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首輪だよ、と雲雀から投げてよこされた箱を危うくキャッチしたおかげで、胸に抱いていた「風紀デットデータ」ファイル(全校生徒の命運を握ってる?)もペンケースも床に散らばってしまった。雲雀は卓で書類かか目を離さない。知らん振りの確信犯にジト目をやってから、しぶしぶ拾い上げる。一緒に書類をファイリングし直して、棚にしまって仕事を終えてしまう。ソファに落ち着いてから改めて、で、なんですか、と手のひらに乗せた小箱とにらめっこする。
「首輪だよ」
「…なんですって?」
「飼い犬には、飼い主が分かるように首輪をつけるのが義務だろう?」
誰が、飼い犬だ。誰が飼い主だ。
暴君反対、人権侵害、人間尊重!覚えたばかりの単語で抗議を図る。と、容赦ないスピードで頭の上スレスレに何かが多分今し方彼が顎に充てていたパンなのだろうけど、飛んできた。ひっくと唾を飲んで、黙ってまた、その箱に注視する。何が入っているのだろう。書類に流れる速度で目を通している雲雀の顔はいつも通りの無愛想で、答えは貰えない。
仕方なしに、留め具を外して、中を見ると、プラチナのシンプルなリングが収められていた。
なんだこれは。
雲雀は問いには答えずに、書類片手にブランド物のティーカップの中身をまずそうに啜った。
それも私が淹れたのだが、何故かたびたびあんまり美味しさがよくわからない、茶色くて苦い飲み物を私に淹れろと要求する。何回手ほどきを受けても「泥水の味」からなかなか昇格しない。でも、不味い不味いと文句を言いながら、勿体無いから、と全部飲み干す。自分ですればいいのにと思うけど、と、意識的に明後日に向かっていた思考が、またその、高級そうな銀の光を放つ指輪に行き、摘んで眺めた。
「……えっと、これを私はどうすれば」
「君は物の用途すら認識出来ない残念な頭なんだね。可愛そう」
「また暴言だ?!」
シンプルだけど、内側には細かいカットが入っている。上にかざしてリングをもてあそんで問いかけ、それでも無視してくるので、仕方なく指にはめてみる。それは人差し指でも中指でもなく、私の薬指にぴったりと収まった。
相変わらず、雲雀は紙面から目を離さない。しかし、何となくだけど、長い付き合いから、何度も同じ箇所を目が滑っていて。それが分かってしまう。
「雲雀さん、私怖いです」
「…………、なにが?」
「なんで、私の指ピッタリなんですか!
測られた覚えないんですけど!!何でサイズしってるんですか怖い」
「僕は君の空気の読めなさに驚きだよ」
らしくなさすぎで、私は思わず笑みがこぼれてしまう。
「……もしかして、雲雀さん、照れてます??」
「…いらないなら、返して」
「雲雀さん、私、怖いです」
「……………」
「凄く喜んじゃってるみたいなんですよね、私」
私の薬指とおんなじ物が、雲雀のカップを持つ薬指にあったのをみて、笑って答えた。
あんな大切な物を、私は、何処にやってしまったんだっけ。
目覚めは清々しさとはかけ離れた代物で、気怠さが全身に渡って纏わりついていた。
やぼったい眼球を動かして頭上の時計を見ると、就業時間はとっくに過ぎている。
いつもの癖で、早く業務に付かなければ、との使命感が働いて、ベッドから妙に重い体を起こそうと急くが、体に力が入らない。吐く息も少し熱をおいている。全身の寒気は酷かった。
もぞもぞと布団と格闘していたら、ふいに誰かの優しい手が私の身体を横向きから、再び元の位置に戻した。
さらりと長い髪が目の前を流れる。目の前には、曇ったリリアの表情があった。
「リリィ…」
「気がついたの」
親愛なる同僚リリアは、普段は美しく流している髪を一纏めに上げ、新しい冷えた氷嚢を丁寧な動作で私に頭に当てがった。一連の介護が終わるや否や椅子にどかっと腰を落ち着けて、足を組んだ。かつんとピンヒールを鳴らす。
「随分な状態じゃない、ミク。まったく、肝が冷えた。高熱で寝込んでるですって?
ホント、何やってるの。体には気をつけてってあれ程言ったじゃない。
他にもアンタに言いたいことはたくさんあるわ。前見たいに頻繁に見てあげられないんだから」
「リリィ」
「なによ?」
「ありがと…」
「………ありがとうじゃないわよ」
ひたすらまくし立てていたリリアが、急に静かになる。
「……水を持ってくるわ」
怒りっぽいピンヒールの音が遠ざかる。
また、懐かしいことを思い出した。逆上せた頭で自分の手をみつめる。
それもこれも、多分、暫く聞かなかった名前を思い出したせい。特徴的な髪型、狂気を秘めた紫紺の瞳。
六道骸。
そう言えばあの夜、熱のせいで記憶がおぼろげだけど、アレは実際に起こったことなのだろうか。
この体は、私の心と同様かそれ以上にか弱い。そのことを私はすっかり忘れていた。
風邪か、身体の拒否反応か。
自分の部屋に戻って、運動用の簡易着とブーツを取りに行った。愛用のホルダーを腰に、修練所に向かう。
腕を回して、伸びをした。戦闘で呼ばれないときも、腕がなまらないように毎日通っていたけど、この数日間ろくに起き上がりもしなかったので、相当体がなまっていて、しっくりこない。
こんな施設を地下に作ってしまったのだから、流石財団の力。これで一食満たせるパンがいくつ買えるだろう。貧困時代の癖で皮肉に思うに至る。
此処でのお給料の多少を孤児院に差出人匿名で定期的に送っているが、マンマ達は多分それの差出人が私である事は承知していると思う。久し振りにマンマの顔が見たいと思う。
同じく肩慣らしに来て居る男どもは自分とあと二人しかいなかった。二人とも元同じ隊の同僚だったが、お互いに挨拶もしなければ、目も向けない。私の位置は常に格別したところにあった。
開始ボタンを押して、対象がセットされる。
一撃必殺の一つきは、身を乗り出して勢いに体重の全て乗せる。使える技術を身に着ける過程で、この自分の獲物ティスレットが自分の体の一部である感覚が身に付いた。一撃は右肩の関節部。飛びずさって間合いを取り、また一撃。
徐々に神経が研ぎ澄まされていく。周りが無音になった。ホール張りに広い部屋に逆に私の太刀の音が大きく響く。汗が噴き出すりそれだけに熱心になる。
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