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崩壊



幸せが壊れる時はいつも、血の匂いがする。



はらりはらりと粉雪が舞う朝。

いつもと同じように竈門家で一番最初に起床した月子は、冷水で顔を洗い、花を摘んで父の墓へ供え手を合わせる。
家に戻ると母が起きて朝餉を作っていて、その間に月子は洗濯。次に炭治郎が起きてきて弟と妹たちを起こし、みんなで小さな畑の手入れをしたり薪を割ったり掃除をしたり。

たまに雪合戦やら雪だるまを作りながら遊び、昼餉を済ませた後、炭治郎は炭売りに町へと下りる。
それを見送り、それから月子は今日は自分も花や薬草を売りに行くと炭治郎とは別の町に向かう。

炭治郎や月子と一緒に行きたいと駄々をこねる茂と花子、それと拗ねる竹雄を母があやし。六太をおぶる禰豆子に『行ってきます』と声をかけて彼女の頭を撫でて月子は山を下りた。

いつものように、この一日が平和に終わるものだと誰もが信じて疑わなかった。





■ ■ ■





思ったより遅くなってしまった、と月子はもうすぐ山に沈みそうな太陽を見上げてキュッと眉間に皺を寄せる。

月子が向かった東の町では風邪が流行っていたらしく、予想外にも薬草が売れるに売れたのだ。
本当はもっと早く帰ってくるつもりだったが、ストックしておいた薬草も多かった為に全て売れるまで町に長居してしまったのが原因だった。

炭治郎はもう既に帰っている頃だろう。
自分も早く家に帰らねばと、どこか胸騒ぎがして気が付けば足は素早く地を蹴っていた。





家に着く頃には昇ったばかりの月が顔を出していて、あたりは暗くなっていた。


「はあっ、はぁ…っ」


長い道のりを休まずに走ってきた月子は当然の如く激しい息切れを起こしていたが、彼女の荒くなる呼吸の原因はそれだけではない。

何故、家に明かりが灯っていないのか。
仄かに香るこの鉄錆のような匂いは何なのか。
暗闇の中に見えるあれ≠ヘ、何だ。

月子はドッドッと早くなる心臓をギュッと抑えて、それからいつも護身用として持っていた小太刀を手に持って家に近付いた。


「………、っ」


信じない、信じない。信じたく、ない。

家の戸の付近に折り重なるように倒れているのは、禰豆子と六太だ。
着物は血塗れで、地面にも血溜まりが見えた。


「ね、ずこ…っ?六太…!」


辛うじて絞り出せた声は消え入りそうなほど小さいものだった。

生きているならすぐにでも医者に見せなきゃ助からないほどの出血なのに。そう分かってはいるのに、月子の足は一歩たりとも前に進まない。


「…、っ……」
「―――…ッお母さん!?」


家の中から確かに、母が自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

弾かれたように顔を上げた月子は、先程まで一歩も踏み出せなかった足を動かしてすぐに家の中へと入っていく。


「……う、嘘だ……」


家の中は、外よりも凄まじかった。
至る所に血が撒き散らされていて、竹雄も茂も花子も。みんな目を開けたまま、眠って≠「る。


「、っ…月子…ッ!」
「お母さん、っ!」


血だらけの母が血だらけの手を月子に伸ばす。
月子は駆け寄り、母の手を握った。

握った手は氷のように冷たく、生気を感じられないほどで。近くで感じた母の呼吸も、もう僅かに小さく息を吐くばかりだ。


「お母さん、何が…っ何があった!どうして…嫌だ、死なないで…っ!」
「…月子っ、…逃げ、て…。まだ、ちかくに…ッ」

「―――まだ息の根があったか」


母が最後まで言葉を紡ぐことはなかった。
今まで聞いた事のない声が突然聞こえてきて、それから月子の目に映ったのは腹を何かに貫かれて口から大量の血を吐いて倒れ込んできた母の姿。

