07
辛そうな顔をしたロシナンテから語られたローという子の生い立ちは、わたしなんかの非じゃないくらい凄惨で…聞いてるだけでも苦しくなるようなものだった。
でも、そんな絶望の淵に立たされたローの希望の光となったのは…彼を助けたいと強く願い、命を賭して行動したロシナンテの存在だったんだろうって。
―…ロシナンテは心の優しい、あったかくて太陽みたいな人。
だからわたしも、こんなにも彼に惹きつけられてしまうのかもしれない。
□ □ □
水族館に行った日からというもの、ロシナンテはどこか変だった。
わたしと目が合えばすぐ逸らされて、ふと手が触れれば光の速さでバッと離れていく。
ソファに座る時はいつもわたしの隣に来ていたのに、床に胡坐をかいて座るようになった。
明らかに避けられてる。
…わたしは自分でも気づかないうちに、何か彼の気に障るようなことでもしてしまったのだろうか。
「はあー……」
「でっかい溜め息吐いてどうしたんだよ?らしくないね」
そう言って笑う目の前の男は、大きな大学病院で看護師をしている学生時代からの友人である稲森だ。
久しぶりにお茶でもどうかという誘いのメッセージが入ったのが昨夜のことで、本当はロシナンテにも会わせたかったけど…。
避けられてるくらいだから一緒に出掛けるなんてしたくないかなと思って、今朝はまだ寝てる彼宛てに『出掛けてくる』とだけ書いたメモを残してきた。
「その溜め息は…恋の悩みだろ!違うか?」
「は、鯉?何でそんなもんで悩んで、」
「ちがーう!!魚の方じゃなくて恋愛の方だよ恋愛!!」
稲森は大きく声を上げてオーバーリアクションをとる。
だけどわたしの頭の中はハテナだらけで、一概に”恋愛”と言われても、そんなものしたこともないのだからよく分からない。
「はあ…ほんとそういうの疎いよな、学生の頃からさ。男から好きだって言われても、すまし顔で”ありがとう”。それで終わりって…ないぞ普通」
「それのどこがおかしいの?わたしという人間に好意を持ってくれてるんだから、ありがとうって言うじゃん普通」
「それが普通じゃねーんだよ!」
「じゃあ、わたしの普通とあんたの普通が違ったってだけの話だね」
「ぐっ…クソ!この鈍感娘が!」
何故か知らないが罵られた。
好きって感情にも色々あんだよ…と疲れたように肩の力を抜く稲森に、わたしは再び首を傾げる。
好きにも色々な感情がある、なんていきなり難しいことを言うなこいつは。
「例えばだ。俺が今ここでおまえのこと”嫌い”って言ったらどうするよ」
「あっそう、って思う」
「……それだけ?」
「うん、それだけ。あ、面と向かってわざわざ嫌いと言われたら不愉快にはなるけどね」
ああ…俺のガラスのハートにヒビが…。
とか訳の分からないことを言って落ち込み出す稲森が少し気持ち悪い。そりゃ嫌いと思われるよりは好きと思われたほうが良いとは思うけど、わたしは別に周りからどう思われていようがぶっちゃけどうでもいいというか。
「…分かった。質問を変える」
「…………」
「おまえの今の悩みの種である男に”嫌い”だと言われても、そうやって同じように思えるか?あっそう、ってなれんのか?」
―――ロシナンテに、嫌いと言われたら。
「………っ」
そう考えた瞬間、さっきとはまるで違う感情がザワリと胸に広がっていった。
嫌だ、悲しい、寂しい。そんな色んな感情が入り混じって、苦しくなって、息が詰まる。
周りからどう思われようが別にどうでもいい?……違う。わたしは今確かに思った。
彼には、ロシナンテには、嫌われたくないって。
「う……っ」
「は、ちょ!何で泣く…!?」
「っ…分からない」
「ああもう…なんか俺が泣かしたみたいに、」
「――…ナマエ!!」
聴こえたのはわたしを呼ぶ声。
振り向いたらロシナンテがいて、鬼の形相で近寄ってくると、目の前にいる稲森を思い切り殴り飛ばした。
…え、と声が漏れる。
「ぶふぉ…ッ!?」
「テメェ…ナマエに何しやがった!?内容によってはぶっ殺すぞ…!」
吹っ飛んだ先の稲森に跨って胸倉を掴み、ガクガクと揺らしまくるロシナンテ。
何でそんなに彼が怒ってるのか意味不明だけど、とりあえず稲森を助けてあげないとあのままじゃ本当に殺しちゃいそう。
「…ロシナンテ、落ち着いて。何でそんなに怒ってるの?」
「…………」
「ロシナンテ…?」
「…ナマエ、泣いてただろ」
稲森の胸倉から手を離してボソリと呟いたロシナンテは立ち上がり、わたしの目尻を親指の腹で優しく撫でてくる。
―…さっき、なんでロシナンテに嫌われたくないって思ったのか分かった気がする。
きっとそれは、わたしがロシナンテに対して抱くこの感情が、彼のことを特別に想って恋い慕う…”恋愛感情”だったからなんだ。
初めての感情
(あれ、稲森のやつ気絶してる)
(やべ…!きゅうきゅうしゃ呼ぶか!?)
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