憑いた生霊 [3/3]
「わたし、仁王くんのこと大嫌いになった」
「………っ」
「今後もう二度と関わることはないわ。話しかけてもこないでちょうだい」
「…黒峰、さん」
ズキンズキンと胸が痛み出し、仁王は胸のあたりに手を添える。
バクバクと心臓も煩くて、目の前の彼女の瞳に揺るぎはないように見えた。
「ー…なあんて」
「っは、?」
しかしその瞳はすうっと柔らかくなり、沙蘭は静かに笑う。
「仁王くんが振った女の子達に向けてたのは、こんなにも鋭い言葉のナイフなの。人は簡単に傷付くし簡単に壊れてしまう。面倒な気持ちは分からなくもないけれど、またこんな風に命の危険に晒されたくないのならもう少し言葉を選んだほうが良いと思う」
あくまで助言だからどうするかは仁王くんの自由だけれど。
そう続けた沙蘭は、すっと立ち上がって部屋から出て行こうとする。
その手を咄嗟に掴んだ仁王は、首を傾げて自分を見下ろす彼女を見上げた。
「どこ、行くんじゃ?」
「精市たちを呼びに」
「……っ、俺のこと」
「え?」
「俺のこと、大嫌いっていうのは本当なんか…?」
沙蘭へ抱く感情が、果たして恋であるのかは仁王自身も分からない。
如何せん、女に対して初めて抱いた感情なのだから。
だが今一番に仁王が思うのは、そんな彼女に嫌われたくない…とただそれだけだった。
もう手遅れなのかもしれないが、それならそれで汚名挽回のチャンスが欲しい。
「さっき言ったこと?それなら嘘よ。仁王くんに分かってほしかったからただ言っただけ」
「…なら、嫌いじゃない?」
「ええ、もちろん。だってわたし達、まだきちんと直接自己紹介もしてないのよ?」
クスクスと笑う沙蘭の声はやはり高くもなければ低くもない。
耳に心地いいその声音に、仁王はしばし聞き惚れて呆けてしまっていた。
「わたし、黒峰沙蘭」
「俺は仁王雅治じゃ。よろしくなり」
「こちらこそ。じゃあわたし精市たちを呼んでくるわね」
ひらりと綺麗な黒髪を揺らして背を向けて部屋から出ていく沙蘭を見届けて、仁王は大きく息を吐くと布団に身体を預けた。
幽霊とかそういうのが原因とは思ってはいたが、まさか自分自身にとり憑いているものだとは思いもよらなかった。それも、生霊。
「こんなんは二度と御免じゃ…」
そうならない為には、沙蘭の助言通りにこれからはもう少し言葉を選んで接したほうがいいのかもしれない。
「…好きな人にあんなこと言われたら、確かにキツイからのう」
□ □ □
それから。
仁王はまず、覚えている範囲で今まで告白を断ってきた女子達に言葉がキツくなってしまったことに謝罪を入れた。
そしてその後、告白してきた女子に対してもできるだけやんわりと断るようにも努めたようだ。
それが影響してなのか、仁王のモテ具合には今まで以上に拍車がかかっているらしい。
そんなことを風の噂で聞いた沙蘭は、今日も花壇の花たちに水をあげながら今頃テニスコートで輝いているであろう彼らを思い出してクスリと笑った。
「ねえ、沙蘭」
「なあに?」
「好意を持ってくれるのはありがたいにしても、それを断っただけで恨まれるって理不尽だと思わない?仁王の言い方が悪かったんだろうけど、絶対にそれだけが原因じゃないよね?」
「…そうね」
沙蘭と同じ美化委員である幸村が、土いじりをしながらぼやくように言う。
幸村の言うように、仁王から酷いことを言われたというだけの理由で彼女たちが生霊を飛ばしたわけではない。
仁王に向ける想いが大き過ぎ、そしてその彼への執着が生霊となったのだ。
その中には意中の彼に名前すら覚えられていない人もいたが、そこまで関わりがあったというわけではないのだろうと思う。
あまりよく知りもしない人をよくもまあそこまで好きになれるものだ、と沙蘭は悪い意味で感心すらしてしまうような事件だった。
「俺たちの外見しか見えてないような奴らに好きだなんて言われても、そりゃあ受け入れるわけなんかないだろうに」
「あら、外見にも好みは色々あると思うしそれもその人に好意を寄せる理由の1つになると思うけれど」
「顔だけ好きになられてもね」
「それはあなたが周りに素を見せようとしないからじゃないかしら?」
「―…本当の俺を知ってる女なんて、おまえだけでいいよ」
幸村の呟きは、沙蘭の耳には届かないほどの小さなものだ。
今回の仁王の件があってから、沙蘭は男子テニス部レギュラー全員と面識を持つことになった。
それは幸村にとって良いことであり、それと同時に密かに避けたいと思っていたこと。
幸村の中での沙蘭が特別であるように、沙蘭の中での自分が特別でありたいと思うからだ。
「そういえばこの間、サルビアが綺麗に咲いていたから蜜を吸ってみたのよ。そうしたら口に蟻が入ってきてね」
「…バカだね」
「失礼ね。精市だって小さい頃、同じことしてたじゃない。とどのつまりは、あなたもバカってことよ?」
ぷっくりと顔を膨らましながら憎まれ口を叩く姿すら愛おしい、なんて。
(ああ、もう。俺だけこんなベタ惚れなの、本当に悔しいな…)
幸村は少しイライラしたように土をトントンと手で整えて、すくりと立ち上がった。
誰にも渡さない、とまた沙蘭に聴こえないように呟いて。
「これ、」
「あら。四葉のクローバー」
「たまたま見つけたから。じゃ、俺は部活に行くよ」
「あとはわたしがやっておくわね。頑張って、精市」
「―…ああ」
花壇から離れていく幸村の背中を少しの間眺めて、沙蘭は手の平に乗るクローバーを見つめた。
(精市から花をもらう度に素敵な栞が増えていくわね)
どこか嬉しそうに頬を緩めた沙蘭は、ジョウロから流れる水でできた小さな虹に気付いて更にその笑みを深くしたのだった。
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