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キンと張った空気。和やかな朝餉の様相を呈している。
夜卜さんの分のお代わりをお釜から盛ると勢いよく茶碗を取り上げられて、納豆と刻みネギを乗せてかっこんでいる。しゃんと落ち着いて食えと大黒さんが起こり、素知らぬ顔で雪音くんの皿からししゃもを一尾掠め取り、尻尾まで丸ごとかぶり付いた。「あ、ふざけんな!」「世間の世知辛さを教えてやっているのだ!」朝から元気だ。隣でこくりこくりとフナこいている小福さんはまだ夢の世界から覚めない。危うく額からお味噌汁のお椀にダイブしそうになった小福さんの頭を後ろから大黒さんが支えた。
そんな心ここに在らずの私を気に留めた大黒さんが玉子焼きをさり気なく一切れ分けてくれた。私の平皿も夜卜さんの一回二回じゃない盗難被害にあって居た。二人の喧嘩を他所に今の内とお礼を言って下ろしポン酢と一緒に口に運ぶ。
大黒さんはまだ、眉根を下げて心配そうに、気もそぞろな私に向かって曖昧な笑みを浮かべている。

「水蛭子は、まだ起きてこないのか?」

「あ、はい……まだ、ちょっと…」

「そっかぁ、長いなぁ…心配すんな、水蛭子の事だから時期によくなるだろ。
ちょっとでも腹に入れりゃあ違うと思うんだけどな、
ありゃ、気が向かんなら梃子でも言うなりにはならないからなぁ」

私の胸の内は全て承知している、と言う事なんだろうか。実際当たらからず遠からず、ではあるので、其の儘黙って頷いて、味噌汁に手を付けた。

「そうだぞ、一凛!
心配したって、どーせ、一凛が世話焼いてるから調子に乗ってんだろ、きっと。
仮病だ仮病!」

夜卜さんは相変わらずヒルコさんに厳しい。苦笑いが浮かぶが、その夜卜さんの神器である雪音くんは緋色の目を心配のいろに染めている。

「一凛さん、蛭子神様、そんなに悪いんですか?」

「ううん、別に平気だって言うんだけど…、
私の所為だと、思うし。ちゃんと療養して欲しくて。
雪音くん、心配してくれてありがとう」

「いや、そんな、俺も夜卜を刺しちゃったから気持ちが分かるっていうか」

「ひーくんにしては珍しいよねぇ、何時もならちょっとの障りでもけろっとしてるのにねぇ、」

夢の世界に居られると思われていた小福さんが納豆をかき混ぜながら口を挟む。

「後で、残りを部屋に持って行こうと思います、大丈夫ですか?」

「其れがいい、其れがいい。第一幾ら障りに強いからって彼奴は無頓着過ぎんだよ。
自分の体を労わる事をちゃんと覚えさせた方がいい。好き勝手やってた放浪神じゃねぇんだ、今は一凛ちゃんが居るんだからな」

気が付いた時にはヒルコさんの首根のヤスミは首全体と背中、広範囲まで侵食していた。
ヤスミを齎しているのは自分以外は考えられない。でも、私にはその自覚はない。どうする事も出来ずに歯がゆい自覚を過ごしていた。
私も禊を受ければ少しは良くなるかも知れない、と思い付き早速提案しても「禊をしても意味がない」とヒルコさんには拒否され、何でもないと体を休める事もせずに出掛けようとするので、体にしがみ付いて必死に止めた。
しかし、体格差があり過ぎて、歩みを阻むことは出来なかった。
ヒルコさんはへばり虫をズルズルと数メートル引きずって、私は畳に靴下を擦りながら、其れでも離すものかとぎゅうと腕に力を込める。
すると、クックと笑う声がし、「分かった、分かった。寝とけばいいんだろうが」私が敷いた布団に収まる事を了承してくれた。「アンタは心配しすぎだ」と文句を良いながらヒルコさんは何処か楽しそうで、流石に子供っぽかったかなと恥かしさを顔に出さない様にへの字の顔で、横になるヒルコさんの顔を見下ろした。「アンタには負ける。逃げやしないから、」とにやにやしながら、でも体が辛かったのか直ぐに眠りに落ちてしまった。



味噌汁に、お米、お浸し、簡素な朝餉の残り物をお盆に襖をそっと開ける。
カーテンの引かれ、薄暗いヒーターに暖められた部屋。静かな寝息が聞こえる。
音を立てない様に寄せた卓上にお盆を置くと、表情迄隠す長い前髪に、そっと手を伸ばした。ザンバラに揃っていない毛先が指先を擽る。何時も高い所にある頭が、手の届く場所にある。其れが新鮮で何だかうれしい。

「なに、やってる」

「あ、ご、ごめんなさい、」

突然声がして慌てて手を引っ込める。
ヒルコさんがまだとろんとした目で此方を見上げていた。

「起こしちゃいましたか?」

「べつに、おきてた」

「お、起きてたんですか…なら言って下さい」

「なんで」

「あ、いや、あの…恥ずかしいので、

ごめんなさい、好き勝手その、してしまって」

「もっと」

「え…、」

「もっとして。アンタの手、きもちがいい」

「え、は、はい」

叫び出したい気持ちを抑え、言われるがままに手を伸ばし、頭を梳く動作を再開させる。其れに合わせて、気持ちよさそうに眼を細める。何だか気恥ずかしくなって、顔を少し伏せた。

「その、髪、切らないんですかっ
すごく、長いですよね、邪魔じゃないのかなって」
「なんだ、急に」
「急じゃないですっ、ヒルコさんって、凄く、カッコ良いのに、隠してるの、勿体無いなって」
ああ、もう、何を言っているのだろう、私。
余計に墓穴を掘る様な事を言って。

「美醜はよくわからない、
でも、アンタは、その方がいいのか」

「わ、私ですかっ
私は…その、……やっぱり、今のままでも、私がしっていれば、それで…」

「ふうん、」

「え!?あ、違くて、違くはないんですけどっすみません、
い、今の無しで、無しでお願いします…」

ぎゅっと眼をつぶった。
恥ずかしくて、そして、とっても幸せだなあと思って。泣きたくなって。
ぐらぐらとストーブの火が茹るおと。
また再びこの二人だけの時間に、戻ってこれるなんて、とてもうれしい。
「ヒルコさん、」
「なに」
「あの、わたし……」
結うべきことが頭に明確にあるわけじゃない。私を満たす感情。
ヒルコさんは喉を微かに鳴らして、手を私の方にやって。
「喋りたがりか
なら、アンタのことが聞きたい。」

顔を上げ伺えば、切れ長な、鋭い目元が、じりと腰を落ち着けて私を見つめている。
少しどきりとした。
私の事、なんて、たかがしれている。心の天秤が傾くたび、それが伝わっている。わざわざ何を聞きたいと言うんだろう。

「わ、たしのこと、ですか?」

渇いた舌に言葉を乗せたら、酷い舌ったらずだ。大きな手が正座の拳を包む、その体温も熱かった。

「声が、聞きたい。
アンタのこえ、久しく、聞いてなかった」

堪らなくなって、敷きっぱなしだった自分の布団を頭から被った。「なんだ、つまらないな」落胆の声が外から聞こえる。
暫く顔を出せそうにない。泣いてしまいそうで、とても申し訳なくて。


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