別世界の居候人
本当に、魔法使いなんだ。
色々な呪文を唱えて何かを確かめるように木の棒…たぶん杖を振って物を動かしたり引き寄せたりしてる目の前の彼を呆然と見つめた。
そんな時、チラリと紅みが引いた瞳に一瞥されて自然とピンと背筋が張る。
もう…なんだか怖いんだけどこの人。
「魔法は普通に使えるみたいだ。…許されざる呪文は、試す対象がいないからきちんと効果が出るか分からないけれどね」
「許されざるって言うくらいだから、それなら使わない方がいいんじゃ…」
「服従の呪文、磔の呪文…そして死の呪文」
「、死の…」
「…ああ、ここに試せる対象がいたね」
気味悪いくらいに綺麗に、彼の口角が歪んだ。
その瞳はギラギラとまた紅く輝き出して、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなって…何の言葉も出てこなくなってしまう。
「まあ、君に試す気はないよ。…今はね」
…あんまりそうやって人を弄ぶようなこと言うのやめてほしいな。
「そうだな…僕が此処へ来たことに何か意味があるかもしれないし、ないかもしれないけど…」
姿現しもできない、魔法界がないとなると此処は僕がいた世界とは少し異なる世界なのかもしれないな。
そんな突拍子もないことを呟きながら家の中を土足のままウロウロし出す彼を前に、わたしはただ項垂れるしかなかった。
…拾わなきゃ良かったのかな、猫ちゃん。
いや、彼があの猫だって確証もないしそれを今更悔やんでももうこうなっちゃったら後の祭りだ。
「…でさ、あなたどうするの?すぐ帰れるの?」
「さあね。でも帰れないなんて有り得ない…僕にはこれからあの世界でやるべきことが山のようにあるから」
「それは、いいんだけど。帰れるまでどうす、」
「さっきも言っただろう?…責任もってって。僕があっちに帰れるまではここにいるから」
「わ、わたしに何の責任が…っ」
噛み付こうとすれば、彼はニッコリ笑顔のまま杖をクルクルと指先で弄びながら…
「ねえ、さっき僕が言った3つの呪文の中で君はどれが…好き?」
そう問いかけて、わたしと視線と合わせてきた。
目が、笑ってない…冗談抜きで怖い。
さっき彼が魔法を使うところをきちんと見てしまったから尚更、きっと言う事聞かないと。
許されざる呪文、死の…。
はあ…わたしまだ、死にたくないもんなぁ。
「…分かったよ、分かった。幸い部屋はここ以外にもうひとつあるし、そこを好きに使っていいよ」
「そっか。分かってくれたようで何よりだ」
あーもう腹立つその作り笑顔。
思いっきり睨みつけてみるが、彼はそれに気付くと肩を竦めてまるで第3者かのように知らんぷりをする。
はあ、とまた大きく溜め息をついた時にふと目に入ったデジタル時計の数字を見てわたしの目は大きく開かれることになった。
「えええやっば…!もう6時半じゃん!遅刻する…っ」
職場まで歩いて30分かかる。
今朝は早番でわたしが事務所を開ける当番だ。
7時には着いていないとまずい、ってことはもう準備なんてしてる暇はない。
わたしはそれはもうバタバタと電光石火の如く着替えだけ済ませて、最低限の化粧道具をカバンに放り込んだ。
「わたし明日は休みだから、細かいことは明日決めよう!ごめんけど、今日は家の中で大人しくしててね!」
「ちょ、」
彼の端正な顔にグイッと近付いて、必要なことだけを言い放って即座に玄関へダッシュ。
そりゃ不満もあるだろうけど、今はそれを聞いてあげる時間も余裕もない…!
「んじゃ、いってきます!あ、ちゃんと鍵掛けといてよねー!」
何か言いたげで不機嫌そうな顔をしてる彼を見届けて、わたしは部屋から出た。
いってきます、なんて言ったの何年ぶり?
そんなことを思いながら、わたしは転ばないように早足で職場へと急いだのだった。
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