飛び出してきた鬼の頸を刎ね飛ばして、わたしは少し考える。 幼い頃より父から教わった呼吸法は会得したその日から毎日欠かさず寝ている時も続けていた。 木刀で習った刀の扱い方も、父が亡くなった後もひたすらに自分に合う型を追求し続け、基礎体力の向上の為に暇さえあれば山の中を駆け巡った。 それが実を結んだと考えたにしても、人間を遥かに上回る力を備えた鬼を初めて相手してここまで動けるものなのだろうか。 自分の身体なのに自分のものでは無いような、いつもとは明らかに違う身体の感覚に戸惑う。 一方で、いつもと同じように口から漏れる吐息は底冷えするほどの冷気を宿し、それが頬を掠めれば刺すような寒さを感じた。 「…………」 鱗滝さんの横を走りながら大きく息を吐く。 そして、ふと目に入ったのは水溜まりが凍ってできた氷面(ひも)。 地面の至るところにある氷溜まりに目を向ければ、氷の気の流れが色付いて鮮明に眼に映る。 わたしが、氷の呼吸≠使っているから。 「月子、その呼吸…誰から教わった」 「…父から。でもわたしが教わったのは基礎となる全集中の呼吸。そしてその常中だけ」 鱗滝さんの問いに答えて、片耳にだけぶら下がる耳飾りに少しだけ触れた。 全集中の呼吸は基礎となる呼吸法。それが出来るようになればより自分に合った呼吸を見つけて会得することができるとお父さんは言っていた。 自分に合った呼吸、それがわたしの場合は氷。 氷の呼吸が使えるようになったのはお父さんが死んでしまった後のことだったから、この呼吸を使って具体的にどういうことが出来るのかまだ何も自分でよく分かっていない。 ただ闇雲に氷の呼吸を使って、ひたすらに刀を振っているだけ。このままじゃ…強くはなれない。 あいつを、殺すことは到底できない。 「ッ……、!」 今この瞬間も、あの男がのうのうと生きていると思ったら、わたしの思考や感情はいとも簡単に怒りと憎しみに支配されていく。 それを制御するようにグッと刀を握りなおしたところで近くに感じた鬼の気配と、それから―――。 「炭治郎……」 木の幹に斧で張り付けられているのは鬼。頸から下が存在せず、頭から両腕が生えていた。 そしてその鬼に止めを刺そうとしている炭治郎。 その身体は震えていて、この距離からでも分かるほどに呼吸が荒くひどく乱れている。 いい、やらなくていい。炭治郎。 炭治郎はわたしとは違う。太陽の光のように暖かく心優しい子。刀を握るのはわたしだけいい。手を汚すのはわたしだけでいい。 わたしが守る。鬼はすべて、わたしが斬るから。 家族を殺したあいつも必ず殺す。だから………。 「―――ここで待て」 「…っ、何故」 足を踏み込んで、刀の柄に手を添えて。 すぐにでもあの鬼に止めを刺そうと体勢を低くすれば、鱗滝さんが有無を 言わさぬ地を這うような声音でわたしを止める。 異議を唱えるわたしに目もくれず、鱗滝さんは震える炭治郎の背中に近付いていった。 ■ ■ ■ 夜になって、初めて鬼という存在をきちんとこの目で目の当たりにして俺の頭は混乱していた。 禰豆子に首を蹴られて胴と離れ離れになっても死なない。その上、頭から両腕が生えてきたりする。 やっとの思いで頭だけの鬼を斧で木に張り付けて、気を失っている鬼を見つめながら持っていた小太刀の鞘からその刃を抜いた。 「……はぁっ、はぁ…!」 鬼は、たくさんいるのだろうか。 この鬼は家に残っていた匂いとは違う、別の鬼。 …でも、止めを刺しておかないとまた人を襲う。だから、俺がやるんだ…! 呼吸が荒くなっていき、手の震えはやがて身体の震えに変わっていく。 鬼をとはいえ元は人。命を奪っていいのか、俺が。 いや迷うな。この鬼は何人も人を喰っていた。ここで俺がやらなければ、この先また罪のない人達が犠牲になることになってしまうかもしれない。 やれ…!!と自分に力強く言い聞かせた時だった。 「…っ、ひ…!?」 「……そんなものでは止めは刺せん」 肩に誰かの手が触れて、驚いて後ろを振り返るとそこには天狗の面を付けた人がいた。 気配も、足音すらも聞こえなかった…。 「ど、どうしたら止めを刺せますか?」 「人に聞くな。自分の頭で考えられないのか」 刺してもダメなら、頭を潰すしか―――。 そう考えて、大きめの石を探し、手に持って再び未だに気絶している鬼の前に立った。 …頭骨を潰すにはやっぱり、何度か石を打ち付けないと。苦しむだろうな。一撃で絶命させられるようなものはないのか…。 石を手に持って数分の間、俺は何か別の方法はないかと固い頭でも懸命に考えを巡らせていた。 そうこうしているうちに、高い木々の間から夜明けの太陽が覗かせて強い光を照らした。 すると、目を覚ました首だけの鬼はボロボロと皮膚を崩していき…まるで太陽の光で灼けるように灰になって消えていったのだ。 「…は、っ…!?」 陽の光に当たっただけであんなことになるなんて…!禰豆子が嫌がるはずだ。 そういえば禰豆子は、とキョロキョロと辺りを見回してもさっきまで近くにいたはずなのに姿が見えない。まさか、あの鬼のように…? 「…禰豆子!禰豆子ぉー!?」 叫ぶように名前を呼んで、それから近くにあった建物の中へと走っていって中を覗く。 「大丈夫、炭治郎。禰豆子はここにいる」 「………は、え?」 そこには、腰に抱き着いている禰豆子の頭を優しく撫ている月子姉さんの姿があった。 あの時、俺が鬼斬りの男の人に気絶させられてそれから目を覚ました後。しばらくして禰豆子が目を覚ましたけど、姉さんはずっと眠っていた。 そうしたらあの男の人が、鱗滝左近次さんという人を訪ねろと言ってくれて眠ったままの姉さんは先にその人の所へと連れて行くと俺の返事も待たずに姉さんを抱えていなくなってしまった。 そのはずの姉さんが何でここにいるのかとか気になることはあるけど、とにかく無事なことを確認できてすごく安心して少し涙が出る。 「炭治郎、おいで」 「…っ月子姉さん!」 建物の中に入って、禰豆子と同じように姉さんに抱き着いた。 少し匂いが変わったような気もするけれど、でも気にならないくらい俺の大好きな姉さんの匂いがふわりと包み込んでくれる。 「…ごめん。皆を守れなくて、ごめん」 「姉さんが謝ることじゃない!俺が、俺が…家があんなことになってることも知らないで呑気に人の家に泊まってなんかいたから!!」 姉さんは俺の頭を撫でながら、そして何度もゆっくり顔を横に振った。 「…炭治郎と、禰豆子が生きていてくれて良かった。本当に。これから先、何があっても」 ―――わたしが命に代えても守るから。 姉さんの声はか細くも力強くて、雰囲気が変わった…?と疑問に思って顔を見上げて、きちんと正面から目が合ってようやく気付く。 月子姉さんの瞳はまるで、月とも太陽とも例えられるくらい神々しい黄金色の光を宿していた。 |