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黒猫は魔法使い1



この世に生を受けて約22年。
今日ほどビックリすることはなかったし、きっとこれからもないと思う。

そう思うくらいに、わたしは今とてつもなく驚いていた。


「は、え…?ねこちゃんはいない?…え、人?」


朝目を覚ますと、やけにベッドが狭く感じて。
不思議に思ってふと隣を見れば、そこにいるはずの黒猫はいなくて…代わりにいたのは男の人。

しかも顔立ちからするに、日本人じゃない。
泥棒とは考えにくい、だってこんな無防備に寝てる。

ストーカーによる不法侵入?
…いやないない、こんなイケメン外人さんがわたしなんかストーカーしてどうする自意識過剰か。

時間を見ればまだ朝の4時で、だけどこの状況で二度寝する気にもなれないし二度寝してる場合かって話だし。


「お、おーい…」


起きてほしい、けど起きて欲しくない。
そんなどっちつかずな感情のせいで、声は自然と控えめになってしまう。

わたしはとりあえずベッドから素早く抜け出して、少し離れたところからジッと観察してみた。

昨日の黒猫と同じように、身動き1つせずにただただ規則正しい静かな寝息を繰り返す彼。

真っ黒で真っ直ぐな艶のある髪に、スッと高く形の良い鼻に、ベッドからはみ出る長い足。
着ているのは真っ黒なローブのようなもので、キュッと締められた緑色のネクタイが少し苦しそう。


「ふあぁー…」


ただでさえ残業だったのに、こんな早く起きてしまったせいか今めちゃくちゃ眠い。でも寝れない。

…コーヒーかエナジードリンクでも飲むか。
日頃の残業続きに、そういったアイテムを常備しておいてよかった。

よし、と立ち上がるのに少し気合いを入れようとパチンと軽く自分の頬を叩く。


「…いたたた」
「…who、」

「え、?」


頬を叩いた衝撃で瞑ってしまっていた目を開けると同時に聞こえてきた声と、英語。

そしていつの間にかベッドから起き上がって、わたしに細長い木の棒を向ける彼。

彼のその紅い瞳が絡みつき、逸らせない。
わたしは息をするのさえも忘れたかのように、ピタリと体が硬直した。


「where is here」


ここはどこだ。


「who are you」


おまえはだれだ。

比較的簡単な単語で構成された英文を頭の中で翻訳して、やっぱり外国人だったんだと呑気に思った。


「こ、こは…」


あ、日本語じゃダメだ。

えっと…と記憶にある思いつく単語で必死に英文を作り出そうと頑張った。


「this is Japan.あー、っと…My name is Kaya」

「Kidnapping me, what do you want to do?I think that it is a little extreme for fans' actions」
「ちょ、待って待って…!」

「…what?」


ペラペラと流暢な英語なんて喋られても生粋の日本人のわたしには何言ってるやらサッパリだ。

彼は不機嫌そうに言葉を漏らし、ゆっくりとベッドに腰掛けてその長い足を組む。


「Im Japanese.I only speak simple English」


とりあえず日本人だから簡単な英語しか分かんないよー、と伝えれば彼は顎に手を添えて考える仕草をして見せた。

げ、今気付いたけどこの人靴履いてるんだけど。
カーペット新調したばかりだったのに…ぐすん。

その悲しみに耽ってスンスン鼻を鳴らしていると、彼はおもむろに木の棒をわたしに向けた。


「言葉、これで分かるだろう?」
「あ、わ…分かる」
「そう。それで、君は一体誰?ホグワーツに君みたいな東洋人なんて僕の知る限りでは見たことないんだけど…」
「ホグワーツ、ってなに?」
「何って…、おまえ本当に…何者?」
「…うっ、!」


言葉が通じるようになったのもビックリだけど、いきなり木の棒を首元に強く突きつけられたのにはもっとビックリした。

棒の尖った部分が首に食い込んで痛い。

でもその時ふと、ローブから伸ばされた彼の手を見てわたしは思わず目を見開いた。

左手に包帯…って、昨夜の猫ちゃんを手当てした場所と同じところ…。
まさか、この人って…あの黒猫なの?


「わ、たし…昨日の夜に道で黒猫を拾って家に連れて帰ってきたの。それで自分のベッドに寝かせてわたしも一緒に寝て…起きたら、隣にはあなたがいた」

「…はあ、もっとマシな嘘つけない?」
「嘘じゃないって…!大体なんでわたしがあなたをこんな誘拐みたいなことしなきゃならないの?」

「さあ?だって君、僕のファンなんじゃないの」
「ファンって…。申し訳ないけど、あなたとは今この時が初対面だしそれは100%ないから」

「それじゃあ僕がこんな所にいる説明がつかないだろ」
「だから、わたしだって知らないってば!わたしは猫を拾ってきただけで、あなたをここに連れてきた覚えはないよ」


何この人、自覚あるイケメンとかタチ悪い。
確かに美形かもだけど、初めて会った人に対して僕のファンだろとかよく言えるな。恥ずかしげもなく。

わたしは大きな溜め息を吐いて、黙った彼の言葉を待った。


「…ちょっとこっち向いてくれる?」
「はい?」
「そのまま、僕の瞳を見て」
「…っな、」


ベッドから移動してわたしの目の前まで迫った彼は、わたしの顎に手をかけてクイッと顔を上げさせる。

無理やり合わせられる視線に、急に恥ずかしくなって今すぐ顔を隠したいのにできない。

視線が交わって数秒後、彼が何か小さく呟いた途端にヒュッと胸が苦しくなる。

まるで何かが身体に押し入ろうとしてるみたいに。


「あ、…っ」


感じたことのない感覚に恐怖を感じて、わたしは彼の手をギュッと強く握る。

頭の中を、昨日のわたしの記憶が走馬灯のように高速に流れていった。


「…まさか、」
「…っ、はあ…はぁ」


彼の瞳と苦しさから解放されて、わたしは息を整えるのに必死だ。

一体わたしに何をしたんだ、この人は。
まるで、まるで頭の中を覗かれているような。

あんな感覚、できることなら二度と味わいたくないと思うほどに今の気分は最悪だった。


「…君の記憶を見させてもらった。嘘は言っていないみたいだね」
「き、きおく…見た?そんなことできるの」
「ああ、僕は魔法族だからね」
「…魔法?」
「まあ、いい。僕はこんな所にいる暇はないんだ。…帰るよ、お邪魔したね」


余所行きのニッコリ笑顔をその綺麗すぎる顔に貼り付けて、彼は目を閉じてパチンと指を鳴らす。

するとどういうことか、彼の身体は渦のように一点に集まっていき…バチン!と音を立てて消えてしまった。


「…いったい、何だったの本当に」


奇妙な体験をしたなぁ、と呟いて顔でも洗ってくるかと立ち上がったその時。

彼が消えたときに鳴ったのと同じようにバチンという音が聞こえた。


「え…、あれ?」
「………」


先程消えたはずの彼が、それはもう驚きを隠さずに破顔して突っ立っている。

え、なんか戻ってきたんだけど。
忘れ物?魔法族とか言って突然消えたし、もしかしたら口封じで殺される!?


「…姿現しが、できないなんて」
「へ、なに…?」
「まさか、ここには魔法界が存在しない…?」
「まほうかい?」
「…おい、」
「ひ…!な、なに!」

「帰れなくなった。責任もって帰れる方法、探してよ」
「はあ…!?」


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