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柄にやった手が震えていた。今日は本当に冷える。少なくとも室内温度の方が外よりも温かいはずだ。
さあ、帰ってきた、私の場所に。





なのに、なのに、



……………………………………どうして。







薬の匂いは昔のまま。清潔なベッドも整列して、無言を保っている。埃の被った瓶の棚。クリーム色のカーテン。天井のシミも。

何時か夜の陰から身を守るために籠った、クローゼットを開けた。黄ばんだ白衣がただ一つぶら下がっていた。引き出しには白い真新しいガーゼ。使っていた端のベッド。色取り取りの縫いぐるみが私を出迎えてくれる景色を見た気がしたが、乱れの無い白の枕と布団がお行儀よく有るべき場所に収まっている。ベッドを覗いたがチリひとつ落ちていない。ぽっかりと空洞が口を開けて私を飲み込もうとする。積んでいた本、紙の束、アレが幻だったみたいに物は何も無い。傷だらけのデスク、傷で角が丸まっているのが愛嬌で味が有ったのに、御丁寧に白のペンキで塗りたくられている。まるで刻んできた歴史を白紙に戻す様な。夢中で、隙間と言う隙間を全てを引っ掻き回した。家探しする小悪党よりも図々しく目を血走らせながら無心に痕跡を探す精神異常者。

粗方荒らし終わると、次は持っていた大切な大切なナイフを取り出して、枕を、羽毛布団を一つ一つ引き裂いて、中身を全部引き出した。ふーふーと獣の威嚇の唸りが喉から漏れる。興奮している。勿論綿と羽だけが床に溢れて、生活感の無かった部屋は一時間で強盗でも押し込んだかと思われるほど悲惨な状態に早変わりした。


「どうして、どうして………よお……!!」


文字通り、真っ白な部屋で中にいる私の影だけが、月夜に照らされて、黒い。

犯すのも甚だおこがましい気がして、動けなくなった。静かに滂沱の涙が頬を伝って私の膝頭を濡らした。

期待した、訳じゃ無かった。戻れるなんて、思って無い。

私が此処に居るのも、全て私が選んだ結果だ。私が悩んで苦しんで、報われたかは知らないけれどコレが結果ならしょうがない。現実を見て生きて行こう。仕方ない。何度繰り返して自分に言い聞かせた。

でも、これは、あんまりだ。

私の読んだ本、参考書、買って貰った衣類、お気に入りで紐が切れるまで使ったポーチ。私のスケッチブックは?何処に行った?
全部、私の愛しい一部、誰が何と言おうと、私の、軌跡。

見たくないほど私が、憎かった?それとも如何でも良かったのかな。
聞ける筈ない。一番に疑問を投げかけたい相手は居ないから。

これが全ての答えだ。


まともに面と向かう自信なんてない。会うことなんて、もう二度と来ない。


「……なーにが、『何時か話せるときが来たら』よ、笑っちゃう……」


夢見がちなお姫様。よかったね、少年、名前も知らない君だけど、貴方の方が私の事良く分かっていたみたいだね。

毎日食いつなぐように、希望をつなげて紡いだ無為の日々、全てがバカらしくなった。

握りしめた鈍色に輝くナイフだけが温もりだった。ふと、別れてから一日も立っていない人の顔が浮かんだ。
しかしそれも直ぐに消し飛んだ。今度こそ、って期待してまた同じことを繰り返すのか。

今の私はここの生活に慣れ過ぎて、友達の顔も、兄弟も両親の顔すら思い出せないのだ。そしたら私には、一体何が残っていると言うんだろう。

ひと思いに喉を突きさしてしまおうか。柄を逆手に切っ先を喉の中心に構える。
でも、出来なかった。引く事はどうしても出来ない。中途半端な自分にまた涙が出る。


まだ残っている右手首の横一線の引き連れたあとが目に入って、試しに左もお揃いにしてみた。痛い。赤い血が流れる。肘に伝った赤い液体を啜ると鉄臭い味がした。私は人間だ。生きている、実感出来た。腕を真っ直ぐに伸ばして外の光に透かし観賞していたら、いつの間にか血は止まって、舌には醜い血だまりがどす黒く白の床を染めていた。



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