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「あの時、無闇に滅しなくてよかった」
美しく切り揃えられた爪、白魚の手。頬を撫でてくる。万物に等しく、炉端の石ころにさえ目を配られる慈悲。
毘沙門さまは私の方に手を差し出した。其れを静かに握る。
「お前を野良にはしたくない」
「はい、」
「其れにお前は『一凛』、素晴らしい名を賜っている。
今や私たちにとって一凛がお前だ。其れを穢すような真似はしたくない」
「数々のご配慮感謝します」
透明な膜の向こう側、私の手を取る誰かの手。私の取るべきはこの方の美しい白い手だったのかしら。
この部屋に来るたびに頭が痛くなる。
求められる自分の役割があまりにも重くて、息が詰まりそう。薬を飲まなければ。薬、クスリを。
気怠げに頭を凭れる、ご尊顔。滑らかな金髪がサラサラ太ももを擽る。美しい彼女が私を絡め取る。「一凛は私を崇めてくれるな、」難儀な武神。私を拾った神。しかし、求められても何も返せない。
何が、嬉しかったんだっけ?
何が、私………。……?


「一凛ちゃん、薬の時間だよ」
「………陸先生」
「大丈夫?起きれる?
具合はどうかねぇ、頭痛は治った?」
「陸先生、私…あの、」
「はいはい、ちょっと待ってなぁ。
飲み下す時は白湯と一緒にゆっくりね、大丈夫大丈夫、直ぐ良くなるから、心配しないで一凛ちゃん。
何にも怖く無くなるから、ゆっくり休みなさい。明日にはまた」
「先生、また、何?
明日は、ねぇ、先生」
「今日の繰り返しさ」
そう、繰り返し。寝て起きて、そうやって時間は過ぎてゆくもの。営みを熟せば時間も何時の間にか経ってる。唯一私が毎日苦心していたのは、その薬包紙の色の量だった。煎じ薬は口に残る苦さ、薬湯は飲み切れない。薬包紙を開きサラサラと口に流し込むと喉にひっかって噎せる。すると陸先生の手からいくらでも新しい堤が追加される。私も学んで、なるたけ薬は出された容量を飲みそこねない様に眉をしかめつつ残らず嚥下する。
陸先生の所には図らずも日参している事になる。苦薬を貰いに行く為に専用の離れを訪れるのは結構な重労働だ。陸先生はニタニタと言う表現が会う笑い方をする神器だった。ちゃらけて半眼の目を下げるのだけれど、陸先生は薬学に対する姿勢は流石のものがあった。うーむと顎に手を当てて、私の処方箋を決める時などは、真剣な顔付きで、患者の具合を事細かに尋ねる。陸先生の薬はよく聞いた。飲めばたちどころに恨み辛み、暗鬱とした気分が晴れ、全てが愚鈍になり、何に当たられようと対したことではないと思えるようになる。

「何故、心を平素に保てない。
境界を自制するも全て心を平素に保つ事が肝心だと言っただろう」

「す、すみません」

私に対して境界の鉾を携えつつ、兆麻さんは私にきつく言い据える。はぁ、と息を整えながら、手の甲の切り傷を舐めた。砂塵がもわもわと舞い、風が其れを浚う。
今だに少しでも心がブレると私の境界は人を傷付ける凶器になる。微々の力加減を学ぶべく兆麻さんに助力願っているのだが、今だにこう、と言う感覚が掴めなかった。
呪も境界もその神器の心持ち次第だと兆麻さんは説くけれど、微風が吹けば湖面は波立つ、柳はさんざめく。私の心が正にそう。力に対する怯えが更に動揺を誘うという、悪循環。
数メートル向こうの兆麻さんがじいっと私の一部始終を伺っているのを知って慌てて構えをとる。次の立ち会いの指示を出すべくタイミングを見計らっているのではと思ったからだ。妖相手の練習では私の境界は一瞬で塵芥にしてしまう。他の神器を傷付けてしまう事も考慮に入れた兆麻さんの提案で、自らが相手になり人気の無い離れ付近の裏を借りていた。兆麻さんは毘沙門さまの執務や様々な管理を兼就していて、お忙しいので私に割いてもらう時間は本来ならないのだけれど、毘沙門さまたってのお願いを兆麻さんは断る事は出来なかった。兆麻さんは流石に主様には弱い。
周りを囲む苔生した煉瓦の仕切りに鍛練の傷跡が残っている。元々は鍛錬場としてここは利用されているようだ。「やってるねぇ」其処へ、何処から聞き付けたのか、諸手を袖に、陸先生がやって来た。シャラン、と鈴の音が歩くたびにする。


「陸巴…」

「ナニナニ、二人で秘密の特訓?
オレも混ぜて下さいよ〜」

「陸巴、要件は」

「はい、はい、オレには口出すなって事ですかね?オレは戦闘要員じゃないからなー、オレもドンパチは御免だし。
一凛ちゃんに帳簿書き留め手伝って貰おうと思って探してたんですよ、こないだの続き。おんなじ奴がやった方が規則性が合って見やすいだろうし」

ヘラヘラと軽い調子で答える陸先生に兆麻さんは顔を顰めた。



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