庇護 知らない匂い、知らない気配。 鼻と身体で感じたそれに、瞳が開く。 「目が覚めたか」 野太くて低く落ち着いた声、そして嫌でも目につく真っ赤な天狗のお面。空模様の羽織。 わたしが感じた知らない気配の持ち主がいた。 彼からは敵意や殺意はない。 けれど知らない人間相手にはもちろん警戒心を解くことはするべきではない。 「、っけほ。あな、たは…?」 「わしは鱗滝左近次。お前を此処へ連れてきたのは冨岡義勇という鬼殺の剣士だ。覚えているか?」 冨岡義勇。名前だけを頭の上に浮かべてみてもすぐには思い当たる人が見つからなかったが、鬼殺の剣士と聞いてやっと思い出せた。 鬼である禰豆子を斬ろうとして、禰豆子を守ろうとした炭治郎に怪我を負わせて…。 「ッあ、禰豆子と炭治郎は…!?」 「義勇によればお前の妹弟も此処へ向かっているとのことだ」 「……ふたりとも、無事?」 瞳の奥が熱くなって涙が零れそうになるのを必死に我慢した。安心するにはまだ早い。この目できちんと禰豆子と炭治郎が無事な姿を見るまでは。 「鬼に変貌している妹を無事だと言っていいのなら無事だろう」 「…………」 「お前、名は何という」 「…竈門月子」 鱗滝は厳格な雰囲気を崩すことなく、お面越しでもよく分かるほどわたしを見つめる。 「竈門月子。妹が人を襲い喰らった時、お前はどうする?」 「禰豆子を殺してわたしも死ぬ」 冨岡という男に答えた時と同じように、わたしは間髪入れずにそう答えた。 気分が悪かった。とても不愉快だ。 赤の他人に確かめられる必要も筋合いもないわたしの覚悟を、こうして問われ、試されることが。 「鬼殺の剣士になる意志はあるか」 「そうすることが、家族を殺し禰豆子を鬼にした奴への近道となるのならば」 ―――わたしは幾らでも鬼を斬る。 そう続ければ、彼は少しだけその雰囲気を柔らかくさせてわたしの頭に手を乗せた。 ……温かくて、大きな手だ。 家族の温もりを思い出して、グッと目の奥が熱くなる。でも違う、同じじゃない。もう―――戻らない。 「鱗滝、さん。…わたしは一刻も早く、仇である鬼を探したい」 「気持ちは分かる。だが事を急いても良いことはない。まずは、」 鱗滝さんの言葉を遮るように立ち上がり、近くに掛けてあった彼の所有物であろう刀を手に取った。 それを帯に差し、こちらを見上げる表情の変わらない天狗の面を見下ろす。 「戦えるか戦えないか、自分の目で確かめて。わたしは、何も知らないただの女じゃない」 ■ ■ ■ 鱗滝と月子は狭霧山を下り、炭治郎と禰豆子の元へと休むことなく足を動かしていた。 鱗滝は遅れることなく自分の速さについてくる彼女に驚いて面の下で何度も視線を寄越しながら、頭の中では弟子である義勇が彼女を自分の所へ連れてきた時のことを思い出していた。 「鬼殺の剣士になりたいという少年を此方に向かわせました。丸腰で私に挑んでくる度胸があります。 身内が鬼によって殺され、生き残った妹は鬼に変貌していますが人間を襲わないと判断致しました。 少年の方はあなたと同じく鼻が利くようです。 もしかしたら、突破して、受け継ぐことが出来るかもしれません。…どうか育てて頂きたい」 次の任務まで時間がないのか、普段は無口な義勇が珍しく口早にペラペラと鱗滝に状況を伝えた。 鱗滝は面の下で低く唸る。 鬼になった者を連れながら鬼を滅する組織である鬼殺隊に入る。それが鬼殺隊にとって大きな問題であることは、考えなくても分かることだ。 「少年に関しては、勝手ながらあなたにお任せしたいと思っております。素質を見い出せぬのであれば、致し方ありませんので」 彼女のことですが、と義勇は己の腕に横抱きにしている美しい少女を見下ろした。 「……彼女は、強い」 「強い?」 「はい。彼女も丸腰で向かってきましたが、少年の時とはまるで違う。…私から刀を奪い、体勢を崩され、刀を突きつけられました」 鱗滝は僅かに目を見開いて驚いていた。 鬼殺隊でも最高位の柱≠ナある義勇相手にそこまでのことが出来るのは、確かに只者ではない。 「義勇、お前はどう見る」 「…彼女ならば今すぐにでも」 短く返答した義勇は鱗滝の家の中に月子を寝かせると、半々羽織を翻してその場を去っていった。 義勇からその話を聞いた時、そして彼女が目を覚ました時も半信半疑だった。 だがそれは今、鱗滝の中で確信に変わっていた。 山を下りる際に仕掛けられた罠を、まるで分かっていたかのように尽く回避する並外れた運動能力。 日が沈み夜になり、目の前に現れた鬼たちの頸を素早い動きで一瞬にして撥ね飛す戦闘能力の高さ。 鬼を斬るのは初めてのことだろうに、躊躇いなく刀を振るい胴体を斬り裂いても死なないと分かればすぐに頸を斬ってみせた度胸と聡明さ。 そして鬼を斬る時に彼女から漏れる、己が使う水の呼吸とはまた別の呼吸。 「…………」 月子が自分で言っていたように、何も知らない¥翌ナはないことは確かだった。 |