5

再び目を開けた時、私はいろいろ考えなければならなかった。

「ここで寝る」と彼は言った。
ココ、と言うのは、何処かの工場と思うのだが、シャッターがキッチリとしまっている、庇(ひさし)の下を顎で指した。
段差を三段ほど登った、雨戸の前の石段に腰を下ろしてしまった。パーカーのフードを被るとそのままゴロンと長躯を横たえると、「ほら」と私を促す。マジですか。

「ココで、寝るんですか」

「そうだ」

「でも、あの」

「オレの言うことが聞けないの」

高圧的ではなかったが、平静な声が何だか怖かった。
右も左も分からない私には選択肢などない、私はおずおずと、仰向いている頭に一人分のスペースを開けて、腰を下ろす。
ひんやりとしたコンクリートの冷たさが薄い布越しにおしりに伝わった。

パーキングエリアの向こうの街灯が頼みの真っ暗の夜半。
肌寒い風が草履の足の間と首筋を通り抜ける。ぷつ、ぷつぷつ、ぷつ、と白熱灯が瞬きを繰り返し、その周りに無数の羽虫が集り電柱にぶつかりつつ旋回していた。気味が悪い。

隣を見ても、寝ているのか、そうじゃないのかそれきり動かなくなったので、声を掛けていいか分からない。
もし、不用意に声を掛けて迷惑そうな顔をされてしまったらと思う。
手持ち無沙汰になってしまった私は、蹲ったままいつか来るはずの睡魔が、早く来い、早く来いとそれだけと呪文のように願うばっかりだった。

やっと訪れた睡魔に安堵し、身を任せようとしたところで、プツ、と不吉な音がして、寄る辺ない真っ暗闇に私は突き落とされる。
今夜は月が出ているはずなのに、厚い雲が月明かりを隠してしまったようで、月の輝きはここまで届いてこない。




そして、

『キキ、キキ』沈黙に支配されたはずの耳元で、またあの声が聞こえた。

『オイデヨ、オイデヨ』

『オイシソウ、タベチャイタイ』

『コワクナイヨ』


重低音と甲高い奇声が混じったような奇妙な声が、口々に私に囁き続ける。

時折、グシャ、ベシャ、バリバリ、と何かを咀嚼するような音も混じっている。

「ひい、」

気持ちわるい。
怖い。怖い、怖い怖い。

暗闇のはずなのに、浮き上がったその全貌に声のない悲鳴を上げる。

胴体の異様に太った、蛾のような物。

ぎょろりとした眼球が体中に付いた、毛むくじゃらの化け物、涎を垂らして、私を狙っている。
それらが散歩ほど向こう側に私を取り囲むように前衛姿勢を取っていた。

「おい」

「ひいいいい」

「おい」

肩を叩かれ、我に返った。
首を横にやると、いつの間におきたのか、彼が上体を起こして至近距離でこちらを訝(いぶか)しげに見ている。
ほ、と安堵のため息をつき、もう一度辺りを見ると異形のモノは忽然と姿を消していたのだった。

狐につままれた気分でもう一度彼に向くと、彼は「はっ」と短く息を吐いた。
「なに、アンタ泣いてんの」まるでからかうような楽しげな口調だった。
優しい指先が私の目の下をそっとなでる。それから掌で少し乱暴な手つきで私の涙をぬぐうと、ぽんと私の頭に手を置いた。

「大丈夫、アレはアンタに近づけない」

言われた意味が良くわからなかったが、私の反応も待たずに、呆然とした私を置いてまた寝る体制に入ろうとするので、あわててそのパーカーの胸元を掴んだ。
また、あんな思いをするなんて、冗談じゃない。

「なに」

私は顔を伏せてぶんぶんと首を振った。
「なに」と聞かれても、私は答えを持っていない。怖い。一人にしないでほしい。彼の離れていく温もりが寂しかったので、遠ざかろうとする手に待ったをかけただけだ。
離れようとせず、首を振るだけの私にこれ以上の問いかけは詮無いを感じたか、しばし、無言になる。

おもむろに回された腕はなんだかとってもぎこちなく、とっても温かかった。

「きゃあ」

ぐるんと体制が変わり、道ずれにそのまま押し倒される格好になる。

「あの」

「これだったら、いい?」

ごろごろとなるノイズ音で耳がくすぐったい。どくん、どくんと心臓の音。男性の体温と大きな体にくるまれた。

どうしよう、なんだか泣きたくなってしまった。

何だかよくわからないけど、すごく温かいし、ちょっと眠くなって来たし、まだわからないことはいっぱいあるけど。

傍若無人(ぼうじゃくぶじん)の無愛想な優しさがちょっぴり愛しいような、そんなことを思う初日の夜だった。






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