3


「おい、どうしたユイ」
余計な所に思考を飛ばして名前を呼ばれて我に返り、私は即座に頭の何処かにある日本語スイッチ成る物をかちっと切り替えた。
「はい、別に何とでも、ミスター?」
「そうかね、じゃあユイちゃん。私の事は……そうだね、9代目と呼んでくれればいい。皆、私をそう呼ぶからね。愛称みたいなものだ。
ディーノ君のお父上の頃からの古い知り合いなんじゃよ。
さあさあ。そんな所に立っていないで、一緒にお話でもしようか」
ぼっとした私にも気分を害した様子も無く、そう言って更に目じりのしわを濃くした老爺。背筋かピンと伸びて礼儀正しい。私の持つか弱いお年寄りのイメージと合わなかった。親しみの籠った目と、かさかさの手で握られて、私は目をぱちぱちさせる。

隣でニコニコ私たちのやり取りを見ている青年は果たして何を喋ったのか。そして困惑は更に強くなった。
事情は私の知らない所だが、此処への訪問者に興味を持つ事を良く思わないみたいだった。それに気が付かない振りも何だか疲れる。何も聞かない私。何も言わない周囲。約束事、暗黙の了解。関係ないと。理解できないと。私は何時だって蚊帳の外。
だから、お客様と対面させるなんて。
私の困惑も露知らず、生き生きとした表情でディーノさんはお爺さんに自慢げに語って聞かせた。主に…………私の自慢話を。
私の不本意な形で弾む会話。彼らが相当打ち解けた仲だと言う事が分かる。友人の息子だから?
私はそれでも放置されっぱなし。それにしても、たかそうなスーツ。物腰の柔らかさ。気付かれない事を良い事にじろじろ観察しながら頭の中で憶測を飛び交わせる。
と、振り向いたお爺さんとぴったりと目が有ってしまった。
しかし、固まる私に何も言わずに両手を顎の前に組んで前かがみに膝に腕を預け、そのままにっこり私に微笑みかけた。
「このオレンジショコラはお気に召しようだね?無駄ならなくてよかった。」
「え、あ。け、ケーキ?」
「女の子にはやはり甘い物かと思ってね、買って来ては見たんだが、私は娘を持った事が無くてね………」
思わずお留守になっていた手元に持っていた、ケーキ皿の食いさしのケーキに目をやる。
出された物を保ち無沙汰で手を付けていただけで、どんな味かも覚えていなかった。
あらためて純金のフォークでもって一口口に入れた。
なるほど、柑橘系のサッパリした香りがして、其れはとても美味しかった。
「凄く美味しいです。すみません、持って来て頂いたもの何て知らなくて」
「いやいや、口に合ったのならそれは甲斐があった。
さあ、遠慮せずにどんどん食べなさい」
にこにこ笑ってはいるけど、何を考えているのか分からない。得体のしれなさとからか、この人と話すと妙に緊張する。貰った物は取り敢えず美味しかったのでもぐもぐ口を動かしていたら、オレの分も食っていいぞと皿を差し出されたので有り難く食いさしのチョコレートケーキに手を付けた。
それを見たキュウダイメが仲が良いんだねとからかうように言う。少し顔に熱が上がる。そうだよね、普通はしないよね。何だか急に私は恥ずかしくなった。
固まった私にディーノさんは如何した?と空になった私の皿を控えの者に差し出している。
「どうだね、ユイちゃん。
鷲は君の話が聞きたいな。年を食って話も長くなったが、人の楽しい話を聞くのも私は楽しくてね。
ディーノ君の傍は、嘸かし大騒ぎで、退屈しないだろう?」


「ほら、またこんなトコて寝やがって……風邪引くぜ?」
肩を揺り起こされモソモソ起き上がり仕方なく重たい瞼を開いた。
「五月蝿い」
「うっせ、鍵も掛けないで寝るなっつってんだろーがこの不用心娘」
小言を聞き流しながら目をしぱしぱさせる。変な体制で居続けたせい首の付け根と背骨が軋む。目の前には枕代わりにした開きっぱなしの英語Uの教科書、イディオム集、怪しい染みでふやけたノート。
手近な置き時計を手繰り寄せて時刻を確認すると時刻は丑の刻を回っており、暗く静まりかえって、空気は冷えて少し肌寒い。ぶるりと震えると肩にふわりとタオルを掛けてくれた。
それを掻き合わせながら優しい手の主に緩慢に顔を上げる。ん?その美形は緩やかに微笑む。つけっぱなしの電気スタンドからの光が眩しい。それが造作の陰影を更に濃くする。

「ディーノさん…なんでいるんですか」
「おーおー随分な言い草だな。
やーっと仕事が上がって、ロマーリオからもやっとお許しが出たってワケ。
ひでーよなぁやっと帰って来たっつうのにやれ報告書だの事後処理だの!」
来るのはそれとなくロマーリオさんから聞いていたので鍵を開けて置いた。ディーノさんは開放感からか疲れからかハイになっている。テンションが高い。寝起きで野暮ったい目でお疲れ様ですと労う。ディーノさんはこほんとわざとらしく咳ばらいをした。
「何にせよ、暫く顔見せられなくって悪かったな…
ユイ、いい子で待ってたか?」
調度良い場所にある私の頭をぐいぐい押す。


[ 60/114 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -