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早朝の冷気が刺すようだ。
夜通しの禊ぎによる疲弊とやり遂げた事への安堵で一同は和やかな空気に包まれている。
「夜卜さん、本当に良かった、
一時はどうなる事かと思いました」
「あーと、一凛さん?気持ちは嬉しいんだけど、離れてくれないかなマジで不味いオレ殺されるから、てか今までどこ居た!」
ひよりちゃんの言うとおり、兆麻さんだけを呼びに行って小福さんの家に辿り着くとボロボロの夜卜さんがちゃんと私の事覚えててくれたのもあるし、意識もしっかりある見たいなので不安に押し潰されそうだったのが感極まってボロボロの手を握って涙ぐんだ。
「お、お前、この女の人は誰だよ!?」
「誤解だ雪音、違う、こいつはちょっとした知り合いで、違うぞひより!!」
「なんで私に弁解するんです?
一凛さんは夜卜さんを最初っから知ってたみたいな感じだったし、別にどうとも思ってません」
「ま、心配すんなや、二人とも。
夜卜は既に一凛ちゃんには振られてっから」
「口説き済み?!」
「違うって、違う、そりゃ、神器のスカウトはしたけど、ちょっとまってねぇ、オレ話そろそろ聞こう?!」
私は初対面のトモネさん、もとい真兪さんと自己紹介を済ませ、小福さんに抱き着かれて、大黒さんに「何処行ってた」と怒られた。取り持ってくれた兆麻さんは、
「小福様の神器とは知らず、不手際申し訳ない、早くご報告差し上げるべきだった。
我々が彼女を見つけた時は、主の名前も知らぬ存ぜぬだったから、匿ったのです。我が主も一凛を気に掛けて居たので、肩の荷が降りました」
謝る兆麻さんに小福さんと顔を見合わせた。どう言う事、と言う問い詰める表情だ。後から根掘り葉堀り聞かれるに違いない。全く、誤解だ。私はそんなつもりじゃなくって。
「して、小福様、ご相談が」
兆麻さんが身を乗り出し、小福さんに視線を向ける。何を言うつもりなんだろうと思ったけど、多分私が聞いていい話じゃない。ぼんやり縁側を眺め、落ち着くのったりした現実世界に身を委ねてみる。戻って来たーーやっと。
夜卜さんは雪音くんに突っ込まれ、ひより、ちゃんに(ちゃん付けで言いと言われたので)そっぽを向かれて思い切り弁解中だ。三人のやり取りはすごく仲の良いそれで、見ていてほっこりした。雪音くんの事はまだ良く知らないけど、あの子が自分の身を掛けてでも守りたいと思った夜卜さんの大切。そして唯一の神器。ちょっと生意気そうな男の子、良かった。夜卜さん、本当に良かったね。そう耳打ちすると、夜卜さんは少し照れた様に笑った。その所為でまた二人からの猛攻が始まったが。
「なんだ、消えなかったか、夜卜神」
そこに、開口一番、落とした呟き。いつ現れたのか、緩い服装をした若者がやる気の無い気だるげな動作で支柱に手を掛けていた。ぼりぼり頭を掻いて、面倒臭そうに視線を横して、縁側に腰を下ろした。
何時もの緩い雰囲気、くしゃくしゃの頭。パーカーに草臥れたパンツ姿。
新たな来訪者にひよりちゃん、雪音君と小福さんは同時に顔を上げた。「あ、蛭子神様」「どうしたんですか、一凛さん」雪音君、それにひよりちゃんが怪訝そうに私の顔を見る。「蛭水子神…?」これは兆麻さん。
不意打ちだった。咄嗟のことはどうしても思考が鈍る。「え、あ、うん、大丈夫大丈夫」言葉が出ない。ちょっと待って、心の準備が。
三つ折りに畳まれ部屋の隅に放置されていた布団をかぶっていじけていた筈の夜卜さんは、その上でしらと涼しい顔して足を組んでいて、ぞんざいに手を降った。随分な変わり身の速さだ。
「残念だったな、蛭子神、こうしてピンピンしてるよ」
「禊ぎか」
雪音くんをちらと見て、
「面倒な事しなくても餓鬼なんざ、サッサと破門してしまえばいい」
相変わらずの殺伐とした雰囲気。「ちょ、そんな言い方、」「ひより、いいから」
ひよりちゃんと雪音君が何か言ってる。
「餓鬼に半妖にまた増えたな、けったいな」
駄目だなぁ、ヒルコさんは敵を作るような言い方しかしないんだから、夜卜さんもだから誤解しちゃってるんだと思うのに。
「あ、ひーくんやっと来た!」
小福さんだけが嬉しそうに広い体躯に全力でじゃれ付いて、「ひーくんひーくん、」とヒルコさんをせっつく。「じゃーん!!」
「見て見て、ひーくん、いちいち、いちいちが帰って来たの!!ひーくん、すっごい心配してたもんねっ!!
あのねぇ、びしゃあのトコに居たんだって、兆くんが連れて来てくれたんだよ!」
「小福様、何故蛭子神が」と兆麻さんの疑問は黙殺される。
空気を読まない小福さんが有難く、少し恨めしい。無遠慮に私の所にヒルコさんを引っ張って来てくれたお陰で、私は心の準備がどうこうの言い訳で逃げる事も出来ず間髪入れずぶつけ本番五秒前で体を固めて待っているだけでいい。面倒臭いオーラを放ちながら、話半分で小福さんをいなしていたヒルコさんが促される侭、面を上げ、そして、その動きが止まった。首に手を当てた格好でだ。
「あ、の、ヒルコさん?」
恐る恐る相手を伺う。ヒルコさんは基本無関心だから、平素で「あっそ、だから?」とか夜卜さんに対しての様に「居たのか」とかそっけない確認の相づちのみで終わるだろうけど、気まずいのは変わりない。心配させてしまったと思う、それは確か。
上背の有る男が私を見下す。
驚いた顔、少し口を空けて、呆気に取られた顔。余り見たことないヒルコさんにはレアな表情。大体、のんびり構えている人だから。まんじりと私の顔を眺める。う、気まずい。
見詰められるのが嬉しいなんて自分に自信は無くて、余りにもまじまじ見てくるので、本当に私の顔に穴でもなんでも空いてしまうじゃないかしら。
ヒルコさんは次に実に表情豊かに、目を釣り上げ(前髪で隠れてるけど)、唇を開きかけて何かをいいあぐねる。今度は苦虫を本当に噛み締めたらこんな顔するだろうな、の絶妙な表情をした。この顔は相当虫の居所が悪い。虫だけに。何時もこうだと分かり易いのに。ちゃんと怒ってるなら怒ってると。でも、其れだとヒルコさんらしくなくて何かやだかも。と、考えてる間に、思い掛けない事が起こる。くるりと方向転換をし、
「え?!」
ヒルコさんはその場から、姿を消した。
「あれ、ひーくん、行っちゃったぁ…」
「行っちゃったって…」
何を悠長に。なに、一体どう言うこと?逃げられた。避けられた。逃亡いう単語が頭をぐるぐる回る。「一凛、アレは水蛭子神だな。貴様と一体如何な関係だ、あの忌み神と…小福様も」ただ突っ立っている私に兆麻さんが詰め寄る。
「兆麻さん、辞めて下さい…」そう言う言葉、今、聞きたくない。
「一凛ちゃんを虐めないで上げて、兆くん。一凛ちゃんはね、わかんないさんなんだよぉ。
でもね、一凛ちゃん、自分を下に見るのは勝手だけど、それってね、手を傷つける事にもなるんだよ」
小福さんの辛辣な言葉に泣きそうになる。こくん、と首を立てに振ると、よし、と言って頭を撫でてくれた。「じゃぁ、ちゃんとひーくんにごめんなさい出来るよね」前にも、小福さんに言われた。結局、ヒルコさんの寛容さに胡座をかいて謝罪は出来てない。有耶無耶になってしまっている。
「はい…」
「じゃ、行ってらっしゃい」
背中を押され、庭に出る。
「一凛ちゃん、朝ご飯作って待ってっから!ちゃんと帰ってくるんだぞ」
「はい、ありがとうございます、大黒さん」
後を追うべく勢いよく大通りを駆けていった。
「あのぉ…俺らイマイチよくわかんないんですけど…蚊帳の外なんだけど」
「あーあ、ひーくん泣いちゃったかもねぇ…」
「え、蛭子神様が?!コイツじゃあるまいし」
「ひーくんはホントは寂しがりやなんだよぉ。普段はちょぉっと無愛想さんで、素直じゃないだけだよ」
「アレがちょっと?!オレ、めちゃくちゃ何時も睨まれてたんですけど!」
「夜卜、大丈夫なんですか、一凛さん、行っちゃいましたけど」
「オレに聞くな、勝手にやらせとけ、
痴話喧嘩は犬も食わないってな」
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[mokuji]
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