TH | ナノ

tenth code

『お前のご主人は、ねえ、プール、たしかに病気に罹っているのだ。あまり苦しいものだから、人相まで変るような病気なんだ。だから、まあ、声も変わったし、覆面をして、人目も避けたいわけだ。そして夢中で薬を探して、その薬で、かわいそうに、どうかして癒りたいとねがっているわけだよ――ほんとに、望みが叶えばいいが!


わたしは、アスタン、たった一言だけ言って置きたい。(きみが信じてくれるなら)その一言だけで十分だ。あの晩、わたしの家に忍び込んで来た男は、ジキルの告白では、ハイドという名で知られ、カルー殺害犯人として、全国に手配されている男なのだ。

自分の心の闇に気付いてしまった彼は、悩み苦しみ、そして彼自身の闇へと身を委ね、死んでいったのである』




…以上が、今回のTTの暗号を解読した文である。最後の一文以外は全てジキル博士とハイド氏からの抜粋である。
暗号の仕組みとしては、以上の文を英語にし、単語ずつでアナグラムにしてあり、それから全てをアルファベット2文字ずつを前にずらしてあったのだ。
要するに、暗号の答えが「half」ならば、「fxjc」とまずなり、それから「xjfc」となる訳だ。

この後半は今や普通に知られている仕組みでもあるし、私達はそれ専用のプログラムをパソコンに入れてある訳なので、

暗号解読は容易かったのだ。


これから、が、本番であるが。




「こんにちは。滝萩之介さん。依頼内容は跡部さんから伺っております。まずは会えて嬉しいです」


蓮とマサが日曜日の一日練習に参加している日の午後。私はマサにしてもらったTH仕様の変装をして東京のとあるレストランで隣に景吾君、そして目の前には滝君と、座っていた。
そう告げた私に滝君は、神妙かつ緊張の面持ちで答えた。彼も景吾君も制服であり、私はTH仕様の私服であり、これはこれから萩君の家に行き、彼のパソコンを元通りにするという仕事だった。

TH仕様と言うのは、マサの手によっていつもと少し違う印象を受けるだろうメイクを施された私に景吾君が私達のためにデザインした私服をそれっぽく選んでくれた服を着ている、ちょっとした変装である。THが顔を出すことは少ないが、出さなければならない、そんなときはマサも蓮も、TH仕様の変装をするのである。ちなみに私は元々内巻きのショートのため、後ろから髪を持ってきて長めの前髪を作り、全体的に髪を少し遊ばせている。上は黒のYシャツだが襟元に飾り文字で白の刺繍糸でAKのロゴが入っており、それに合わせたジャケットもAK。黒に足のラインに沿って白のラインが入っているだけのこのシンプルかつ格好いいパンツも、AKのもので。全て景吾君のデザイン、コーディネートである。

緊張しているだろう滝君に、くすりと私は笑みを溢した。


「そんなに緊張しなくてもいいですよ。被害状況も伺っております。すぐに直りますよ」
「あ、ありがとうございます。」


綺麗に微笑んでみせた彼に早速だが家に上がらせて欲しいと言った。景吾君に元々説明してもらってはあるけど、一応に。ちなみに私達THと景吾君は、以前の依頼者という関係にしてある。これなら、嘘はついていないし、嘘をつくよりぼかしておいた方が後々修正もきくし、楽なのである。



あのあと頷いた滝君に家に案内してもらったが、やはり氷帝。それなりにお金持ちぽいおうちである。そして、小綺麗にしてある、滝君の部屋に入れてもらった。パソコンは私達が景吾君を通して伝えた方法で電源は落とされてあり、私はそれを見て薄く笑みを作った。


「じゃあ、失礼します」
「お、お願いします」


パソコンはデスクトップで、専用のデスクと椅子があり、私はその椅子に腰かける。そのままパソコンの電源を入れれば、パソコンは立ち上がる。


「…どうだ?」
「…跡部君に伝えた通りです。すぐ直ります」


景吾君が画面を覗きこんで言うのにそう返した。…なるほど。チームメイトの前だといつもより声が、低くそして氷の様な冷たさ―でも決して敵に向ける訳ではないと感じられる―を含むのね。