月子の顔に母の血が飛び散る。
自分に倒れ込んできた母を恐る恐る見下ろしたら、嫌でも分かってしまった。―――死んでいる。


「何も絶望することはない。私が今すぐにでも、お前も家族の元へと送ってやろう」


その声の主である男は、そう言って目の前で項垂れる女の姿を見下ろした。

家族を殺されて心神喪失でもしたのか、ピクリとも動かずに事切れた母親の手を握っている。
朝陽が昇る前にこの女も殺して、この場を去ろう。

男―――鬼舞辻無惨は、その瞳をより紅くギラつかせて月子に向けてその手を振りかぶった。


「………ほう」


振りかぶったはずの手は一瞬で切断され、その場に何百年ぶりかに見た自分の血が飛散する。
鬼である鬼舞辻の腕は瞬時に再生されたが、その間にも月子からの小太刀による斬撃は止まない。

それは恐ろしく、速い。
鬼舞辻は僅かに驚きに目を見開くが、月子の攻撃を見切って刀を掴みそれを握る月子ごと家の外へと吹き飛ばした。

後を追って鬼舞辻も家の外へ出る。
木に打ち付けられた月子はそれでもゆらりと立ち上がり、小太刀を構えて鬼舞辻へと向けたのだ。


「お前は……、!」


鬼舞辻の目に映ったのは、月明かりに照らされた女―――月子の姿。

首筋から頬にかけて浮き出る青白い痣=Bそして月の光に負けないほどの輝きを放つ黄金の双眸。

不覚にもその神々しい姿に魅入られた鬼舞辻。
だがその一瞬のうちに月子は鬼舞辻の目の前に現れ、その首目掛けて太刀を振るう。


「ぐっ……!」


白い首には確かに刃が通ったはずだった。しかし首が刎ね飛ぶどころか、鬼舞辻の首には傷一つ付いていない。
再生能力の高過ぎる鬼舞辻の首は刃が通ったその瞬間には既に再生し始めていたのだ。

傷こそ付けらず未だ無傷な鬼舞辻だが、己の首を脅かされたことによる怒りを募らせていた。

ビキッと顔中に青筋を浮かべ、瞬く間に月子の元へ移動するとその身体を蹴り上げて上空に吹き飛ばし空中で掴みあげて地面へと叩きつけた。


「…私ともあろう者が、油断していた」
「、っ殺す…!殺してやる…ッが、はっ…!」


月子の首を掴み、顔を雪が積もる地に押さえ付け身体の上に乗る鬼舞辻。
圧倒的な力で身体を潰され、月子は内臓のどこかが潰れていくような感覚がしてそれから大量の血を吐き出してしまう。


「お前はここで殺してしまうには惜しい存在だが、生かしておけばあの異常者どもと同じように鬼を狩るようになるのだろう。…それならば、」


鬼舞辻は月子の身体を持ち上げて、月明かりに翳す。内臓を潰され、手足の感覚もなく月子はただ振り子のようにぶらぶらと宙を揺れるしかなかった。

先程まで月子に発現していた痣はいつの間にか消えていた。


「私の血を分けてやろう。鬼となり、人間を喰らえ。お前ならば上手く取り込むだろう」


愉快そうな鬼舞辻の声は、月子にはどこか遠くで言っているようにこもって聴こえる。

…ああ、なんでこんなことに。
月子の瞳にぼやけて映った、家族の亡骸。
脳裏に浮かぶのは愛しいほどの幸せな日々と、家族たちの愛溢れる笑顔。

零れ落ちる涙は、月子の口から首までを掴んでいる鬼化した鬼舞辻の手にとめどなく流れていく。


「…美しくも哀れな女。だが安心するがいい。鬼となればその哀しみも絶望もすぐ忘れる」


鬼舞辻は己の手に滴る月子の涙をペロリと舐め、そして人差し指を彼女の首へと突き刺した。


「っぐ、が…はッ…!」


月子は身体の内側から何かに侵食されていくような感覚に陥り、それならドクドクと血液が脈打つのを全身で感じた。

鬼になる?家族を殺した奴と同類に?
…ふざけるな。鬼になんてなってたまるものか。

月子は自分を掴んでいる鬼舞辻の手を掴んでギリッと爪を立て思い切り引っ掻いた。
鬼である鬼舞辻の手はいくら傷付けようとも数秒足らずで治ってしまうというのに、何度も何度も。


「……………」


鬼舞辻はその様子をただ、無表情で見つめていた。
やがて本格的に苦しみ出した月子を家から離れたところまで放り投げると、鬼舞辻はその場から姿を消したのだった。



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