無幻 最終選別も残り一日に迫った六日目。 自分の弟を見守りに藤襲山へ来た月子の付き添いという面倒な役に任命された時透無一郎は、五日ぶりに会う彼女の様子に驚いていた。 ■ ■ ■ 無一郎はこの数日で山周辺の見廻りや鬼討伐の任務を複数遂行した後の今日、気まぐれで月子の様子を見に来た、が。 無一郎と目が合った瞬間、彼女は彼の傍へと近寄ってきたかと思うと同時にベラベラと弟の成長がどうとか感動したとか―――。 寡黙で無表情でどこか冷たい雰囲気を纏っていた彼女が、白い頬をわずかに紅潮させて興奮したようにその無表情を崩してとにかく語りまくるのだ。 「炭治郎が危なくなったらすぐに助けてあげようと思って見ていたけど、ちゃんと水の呼吸を使ってあんなに大きな鬼を斬った…。ああもう、どうして最初からあの子ならできるって信じてあげられなかったんだろう」 いつまで喋ってるの。うるさいな。 無一郎は鬱陶しい月子の両頬をムニッと掴んで、そのまま横に引っ張った。割と強めに。 「……………」 「………すみませんでした」 自分が暴走していたことに気が付いたのだろう。 先ほどの様子が嘘のように、スッと無表情に戻った月子は、今だに己の頬を抓る無一郎の両手に手を添えて伸ばされて少ししか開いていない口から謝罪を述べた。 ―――いくら姉弟だからって、ここまで好きになるもの?わからない。僕にもそんな人、いた?…覚えてない。思い出せない。 月子の頬から手を放して、無一郎は考える。 『無一郎の無は” ”の―――』 ズキッと頭に激痛が走った。それと同時に、脳裏に浮かぶのは血塗れの、だれか。これは、僕の記憶?倒れてるのは誰?何で倒れてるの?僕は、……。 「…時透さん?」 頭を抱えて唸る無一郎の様子に月子が声を掛けようとした、その時。 「―――ぎゃああああ…ッ!!」 耳を劈くような聞いたこともない酷い悲鳴がその場に響き渡った。もちろん、炭治郎のものではない。しかし最終選別の参加者のものであるのは確かだ。 その悲鳴のおかげで、無一郎の思考は途切れることとなり徐々に頭痛も緩和されていく。 「…じゃあ、行くから。お館様との約束、破ったら駄目だよ」 月子とお館様が交わした約束がどんな内容かなんて、無一郎はとっくに忘れてしまっているのだが。 あ、と月子が声を漏らした時には既に無一郎はその場から姿を消してしまった。 初めて無一郎と顔を合わせた時から、炭治郎とそこまで歳も変わらないだろうまだ幼い彼の、その齢に相応しからぬ雰囲気と輝きのない仄暗い瞳が月子は気になっていた。気になったからといって自ら彼の心に踏み込むさらさら気はない。 ただ柱の名の通り霞のように朧気なあの儚さはいつの間にか消えてしまいそうなほどの危うさを秘めていて、彼から目を離してしまうことに僅かな恐怖を感じたのだ。 「イヤーッ!俺食べても美味しくないからァ…!!やめてぇえええ…え、」 「……………」 無一郎が姿を消していった方向を眺めていた月子の前に突如現れたのは、涙と鼻水まみれの顔で黄色と橙の髪をした男の子。 彼は月子と目が合うと、次の瞬間にはボンッと顔を真っ赤にしてその場で気絶してしまい、次に彼の後を追ってきたであろう鬼が現れる。 「クソが!逃げ足の速いガキだったぜ。何でそんなところで倒れてんのか知らねェが…ヒヒッ、喰っちまお」 鬼がこの場に現れる寸前に月子は近くの木の枝に移動し、姿を隠してその様子を見下ろしていた。 鬼は、倒れている彼に近づいていく。倒れているのが炭治郎であれば今この瞬間、すぐにでも刀を抜いてあの鬼の頸を刎ねているだろう。月子は刀の柄に手を添えて、考える。 いくらこれが最終選別とはいえ、無抵抗な人間が今にも鬼に喰われようとしているのを何もしないで見ているだけなのは…人を守るために鬼を斬る”鬼殺隊”として間違っていないか。 「、ふう………」 この状況に出くわしてしまった自分の運を憎むしかない。助けられたはずの人間を助けないで見殺しにした、なんて何かの拍子に炭治郎に知られたら確実に嫌われる。軽蔑される。それは何としても、避けなければならない。 月子が右の親指でキン、と鞘から白光りする刃をチラつかせた。そして鬼が倒れている彼に手を伸ばし、月子が足を踏み込む―――その瞬間。 「………は、?」 伸ばされた鬼の腕が一瞬で切断されたのだ。斬られたはずの当人すら、呆けた反応しかできないほどの瞬きの一瞬の出来事。 「―――雷の呼吸・壱ノ型 霹靂一閃」 倒れていた男の子はいつの間にか身体を起こし、バチバチと身体に蒼の電気を纏ませ、そしてまさに稲妻の如き速さで鬼の頸を刎ね飛ばした。 彼の動きは月子の目で辛うじて捉えることができていたが、それでも刹那のことだった。 「……え、寝てる…」 頸を失くした鬼の身体がぐしゃっと地面に倒れるのと同じように、男の子も再び地に伏す。 月子がゆっくりと近付いていけば、彼は鼻提灯を膨らませてスヤスヤと眠りについていたのだった。 |