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ひとしきり泣いて吐き出してしまえば、些か気分はすっきりしていた。元来いつまでもくよくよ悩むのは嫌いだし、切り替えの早い質だ。
小さな体は正直で、きゅーきゅーと可愛らしい音を腹から鳴らしていたし、頭も泣いたせいでガンガン痛みおまけに口の中が粘ついて、冷たい水が欲しかった。

ゆっくり寝心地の良い布団から上半身だけを起こした。しかし畳の張り巡らされている六畳間にミク独りだ。

畳の匂いを嗅いだのも久しぶりで、これも夢なのだろうかと、頭を悩ませた。



「なんだ、起きてたの」

右手のふすまからそそと姿を現したのは、雲雀。ミクの一番会いたかった人だ。夢にまでみて、遠くから熱心に目で追い続けていた人だ。

「きょ……Mr.ヒバリ」

不意を突かれたミクは少し目を見開き、勢いよく声の主を振り仰いだ。雲雀は畳に足のひらを擦り付けるように歩き、右手からミクの左手へ回り込んだ。
乾燥した小さな喉。かすれ声が辛うじて発せられたがそれは平坦で淡泊は響きを孕んでいる。
雲雀は紺の格子の着流しを纏っている。格好良い。さりげない着こなしをさる事ながら日本人然とした涼やかな顔立ちと白い肌にそれは似合った。ミクは思わず見とれてしまい、だが慌てて下を向いた。今は、合わす顔がなかった。
責めてもの礼儀を示そうと布団から出で、枕元に正座すると体を九十度回す。雲雀に向かい三つ指を前につき深々お辞儀をした。

「お命を助けて頂いて、本当にありがとうございました、Mr.ヒバリ。
自分のような下っ端の者に、その上着替えや布団まで、用意して頂いて感謝の言葉も尽くせません」

ミクは薄々大体の自分の今置かれた状況と経緯は察する事が出来たが、極限状態に追い詰められた時にまさか目の前の憧れの人を張り倒し、自分の胸の内を暴露したなどろくすっぽ覚えておらず、自分の哀れさへの自嘲だけが心を占めていた。だから雲雀を前に冷静でいられた。少し前のミクだったら忠誠を示す事で如何にか雲雀の側にいるために奸計を練っただろう。
声を聞けて嬉しいとか、目の前で自分だけを見ている、それだけで興奮を隠せなかったろう。

しかし今はその気持ちさえも信用出来ずにいる。
面と向かって話す機会を測らずとも手に入れたというのに、言うべき言葉を失ってしまった。
もう、

私は遠い昔あなたの恋人だった

そんな世迷いごとを口に出す資格を失ってしまった、とミクは項を垂れた。










雲雀は下げ続けられる小さな頭をまじまじと眺め、腕を組んでいる。徐々に口がへの字に曲がり、視線を下にしているミクには知りようがなかったが、雲雀の機嫌は明らかに下降していっていることは遊ぶような雰囲気から不機嫌になる迄顔を見れば一目瞭然だ。

組織のトップへの態度として忠誠を誓う事が雲雀にとっての部下への最低の条件であり、統括とは敬いとある程度の畏怖が無ければ成り立たないと言うのが雲雀の持論で、ミクの対応は間違っていは居なかった。しかし、雲雀がミクに求めていたのは服従の意を示す弱い草食動物の姿ではない。

「へえ、今日は随分、落ち着いてるじゃない。

昨日は僕に縋ってあんなに泣いてたくせに。
昨日の方が可愛げあったよ」

ミクは今雲雀の怒りを感じて焦る。縋る?泣いた?ミクには何のことだかわからない。自分が対応を何か間違ってしまったことはよくわかった。

「申し訳ありません…!!
あのMr.ヒバリ、私は…」

「僕が、謝罪の言葉なんか欲しいと君は本気で思ってるの?」


まあいいや。

今度は、さっきの冷やかさが嘘の様な、楽しみを見つけた子供の様な、楽しげなセリフが気まぐれな男の口から零れた。
この小さな子供の事情など知らない。
もうこの子供は雲雀の物。言質も取っている。

久々の、毛色の違う、楽しい玩具。
あの嵐の晩。自ら反抗組織の残党狩りに乗り出した雲雀が偶然この娘を見つけた時、遠い昔の印象を語っただけでミクの名前も知らなかった。雲雀に対しての尋常ならぬ執着心が雲雀の興味を擽った。
ラビットと草壁は読んでいた。

ぶるぶると身を縮こまらせている姿はか弱いこの少女の名の通り子ウサギにしか見えない。

ニヤと顎に手を当てその価値を吟味する擦るべくミクの顔を覗き込み、

「君を飼ってあげなくもないよ、ラビット。

撤回は認めない。僕は有言実行がもっとうでね。

光栄だろう?
だって君は僕が好きなんだよね。嬉しいよね。
実に良く働いてくれそうだ」

楽しそうな、嗜虐的な笑み。美しいその男を彩る嫣然とした表情。


小さな顎に掛かる手。擽るようにすると哀れな子ウサギは目を細めた。

このウサギはどうやって、自分を楽しませてくれるだろうか。


思い付きからの戯れに、雲雀は心を躍らせた。





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