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昼食の刻限よりも些か早い位に私の唯一の砦の戸は叩かれた。
スライド式で一応誰でも入れる様に鍵などしていないが、優秀な古参メイドはそんな不躾な事は勿論しない。

「ほら、お嬢様、今日もお呼びだよ!
本当勘弁してほしいわ、私にも仕事が有るって言うのに。」

私の返事を聞くと、どうか頼みますよ、と不満たらたらで次の仕事を片づけに行くらしい。文句を言っていても、別段悪いとも思わなかった。今のこの時間は給湯室でお喋り大会が毎度催される事を私は知っている。

「最近、篭り過ぎですよ。
せっかくのお誘いですし、今日は街にでもショッピングに行って、少しは外の空気でも吸って来たらどうかしら」

口では殊勝なコト言ってるけれども、
何か言ったならその口であること無いこと言い触らすに決まってる。彼らの唯一の娯楽だ。

将来を約束し合い仲睦まじい絵にかいたような美男美女は使用人の間でも憧れの的らしく、口をそろえてこの家はもう安泰だ、故人の旦那様も安心しておられるだろうと感嘆のため息。薄汚れてない崇高な物を手に入れた瞬間から私に意味はもうない。

私の欲しい何もかもを手にしている人。
御指名はこれで通算両方の指を今正に越えようとしている。

私と仲良くしたいんだそうだ。共通の話題、人物と言ったら勿論一人しかいない。話すと言うより一方的な報告だ。

掃除だけは行き届いている古いデスク。そこで突っ伏している無愛想な住人の姿を私は久しく見ていない。一人っきりで居る事の多くなったこの白い空間で、私は呼ぶ声を待つ。

一人で部屋の掃除をし、一人で寝そべり本を読んで、一人花を相手に誰にも見せない絵を描く。コミュニティーが広い訳でもなく、深い友達もいない、行きつけのカフェも足が遠のいてしまっている。

窓を開け放ち、そこを片足超える。
策も何もなく、生垣にアッサリダイブして、固い針葉葉で切ったあちこちの切り傷は踊る心臓のせいで大して痛みはない。恰好もシャツもズボンも泥だらけでみすぼらしい。小脇に抱えたグレーのコートをはおったら少しはマシに見えるかもしれない。

高い塀をよじ登って、外に降り立つとやっと息を付く事が出来た。

「ざまあみろ」

呼ばれたら必ず来るものと勝手に思っている傲慢さに清々したと口汚く吐き捨てた。

お前なんか大嫌いだ。

さぞかし表は空気が良かろうと思った。活気あふれる街。
喧しい生命力で自分の生活を営む住人。
てっぷりと太ったおかみさんが焼きたてのパンを勧め、ウチの店は世界一のピザを出すと腕っ節の強そうなおじさんが洒落たクロスの上にピザを出す。
公道で十のボールのジャグリングに成功して仰々しくお辞儀、おどけた調子で帽子を傍客に差し出しておひねりをねだる。
一緒に思わず手を叩いて歓声を上げた。

大繁盛だったショーはお開きし、帰っていく人ごみに誰に押されたのか前倒しに足をもつらせて転んで手を付いてしまった。

開きっぱなしだった鞄の中身を無様にぶちまけ顔を赤くしててしまった。
拾おうと四つん這いになった低い視線から、興奮さめ止まぬ様子で捲し立てる子供を伴う母親、のポシェットの中に手をしのばす痩せた小さな手。

「あ……」

声を漏らすと思わぬ俊敏さでくりぬかれた様な大きな目がぐりん、と此方を向いた。

見てしまった。その小さな子供の眼。何も映さない、虚無の空洞の様なまっくろの瞳には何も映していなかった。
私が声を出した事で、みすぼらしい子供は中年の体躯をドンと押し、騒動に紛れてかけ出した。

「あ、まって……」

釣られて私も思わず後を追っていた。子供は迷いもなく暗がりの迷い道へと私を誘う。

足を踏み入れる事に躊躇は無かった。







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