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母上、どうして私を捨てたのですか。

四肢もない肉塊のこの身が疎ましかったのですか。

瞼は張り付き、耳は聞かず、口は貴方の名前を遂には呼べはしなかったが、私は貴方に愛されたかった。

母上のかいなに抱かれたかった。

葦(あし)の船に乗って、私は貴方の迎えを待っていました。










「『言の葉』は黄泉にあるらしい」
「やはり」
所は高天原(たかまがはら)。神々がおわす天境地。
明かりを灯して居ない空気の凝(こご)った闇の中、二つのシルエットが濃く浮かび上がっている。
名のあるこの二柱の関係を知る者は少ない。
ブラックスーツにかっちり身を固めたサラリーマン風の男は感情の読めない無表情に死んだ魚の様な冷淡な目をしていた。
しかし何処か愛嬌がある。
精緻(せいち)な作りのアームレスト付き西洋風チェアに足を組んで泰然と座る男は単語単語を置いていく様な平坦でさっぱりとした喋り方をする。後ろに控えるのは、ワイシャツとベストの男、サスペンダーの男、糸目の男。彼らはみな彼の神器だ。
みな、主を囲むように配置され、背筋を伸ばし、主の支持を待っていた。その横に執事の様にジャケットを折り畳み、腕に携え、長々と礼をしていたのは、もっとも長い任期の神器、名を巌弥(いわみ)。油断なく向かいの男に目を向けている恰幅(かっぷく)のよいベストの男は、名前を邦弥(くにみ)と言う。
中心の男が邦弥に目くばせをすると、邦弥は重量感のあるスーツケースを持ってくる。
それを中央付近に下ろし、左右のロックを開けると相手にその中身を開いて見せた。チョコレート、中身は札束である。
魚の目の男に対峙していた、もう一柱はざんばらの髪をばりばりとかいた。
軽く頷いて見せると邦弥は再び金属製の二枚貝を閉じ、立てて下がる。
ぼさぼさ頭で顔を隠している男神は猫背気味だがひょろりとして上背がある。持つ雰囲気は何処か気だるげで、羽織っているブルゾンの下のトレーナーは着古されて首もとが少しよれている。それにワークパンツと来たもので全体に野暮ったい。ごろごろとノイズを引っ掻けるように、ぽつぽつと会話が切れるので、相当な無愛想なのだが、どことない若若しさで、男神が野暮ったいセンスの割に若い形を取っていることに気がつく。
「貴方のご助力には感謝の言葉しかありません。
こちらも神器を無駄に消費するわけにはいかないので助かります」
「こっちも今更の仕事だ」
水蛭子神と七福神が一柱恵比寿神。
障りに弱く、代替りが激しい恵比寿が設けた、もう一神の己(おのれ)。
何代か前からか続く代行人である。
手の空かない恵比寿神に代わって、障りに近い、普通の神であったら忌避(きひ)するような恵比寿の手段を選ばぬ仕事を請け負う。
生憎、水蛭子は神器を従えない異端な神で、それを利用してやると言うのが恵比寿命の魂胆だったようだ。この男神は自分の知らない何代もの前の恵比寿神を知っているのだ。恵比寿は古神に敬意を払っている。
一等、慇懃(いんぎん)すぎるほどの礼を払うのが道標である巌弥だった。
水蛭子は、恵比寿が子供の頃から無愛想でひょうひょうと何処か抜けている所は変わらない。時代が変わり、服装も現代風だが、どれも町のごろつきが好んで選ぶような格好で、人の真似事をして町に埋没してるような良くわからない神だった。
二柱はそもそも独立した神だった。
水蛭子が人の形を取った時、その背格好容姿は恵比寿神と非常に酷似(こくじ)していた。
面差(おもざ)しは大分違ったが身体的特徴、癖の少ない黒髪、薄い印象を受ける体つき、注意深く観察すれば共通項は列挙できる。

二柱を同一視し崇めた人々の心によって、二つを似通った物にしたのだ。
不具だった水蛭子は他の神の形を真似ることで人の形を取る事が出来た。
しかし両者は成り立ちが根本的に違う。
自由に動く手足、見られる人間の容姿に像を移す瞳、音を拾う耳を手にしたと同時に、水蛭子の存在意義すらも、意図せず恵比寿神は奪った。
愚かにも、福の神は我がなる母神、イザナミ神から流された不具の神こそが自分だと思い込んでいる。
水蛭子と呼ばれるこの神は代変わりもせず、恵比寿に向けられた信仰のおこぼれと引き換えに、魔に強い自らの体を武器にして恵比寿の傀儡(かいらい)として働くことを受け入れている。
恵比寿の最も古い神器、巌弥が知るその古い時代から、水蛭子神は無表情の朴訥とした優男で、顔を隠し紐が切れた凧のようにつかみどころない神だったのだと聞いている。
「つかってやって下さい」巌弥は、水蛭子命をアレと言う。「アレは、若様の成りそこない。哀れな神です。若様があるから、今アレがある。多分、知らず知らずに駆り立てられるのでしょう。人々と関わたいと言う願いに、多分アレは若様になりたかったのです」

靴ひもが結べず転んでしまった時、無言で引き上げた体の大きな体のそれが水蛭子だった。神界では元不具の卑しい神よと罵られるが、恵比寿は揶揄(やゆ)しない。
つかみどころのない男だが、同じ人の願いから生まれた神。
ただ、いつまでも自分の道標を見つけない事が恵比寿には納得出来なかった。
「実に惜しいですね。貴方ほどの力を持つ神が神器を身に着けない。
そうすれば、毎度みすみすヤスミを貰うこともないだろうに。
シェアという形でしたら、私の神器を提供しますが」
「いらない、態々オレと契約したい神器はいないだろう」
「貴方は頑なですね」
「アンタが変わり過ぎだ」
代変わりのことを言っている。
この話題になると多少水蛭子の口調が心なしか粗くなる。其れが、恵比寿には面白い。
「行くのか、黄泉に」
「時期が来れば。まだ調べたりないことも残っていましてね」
「黄泉臨んだ愚か者が居たらしい、きな臭い、用心しろ」
帰り際、御待ちをと巌弥が水蛭子にあるものを渡す。
恵比寿は仕切りに水蛭子が首筋をかきむしっていることに気がついていた。にぎにぎと自分の手袋を揉みほぐしながら、恵比寿は言った。
「重篤なヤスミを抱えているとお見受けします。
戯れに妖でも下したのか知りませんが、それだけの魔を抱えて顔色一つ変わらないのは流石水蛭子命と言うべきですね。
それは、私が服用している鎮静剤。お役にたてばと」
「いらない」
酷く不機嫌そうに水蛭子はそれを突っ返すと、風の如く消えた。
「何れ挨拶に出向かなくては」









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