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「ほら、ぼさっとしてないで、さっさと運びな。
使えないバイトに給料を与える余裕は家には無いんだよ」

前の客の食べこぼしを布巾でのかしつ四苦八苦していると、カウンターを顎でしゃくって女将に遅いと小突かれる。生ゴミをコーナーに捨て、ズレた三角巾を縛り直してからお盆を持って左腕で支えながら次々料理を詰め込む。

「仕事が迫ってんだから早くしてくんな〜」

「はい、お待たせいたしました〜、」

オーダーを待つ人に応対しながら、完全によそ見をしていたせいで、スープを勢い余ってぶちまけてしまう。

「うわ、何してるんだこのヤロウ!」

「すみません!火傷は…」

「うるせえ、それ早く寄越せよ」

とっさに取った布巾を引っ手繰られて、ごしごしズボンに当てる。すいませんすいませんと平謝りする事しか出来ずに怒鳴り声に目を瞑る。
「ごめんなさいねえ、この子、まだ良く分からない新人で。私の顔を立てて許してやってよ」
間に入ってくれた働き仲間は笑いながら代えの皿を持ってきた。

「ヤナ姉さんに言われちゃあ、弱るなあ……」

「今日のお代は、ただで良いよお。このこもこんなに謝ってるじゃないか」

笑顔一つで私の失敗を納めてしまったベテラン、お客たちは機嫌よさそうにヤナさんと楽しそうにお喋りしている。出て行ってまた誤った方が良いかとふらふらして結局折角良くなった場を損なうかのもどうかと思い、厨房に戻った。赤くなった患部を桶に貯まった水に突っ込む。仕事の失敗は仕事で取り戻せばいい。まだ、和気あいあいとした居酒屋の様な乗りにまだ慣れない。ヤナさんはもうお客さんと家族みたいに打ち解けている。
「あの子は本当にいい子だねえ、あんたもあれくらいになってくれたら一人前なんだけどねぇ、」
女将さんの一瞥が私に再打撃を与える。毎日、こうやってダメな自分と格闘の日々だ。

朝早くから店が落ち着ち付く夕方後にやっと休憩を取ることを許される。
板を取り付けただけの今にも抜けそうな階を登った先、屋根裏が私の小さな住居だ。固いベッドと取り付けの悪い窓、ぴゅうぴゅうとすき間風が入って来て中でもコートはてばなせない。三角の板が剥き出しの天井には蜘蛛の巣が埃を纏って薄く拡がっていた。
持ち込んだ荷物は小さなボストン一つ。必要最低な衣服といくつかの書物参考書、そして筆記用具。与えられるままに受け取っていたアクセサリーとかバックとかは全て置いてきた。愛着を持って使い込んでいた物もこの八十センチ幅の必要品の隙間を埋めるくらいにしか、持って来なかった。出来るだけ身奇麗にして出て行きたかったからだ。そして甘えを断ち切る意味でも荷物は減らした。よって分け直す必要もないのでどっこのランプ下に一塊にしている。

頼み込んで住み込みでこの飲食店に働かせてもらっている毎日は目まぐるしく私を通りすぎる。怒鳴られながら、埃まみれになって掃除をし、壁の脂を落とし、狭い店の中を回る。少しの経験など無いのも同じで、懸命に働いてもこの手に出来るお金など、微々たるもの。慣れない頃は仕事が上がるとベッドに直行、即睡眠を貪るの繰り返しだった。苦しい。けど、しっかりとした実感が有る。自分の力で立っていると言う自信。あのまま、あの何も不自由ない生活を送っていたら味わえない物だった。捨てられたら、もう私はあの日見た寂しい目の孤児の様に自分を削る様な生活を送るしかないと思ったが、そうじゃ無かった。現実は思ったより容易く、思ったよりも冷たい。こうしてほうほうでも私はちゃんと食べていけてるし、仕事や自分に関係が無ければ夜更かししてもご飯を抜いても戸締りを忘れても誰に責められる事もない。誰も私に興味など無い。だから、皆、家族や友達、恋人など強いつながりが必要なのだ。


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