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誰かを待っていた。
止む気配のない雨脚の所為で私以外の客は見当たらない。店のカウンターから一番遠い、奥の席。覚めたコーヒー。
期待して、でも、外れて欲しくて。
『本当に、ーーのか』
『そんな顔しないでーー、ーー。
私はーーにいくんじゃないんじゃないんですから』
渋い、しかめっ面。
私は笑って、勘定を持ったーーー。
何故そんなことを、今思い出すんだろう。そんなこと考えている余裕はない。今はただ、息を潜める脚を動かすことが先決だ。しかし、焦れば焦る程ミクの息は荒くなる。
叩きつける雨粒が容赦無く、体から体力を奪う。落ち着く為に肺から吐き出す吐息が震えてる。ぶるり、と身体を震わせて、のろのろ背の高い草木を掻き分けてすすむ。枝でいつの間にか切った膝に構っている暇はなかった。
追われている。
ミクは置き去られたのだ。共に戦っていた屈強の男どもは戦況不利とみるや強敵を相手取っていたミクを置いて逃げ帰った。それとも撤退の命令が下っていたのだろうか。肝心の通信手段は移動の最中に何処ぞに落としてしまった。
余計な思案に耽って仕事に集中出来なかった所為だ。よくわからない暗い荒れ道に迷い込んでなお、其ればかりを考えている。
バシャンーーーと張るような轟音が轟き、遅れて視界が明滅して時間が止まった。雷なんて、聞いてない。
どろりと貼り付く生温い水と衣類が動きにくさを増倍させていた。
片手に握る銀に光る私の武器は、発光しているように青白く光る。
「なんだったっけ……」
つぶやきは雨音に消える。
「……何を、言ったんだっけ?」
一歩進む。今は逃げる事を考えろーでも、
「何をしたんだっけ」
その後。
気になるのだ。
私は何だか、怖くて堪らなくて、そして決意をしていた。
ーーーーー何を??
「このクソチビ!!止まれ!!」
先にミクが力及ばずでも一太刀浴びせた相手だ。男は鍛えられた筋肉の鎧に覆われていて、一撃の軽いミクでは葉が立たなかったのだ。
「怪我をしているのかなぁ?ふっへっへっ!!
追いかけっこかぁぁーーーおじさんが鬼だぁぁぁ」
そして、嗜虐的思考の持ち主ときている。ミクを追い詰め、楽しんでいるのだ。脚が熱を持ち、上手く走れない。気違い染みた怒声に理性の欠片も存在せず、私への怒りと憎しみに頭に血が上ってしまっていた。私が負わせた筈の傷はその怒りによって麻痺してしまっているようで、この雨にも雷にもひるむ様子がない。
覚悟を決めて、踵を翻し、直立不動で、ゆっくり相手を見た。
額から流れてくる雫に目が潤む。
「お、お、お、観念したのか、」
男がゆっくりと近付いてくる。
まだだ、まだだ。
「へ、へ…」
今だ!
右手でズボンのポケットに忍ばせたスティレットを引き抜き、大きく振りかぶる。エイヤと勢いを付けて切っ先は腹に一直線に向かう。ティスレットは本来帷子や甲冑を突き破る一撃必殺の為のエモノである。しかし、その後に決定的な隙が出来てしまう為ミクは好んでその戦い方はしなかった。
「……イタイ」
何が起こっているのか分からない茫然自失の男は脂肪の多いその腹を痛みのある場所を、まさぐって、感情の抜けた感想を漏らした。そして、
「この、クソガキ!!」
男が小振りのガンを私に向けた。
殺されるのだ。
こんなところで、気付かれもせず、たった一人で。
恐怖に頭の血が湧いた。
一秒一秒が限りなくスローモーションに映る。私は自然にもう片方のホルダーに手を伸ばし、ティスレットを逆手に持ち替えた。下から上へ。
左手心臓ひとつき。
雷鳴が轟く。刃は男の左胸に吸い込まれていった。
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