【柳side】
彼女に声をかけたことに特に意味はなかった。
どうしても仕事が外せないという両親は入学式に来れず、1人で読書でもしながら入学式まで待っていようと読みかけの本を取り出す。
そんな時に目に入ったのが、彼女、夕雲茜だ。
心細そうに胸の前でギュッと手を握り締めて、哀しげな表情を浮かべる彼女が何故だかとても気になった。
「1人なのか?」
そう声を掛けると、彼女はビクリと肩を揺らして少し怯えたように俺を見る。
彼女は、とても整った顔立ちをしていた。
ミルクティー色の柔らかそうな髪に、丸くて大きな瞳、そして白い肌。
哀愁漂うその表情と相まって、今すぐにでも宙を舞う桜たちに攫われてしまいそうな…そんな儚げな印象を受けた。
そんな彼女にしばし見惚れていると、彼女は慌てて鞄からメモ帳を取り出し『はい、1人です』と書いたものを渡してくる。
なるほど、どうやら彼女は声を出して話すことができないらしい。
何故か、などと野暮なことは聞かない。こういったことには他者が踏む込んではいけない事情がある確率が極めて高いからだ。
「実は俺も1人なんだ。入学式が始まるまで、良ければ一緒にいないか?」
俺の誘いに驚いたように目を見開いたまま固まってしまった彼女に不安になり、『迷惑だったか』と聞けば勢いよく首を横に振って否定した。
そんな勢いで振ったら首が取れてしまうだろう。
そして『一緒にいましょう!』 と書かれたメモを見て、顔が緩むのが分かった。
自己紹介をして、残念ながらクラスは違うということを知ったが大した問題ではない。
クラス違えど同じ校舎で同じ廊下沿いにお互いの教室があるのだから、会おうと思えばいくらでも会える。
ふと、メモ帳に『柳くん』と書こうとする彼女の手を止めると大きな2つの瞳が俺を見つめた。
「蓮二でいい。俺も、茜と呼んでもいいか?」
どうやら驚くべきことに、俺は相当彼女に興味を持ったらしい。
女子相手にこんな気持ちを抱くのは初めてで、内心戸惑いもあったが、徐々に涙目になっていく彼女の瞳を目にしてそんな思考が吹き飛ぶ。
「…すまない、名前で呼ばれることがそこまで嫌だとは…」
「(違います!そんな風に言ってくれる人ってとても少ないからその…嬉しくて)」
嫌だったわけではないみたいで、ホッと胸を撫で下ろした。
急いで書いたのか、今まで綺麗だった彼女の字が乱れていて小さな笑いがこぼれる。
それから新入生を集合させる声が聴こえ、そろそろ入学式が始まるようだった。
自分の連絡先を彼女の持つメモに書いて渡し、相手の反応を見ずに背を向ける。
このようなナンパじみたことなど初めてした故に、少々気恥ずかしかったのかもしれない。
それでも彼女が気になって、少し進んだところでチラリと後ろを振り返ってみると。
「………っ、」
嬉しそうに頬を赤く染めて微笑む彼女が目に入り、ドキリと胸が高鳴った。
この気持ちをなんと呼べばいいのか分からないが、彼女と共に過ごしていれば自ずと分かることだろう。
鞄の中からサッとノートを取り出して、新しいページにペンを走らせる。
『夕雲茜』
彼女のデータをこれからここへ書き込んでいくことにしよう。
≪ ≫