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少女は姿を消した。始めから存在などしなかったように。
理解の範疇を超えた受け入れ難い出来事。

言葉通り、すべてから。




『あの子は突然あなたの前に現れた、イレギュラー。

彼女は居るべき処へ帰ったということ。そう考えるほか、ありません。
良かったではないですか。
些かこの場所は彼女には生きにくそうでしたから。
貴方が全て背負い込むことはありません。
息災を願うことが、出来る全てです』


誰かに責められた方が気分的にどれだけマシであったか。
自分を見限った彼の人を留める資格は無かった。彼はキャバッローネを去っていった。

分かっている。行った所で今更何も意味はないことは。これはこの二年についた癖のようなもので、通う動機が無くとも自然に足が向いてしまうのだ。
分かってる。分かってるはずだろう。望んだものが現実にありえないことも経験上自明で。


医務室、時間が止まったまま清閑の佇まい。
本来の用をなさなくなった一室は何も変わらぬまま、主人の帰りをただ待っていた。部屋の物は素っ気なく整然としている。

デスクのふちをなぞる。目の当たりした空白。麻痺したと思っていた心が微かにきしみ、見ていられなくて目を逸らす。
元通り、しかし嘘っぱちで空々しい。
年期の入ったデスクの上に、書き込みだらけで使い込まれたノート、古ぼけた人形、クローゼットの中の彼女が好んできていたワンピース、白衣、積まれた医学書、ガラス張りの棚に並べられたおもてなしのティセット。

忘れられてしまったそれらは使われることもなく、うっすらと埃を被っている。カーテンの囲われた端のベッドを覗けば、思い描いた物が一瞬浮かび、そして消えた。微かな期待は落胆として跳ね返る。
壁ぎわ一番端のこのベッド。温もりを確かめるようにシーツを撫でる。湿って、ひんやりとしている。

色を失い震えてしがみ付いてきた痩せた華奢な体。
生まれたばかりの雛の刷り込みのように自分だけに見せた嬉しそうに綻んだ顔。少し優越感を感じた。
愛らしいウサギの縫いぐるみやアンティークドール、テディベア。枕の上にはガラクタばかり。
仕事の特殊さや多忙さからどうしても普通の家族とは縁遠い男どもには擬似的な自分の娘の立場に等しかった。逃げたい時もあっただろうに小さな体で歯を食いしばって孤軍奮闘するさまは好ましく、いじらしかった。笑顔の無邪気な堅気の子。無知で、潔白。汚れた全てから無縁の絶対に侵されてはならない守るべき存在。
しかし、彼女は。




大切な家族。
「居るべき世界」に帰れたならば。文字通り「消えてしまった」ものへの寂寥感や罪悪感にどのように折り合いを付ければ良いのか分からない。いつまでも感傷に浸っている暇はキャバッローネボスにはない。


ベッドのスプリングの下。赤い何かが覗いてる。隙間に手を突っ込んで、引っ張り上げると直ぐに何かがしれた。
赤く表紙、上質なスケッチブック。何時だったか忘れるくらい昔、自分がに与えたもの。
取り上げてパラパラと捲ると紙面はほぼ人物画で占められていた。見たような顔が黒鉛で黒と白コントラストで描かれていた。
必要は無いのだが、ディーノはキョロキョロ辺りを見回した。この場に居ない人に義理立てするのも可笑しい。減る物でもないし、と中を見たいと言う衝動が抑えきれなかった。

ぺらぺらと捲っていく。
人が笑い、話し、怒り、見た物の集約。
白衣姿の優男の寝顔を最後に空白の真っ白ページが続いた。

捲りながら、もう終わりなのか、と少し残念な気持ちになる。
書き手に自分はどう映っていたか、怖い様な楽しみな様な興味があったのに、自分は被写体の対象にはなり得なかったのか。自分を対象とした絵は一つもなかった。少し複雑だ。自分が一番近くにいたと自負していただけに。



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