私は画面に表示された『ジキル博士とハイド氏』の画面ににんまりと笑みを描いた。左隣には景吾君。右隣には滝君が居て、二人とも画面を見ている。なんともおかしな風景である。ただ、景吾君は楽しそうであり、滝君は心配そうなんだけど。

私はメモリースティックを1つ取りだし、アダプタに差し込む。そのまま最初のコードを打ち込めば、画面はブルーに変わった。さあ、『掃除』を始めよう。



約20分でその作業は終わった。
今回はパスワードを入力しろとかそう言うのじゃなかったから、あの暗号化された文をまたその上からハッキングをして、消える様にプログラミングをしただけだった。途中トラップもいくつかあったし、少し疲れた。流石、TT。このプログラムを作るのは骨が折れたに違いない。差していたメモリースティックは今回のプログラミングと私の『掃除』の仕方がそのまま入っている。あとは、部屋に帰って、蓮とマサと確認するだけ。


「もう大丈夫ですよ。また何かあったら、こちらまで連絡して下さい」


私はそう言って滝君に名刺を渡す。これも景吾君が作ってくれたものだ。驚いた表情をした滝君は、小さく、やるねーと呟いて笑顔で受け取ってくれた。


「あと、同じ年代ですから、私はTHとして動いている以上タメ口にはできませんが、滝君はタメ口でどうぞ」
「え、いいのかい?」


そう聞いた滝君に笑顔で答える。跡部君もタメ口でしたでしょう?と。ちなみに、私がさっきから、ですます口調なのは、蓮やマサの様に特徴がある、口癖とか変な話し方ではないにしろ、神奈川の訛りが出ない様に、というのがある。


「跡部から、お礼はいらないと聞いたのだけど」
「ええ。いりません。私達は学生さんにはタダなのですよ?」


滝君から見たら、悪戯ぽく笑っているように笑って私は言った。そうだねと小さく呟いた滝君は勉強机の上に置いてあった、可愛らしいピンクのサブバックを持ってきて、


「これを持っていってくれないかな」
「…え?」
「お金は受け取ってもらえないから、代わりに。本当にありがとう」
「…こちらこそありがとう!」
「!…うん。跡部から今日来るのは女の子だって聞いてたから、袋はピンクにしたんだ。中身は性別関係ないから、ぜひ、皆さんで」


笑顔で言った滝君に私も笑顔で返せば、安堵の息が景吾君から洩れる。三人で顔を見合わせて笑った。



帰りは、駅まで景吾君に送ってもらい、そこで景吾君とは別れた。景吾君はいつも神奈川まで送ってくれるのだけど、私が駅でいいと言ったのだ。用事があるのかと聞いてきた景吾君に笑顔で、本屋に用があると言えば呆れた様に笑って言った。


「なまえ、今度は俺の家に来いよ。書庫に案内してやるぜ?」
「本当っ?」


実は図書委員をやっているのは、私が蓮と争うほどの読書量を持つせいでもあるのだ。


そんなこんなで、私は駅の近くの本屋へと向かっていた。だが、


「っ!」
「きゃ、」


ある人物とぶつかってしまったのである。本屋に行くということで浮き足たっていた私はすぐさまごめんなさいと謝り、頭を下げた。彼は、こちらこそすまない、と言った後、


「大丈夫ですか?」


と、手を貸してくれたのである。
ありがとうございますとその手を借りて。そしてその手の平には蓮とマサ、景吾君や謙也にあるマメと同じのがあり、彼もテニスをやっているのかと思いつつ、もう一度ありがとうございますと言って私は去った。眼鏡をかけていた彼は、どこかで見た様な顔だった。…とこで見たんだろうか?

だが、本屋の看板を見た瞬間、そんなことは私の頭の中からぶっ飛んだのである。

120224