうでもいい」
呆れたように笑われて、馬鹿にされたことに不機嫌さが増していく。
だがカヤに会うための手掛かりを、ここで潰すようなことはしたくない。
僕がグッと押し黙ると、彼女は目を見開いて微笑んだ。
「トム、カヤさんと一緒にご飯食べている時は幸せだった?」
頷く。
「じゃあ一緒に寝ている時は?」
また、頷く。
「んー、そうね。あとは…」
「僕は…、」
「………」
「…僕は、カヤと何をしていても一緒にいれるだけで幸せだったんだ」
思い出せばキリがない。
カヤの笑顔、泣き顔、怒った顔。
全てを愛おしいと思い、そんな彼女が僕の隣にいるだけで…僕は確かに『幸福』を感じていた。
「…カヤが傍にいないと僕は幸せを感じられない。彼女がいなければ意味が、ない」
「トム。こうじゃなきゃダメ、ああじゃなきゃ無理、ではなくてカヤさんと過ごしたことを思い出して心の中を幸せで満たしてみなさい」
「幸せで…」
「ええ。そして…また必ず会える、またあの幸せな日々をカヤさんと過ごせるようにと強く願うの」
そうすればきっとあの呪文がカヤさんを呼んでくれるわ。
そんな言葉と一緒に、手から頭へと暖かさが移る。
彼女の手は僕の頭をゆっくりと撫でていた。
「ふふ、もう分かったわね?あなたがカヤさんのことをとても愛していること、そしてカヤさんも同じくらいあなたを愛していることをきちんと分かっていれば大丈夫よ」
そして、頭の温もりも消えて目の前の彼女はニコリと優しく微笑んだ。
「お別れね。…私が言ったこと忘れちゃだめよ、トム」
「ー…母さん、」
自然と口をついて出た言葉。
目を見開いて一筋の涙を流した彼女は、一瞬だけ強く光って消えていく。
愛されていた、僕の知らないところで。
そして母さんが、僕とカヤを巡り会わせてくれたという事実。
整理するにはまだ頭が追いついていなかった。
だけど、1つ分かるのは。
母さんが言っていた、あの呪文。ダンブルドアからの課題にもなっていた、その魔法。
今の僕ならきっと…。
「…カヤ、待ってて」
目覚めて、小さく呟いた。
(君との幸せを願って)