―――どうして。どうしてこんなことに。 積もった雪で足がもつれて思うように動かない。 それでも今自分が背負っている妹だけは、何としてでも救いたい。救わねばならない。 「はっ、はあっ…。禰豆子、もう少し頑張ってくれ…!」 背に感じる人の体温を感じるたびに、禰豆子はまだ生きていると実感できて安堵した。 こんなことになるなんて思ってなかった。思うわけない。家族が…母ちゃんが、竹雄が、花子が、茂が、六太がみんな死んでいるだなんて。 俺が無理やりにでも昨夜、家に帰っていれば何かが変わったのか。分からない。理解できない。したくない。 ただただ胸が苦しい。思考も感情もぐちゃぐちゃで、気を抜いたら発狂してしまいそうだ。 「うっ…は、は…っ!」 家に姉さんの姿はなかった。 だとしたら姉さんは生きている。生きているはずなんだ。そうだと、今は願うしかできない。 まず今やるべきことは、唯一息のあった禰豆子まで死なせてしまう前に山を下りて一刻も早く医者に診てもらうこと。 そうしないと禰豆子まで―――。 「禰豆子、死ぬなよ。死ぬな。絶対助けてやるからな。死なせない。兄ちゃんが絶対助けてやるからな…!」 自分を奮い立たせるためにもそう言い続けた。 背中でいきなり暴れ出した禰豆子に驚いて足を滑らせた俺は崖から禰豆子ごと落ちてしまった。 下が雪じゃなかったら―――そう思うと冷や汗が止まらない。 禰豆子は大丈夫だろうかと辺りを見回していたら、唐突に身体に衝撃が走り、地面に押し倒される。 「っ、禰豆子…!?」 俺の上に乗る禰豆子は血走った目をしていて、開いた口からは涎と鋭い牙が覗いていた。 ―――鬼だ。三郎爺さんが話してくれた人喰い鬼の話を今思い出した。 禰豆子が人喰い鬼?いや、違う。…禰豆子は人間だ。生まれた時から。だけど匂いが、いつもの禰豆子じゃなくなってる。 でも家族を殺したのは禰豆子じゃない。六太を庇うように倒れていたし、口や手に血は付いていなかった。そして微かに姉さんの匂いと、もうひとつ―――。 「がァ…ッ!」 禰豆子の身体が大きくなっていき、それにつれて俺を抑える力も強くなっていく。 「っ、禰豆子!頑張れ禰豆子!鬼になんかなるな!しっかりするんだ。頑張れ、頑張れ…!」 俺が他所の家でぬくぬくと寝ていた間、みんなはあんな惨いことに。助けられなくて、ごめん。 せめて、せめて命が助かった禰豆子だけでも何とかしてやりたい。 俺を押さえつける禰豆子の両目から涙が零れ落ち、俺の視界も自分の涙でぼやけていくのが分かった。 ―――その時。 禰豆子の背後に人の影が見えて、その人から出る殺気に気付いて咄嗟に禰豆子を自分の方に引き寄せて振りかざされた斬撃を避けた。 「なぜ、かばう」 静かな声で聞いてきたのは左右で柄の違う羽織を着て、仄暗い青の瞳をした男の人。 手には刀を持っていて、それでさっき攻撃されたのだと分かる。 「妹だ。…俺の、妹なんだ!」 「それが、妹か?」 そしてまた、彼がこちらへと来ようとした瞬間にもがき苦しんで叫ぶ禰豆子をギュッと抱き締めた ―――はずだった。 「禰豆子…!!」 いつの間にか俺の傍からいなくなった禰豆子は、半々羽織の男に捕らわれていた。 「俺の仕事は鬼を斬ることだ。勿論、お前の妹の首も刎ねる」 「待ってくれ!禰豆子は誰も殺してない…!俺の家にはもうひとつ、嗅いだことのない誰かの匂いがした。みんなを殺したのは、多分そいつだ!」 禰豆子をどうにか殺されないようにと必死な俺は気付かない。 嗅ぎ慣れた匂いの持ち主がすぐ傍にいることに。 「禰豆子は人を喰ったりしない!」 「よくもまあ今しがた己が喰われそうになっておいて、」 「違う!俺のことはちゃんと分かってるはずだ…。俺が誰も傷付けさせない。きっと禰豆子を人間に戻す!絶対に治します!」 「―――治らない。鬼になったら人間に戻ることはない」 怖いほど淡々と述べる彼は、また刀を構え直す。 やめてくれ。お願いだ。 もうこれ以上、俺の家族を奪わないでくれ。 妹を殺さないで。 「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」 頭を下げる俺に降り注いだのは、無表情だったはずの彼の怒りの声だった。 「惨めったらしく蹲るのはやめろ!そんなことが通用するならお前の家族は殺されていない。奪うか奪われるかの時に主導権を握れない弱者が、妹を治す?仇を見つける?―――笑止千万!!」 「………っ、」 「弱者には何の権利もない。悉く力で強者にねじ伏せられるのみ!妹を治す方法は鬼なら知っているかもしれない。だが鬼共がお前の意思や願いを尊重してくれると思うなよ」 叫びは山中に響いていた。 「当然、俺もお前を尊重しない。それが現実だ。なぜさっきお前は妹に覆い被さった。あんなことで守ったつもりか!?なぜ斧を振らなかった、なぜ俺に背中を見せた!そのしくじりで妹を取られている。お前ごと妹を串刺しにしてもよかったんだぞ…!」 そして彼は、禰豆子に刀を突き刺す。 呼吸が荒くなって、頭が真っ白になって。 俺は雪の中に埋もれた石を投げてすぐに立ち上がり、禰豆子の元へと駆けた。 「あああー…ッ!」 斧を投げ、そのまま猛進する。 勿論俺の行動は見切られて、刀の柄で思い切り頭の後ろを殴られてぐわんぐわんと脳が揺れた。 視界が霞んで、意識をたもっていられなくなる。 「…、炭治郎…っ!」 完全に意識が沈む前に聴こえた声に、こんな状況だというのに安心してしまって俺はそのまま気を失った。 |