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「名前、聞かなかったの?名前!そうしないと分かんないじゃん」
変声期で少しかすれた声と、無邪気な笑顔が私を出迎える。また、少し目線が高くなった気がする。
私の持ってきた残り物のクッキーを喜んでぽりぽり頬張りながら、イルはもっともな事を言った。
「それよりさー、ねー考えてくれた?親父はもう乗り気みたいだよ」
「お父さんと呼びなさい、お父さん!」
「で、おっけー貰えそう?バイトのこと」
「うーん………言うタイミングが見つからなくて…………」
最近お年頃になってきたイエル君は背もぐんぐん伸びて、今や私の伸長に並びそう。イルの部屋。なじみのコーヒーショップの二階に当たる。
イルは伸長の割に、カーペットに投げ出してるジーパンの両足も細く、長い。体が節々痛いと文句を言っている。
イルの家の絶賛繁盛中のコーヒーショップは忙しかった。
結構な事だがマスターと一人息子では忙し過ぎてお店が回らなくなってしまった。もういっそアルバイトを雇おうか。
しかし、滅多な輩には神聖な店に入り込んでほしくない。
マスターのこだわりと人手との兼ね合いで、すっかりお馴染みの顔に成ってしまっていた私に白羽の矢が立ったのだった。
「でもいいのかな、料理も出来ないし、役に立つとも思えないんだけど」
「だから、今まで通りでいいんだって。
一人女の子がいるだけでぜんぜん華やかさが違うっておと………親父がいってた」
「確かに、こうゆうアルバイトは女の子の方が多いけど…………」
華やかさとか求められても私には荷が重すぎる。
「それにもっともっとユイに会えてぼくは嬉しい!!」
ぎゅっと抱きついてくるイルによしよしと頭を撫でる。
消しゴム一つにしても死活問題になるのは、経済的に貧窮しているわけでない。
私の私物は他人の懐から賄われる。
欲しい物があっても気兼ねして自由に買い物が出来ない。
この些末な悩みごとが地味に私を苦しめる。
甘えかかられることが私の保護者を名乗る人たちにとって一番うれしいことだろうとわかっているのに、心の何処かで遠慮している。
その責任は心を明け渡すことが出来ない臆病者の所為。
そして、過保護なまでに、もろもろから寄る辺ない孤児を隔離しようとする周りの所為でもある。なんという、悪循環だろう。



大胆不敵にも、誘拐犯は人通りの多い公園通り、公衆の面前で後ろから私を不意打ちして、体を羽交い絞めにした。
あっという間に乗り付けた車に私を放り込んで急発進。
背後の人間ごとシートに体が押し付けられる。
体勢を立て直して慌てて確認した窓の外は高速度で町並みが流れて行っていた。
車内には運転手一人、助手席に一人、私を捉えた優男一人、はさむ様にガタイが良いのが一人。
大体は女で子供ってことで油断してくれるので、危なくなっても其れに付け込んで肘鉄でも頭突きでも一発かましてやれる処世術は身に着けた。
しかし、男は私の体の駆動を完全に抑え込んでいて、身動きが全く取れない。
「痛い目にあいたくなかったら、大人しくしてな」
低い声が耳を擽り、男の指が喉にのびる。
冷や汗をかきながら挽回のチャンスを窺う。
「っく………」
ふる、と背後の男が喉を震わせた。
「く、くくくく…………」
ぶるぶると小刻みに震えだした男の手が緩み、私はあっさりと解放された。
「あ、あは、あはははははは!!!!」
耐え切れなくなった男はとうとう大声を立てて、私をほおって笑いだした。
もう分かっていた。この騒動と、この男たちが誰だと言う事も。
怒りを込めて、まだ笑いが収まらない誘拐犯を目いっぱい睨みつけた。
「もう、カルロスさん!!!」
「やあ、おひさおひさ、ユイちゃん〜〜」
変装のサングラスと帽子を取り、へらり、と笑って呑気な挨拶をのたもうた赤茶の髪。
「ロマーリオさん、ディーノさん、グイードさんまで!!!」
これはどういう事だと運転手、助手席、後部席にいる人物の名前を順番に呼んだ。
ははは、と大人な笑みのロマーリオさんは悪かったなといい、金髪は助手席で前を向いて黙ったまま。
隣の強面のグイードさんは気不味そうに視線を私から逃がす。
「俺は止めたんだぞ、止めたんだが………」
「わかってます。こんな悪ふざけ思いつくの、この中で言ったらカルロスさんか、もしくは」
澄まし顔でツンとフロントガラスに向く金髪をきっと睨む。
「ま〜ま〜そんな怖い顔しないでよう〜〜!
発案者は俺で〜す!いつも、僕たちの帰りを待ってくれてる可愛いユイちゃんには特別な趣向を凝らしてご挨拶をと思ってね!!
驚いた〜?相当驚いてたよね〜〜直ぐばれるかと思ったら、必死になってくれちゃってさ。ユイちゃんってかわいいよね〜」
「そんな特別待遇要りません!!」
頭に乗っかる馴れ馴れしい手も突っぱねてそう鋭く突っ込んだ。
そんな褒め方されても一ミリも嬉しくない。
「おお、イイ突っ込み〜〜」
それすらもカルロスさんを面白がらせる要因にしかならない。
「みんなさ〜ノリ悪いからさあ、そんなにやりたいなら自分でやれってひどいよねえ〜〜俺の事なんか丸無視〜〜!
その点ユイちゃんが一番反応良い!!ユイちゃん大好きだよ!」
ハート付きでウインクされても、私はあなたのおもちゃじゃない!
大人二人はともかくとしてお祭り好きのディーノさんなら、嬉々としてカルロスさんの悪趣味な悪ふざけにもばっちりな変装道具まで持ち込んで誘拐ごっこの共犯者になりそうだ。
しかし、副犯だと思われるディーノさんはさっきから何も話さないし、笑わないし、私の視線には気が付いている筈なのにすましているばかり。
「ロマーリオさん、ロマーリオさん」
後部座席から乗り出してのりの効いた黒スーツダンディーロマーリオの肩を叩いた。
「さっきから思ってたんですけど、ディーノさんどうかしたんですか?」
大人しいと逆に調子が狂う。
本人に聞こえない様に声を落としたのにロマーリオさんは普通の反応で、あーそれはな、と言いかけてははっと苦笑い。
其れが伝染して二人も笑いだして、何がそんなに楽しいんですか。
ディーノさんは相変わらずぶすっとしている。
取り敢えず、当たり障りのない会話で意思疎通を図って見る事にした。
「あの、ディーノさん?」
「………なんだ」
半眼の目がじろりと私を睨む。
怒ったように返される言われは無い。そんなに図太くないので呆気なく心が折れた。三人は意味深に苦笑を浮かべている。
「まーユイちゃんの所為じゃないし。ほっとけばいーんじゃないかなあ」
「え、放っておけって……それって、要するに私に原因があるってことじゃないですか」
「まーそう言うつもりで言った訳じゃあないんだけど、ボスもなんていうか、子供だよねえ」
「カルロス、余計なこと言うんじゃねーよ!!」
「は〜〜〜〜〜い!もう、怖いなあ」
今回のお仕事上がりのディーノさんは何故か機嫌がよろしくないよう。
付き合ってられるか。
放っておく事にする。
諦めて席に座り直し、彼らの車での道すらがら、私もしかめっ面で窓際に見えるサイドミラーを熱心に睨んでいた。




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