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ある朝、昼ごはんには少し早い時分。
今日は来訪者も少なかったので早い時間にすべての仕事が掃け、例の豪奢な書室に籠っていた。目ぼしい数冊を持ち帰ることを忘れずに、愉快な仲間たちに希少な自由時間を潰されないように祈りながら、寧ろそれを望む気分で。
私の世話役兼医務室の主は、近頃留守にすることが多い。無愛想で遠慮を知らない暴君でも、居ないより居た方が生活に張合いが出る。
文句を垂れていても、ぶつける相手が居ないのは少し寂しい。
早くその「出張」とやらが早く終わらないかなとあの東洋の無機質な顔を思い浮かべる。
何も言ってこない。しかし、葛藤の何もかもを分かられている。ディーノさんや他の部下の方に聞いても判然とした返事は帰ってこない。これが、私の周りで起こっていた第一の異変だった。

そして、次。思考は直ぐに打ち切られた。
今、帰らんとしていた医務室から、何かが崩れる音がした。何時も医務室は解放してある。胸から抱えるようにして持っていた書籍をその場に置いて、赤じゅうたんの廊下を走る。そして、音の下を確かめようと横開きのドアを叩きつけて、飛び込んだ。窓の外。頂点に近くなった日の光が目の前を真っ白に染める。
一瞬で今までの何かを打ち消してしまうような強烈さ。

「な、何してるんですか!?」

光彩は薄れ、眼下に散々な光景が広がっていた。
一時無音だったのは私の唯の錯覚だった。
古い椅子は倒され、治療器具は辺りに散らばってめちゃくちゃ。
騒ぎの中心で、大人が二人揉み合い、収拾のつかないののしり合いをしている。
片方は、訛りが強すぎて聞き取れない。

「何をやってるんです!!喧嘩は外でやって下さい!」

どうにか収拾を付けようと、一人が振りかぶっていた腕に縋って、諍いを止めようとしたこと自体が無謀だった。

「あ!?テメエは関係ねえだろうが引っ込んでろ!!」

「嬢ちゃん!?なんで、ちょ、ま、」

「うるせえ!!何だってどいつもこいつもこんなガキに――――」

もつれ合っている内に、不意に首が左に振りきれた、と思ったら
かあっと冷たい何かが口内に射しこまれ、どろりとした液体が半開きの口からてんてんと垂れる。クリーム色のリノリウムに赤い染みを作った。
見れば押さえた手が真っ赤。どうしようと顔を上げた先の動きの止まった二人が二人とも真っ青な顔をしている。




「ま、ユイ!!如何したの、その怪我!」

直ぐ様真っ蒼な顔であの可愛い花柄エプロンで手を拭きながら私に駆け寄ってきて、今更引き返すことも出来ずひらひらと裾が舞うのを目で追う。

「ちょっと、転んで……」

唇をなぞりながらそう言う。上手い言い訳が思いつかなかった。
大事にはしたくない。どうせ、正直に言ったとて、確執を生んでしまうことには変わりなかった。「いざとなったら、あのお坊ちゃんに泣きつけば良いんだもんなぁ、嬢ちゃん?やってみろよ」―-―-――-誰が泣きついてなるものか。

「まああ、痛かったでしょう?!ちゃんと冷やした?」

しかし、理由よりも怪我の方に注意が行き言及は避けられた。
水仕事で少し荒れた手がじんじん痛む口角に添えられる。

「あああああユイの顔に傷が………女の子なのに。腫れないと良いけど……」

「ちょっと話しにくいですけど、自業自得ですから」

「だめ、だめだめだめ!そう言う所、ユイは無頓着なんだから!ちょっと待ってなさい。氷持ってくるから、めんどくさがってそのままにしてちゃだめよ!!」

そう言うやなや、厨房に飛んで行ってしまった。
食堂はやっぱり時間も有って結構人がいて、私の頬を見て、微妙な顔をする。やっぱり、目立つ。マスクでもして患部を隠してくれば良かった。

「はい、これ!冷やしときなさい」
飛んで戻って来たマリアさんにビニールに入った氷と大きめのタオルを受け取る。
「そうねえ、スープなら食べれられるかしら」カウンター近くの卓状席に付かされ、わざわざ作ってもらったトマトベースのスープを無理やり流し込む。
舌が底に触れる度に、ピリピリ口内が痛むがでもそれよりも向かいからの心配で仕方ないと言う視線が肌に痛かった。
「ユイさん?珍しいですね、ユイさんがこんな時間にこんな所に居るなんて」マッテオさんがトレーを持って私の背後に立っていた。何時もこの位の時間にご飯を食べにくるのかそう聞いたら、普段はもっと遅いらしい。
「それに泣きながら飯って……なにやってるんすか。ユイさんも迷惑だったらハッキリ言っていいんすよ」
「あら、生意気〜〜」
眉根を寄せて、深しげな顔をしてパスタのトレーを私の隣に下ろしながら椅子を引く。



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