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宵闇の肌寒さをやり過ごすために本殿の庇の下を選んだ。
体重を移動させるたびに木の軋む音が夜陰に小さく響く、今にも崩れ落ちそうな社。
神社は何処か清廉な空気を宿しているものだけれど、土埃の積もった敷板を見て取ってそれも無さそうだと思う。

「ここの神様は、何処に行ってしまったんですかね」

「分からない、大昔は名のある土地神だったんだろうが、社だけが形骸化して残ってるだけみたいだ。
隠れてしまったのかもな。人の願いがなけりゃ神はただ在った様に還るだけだ」

「何だか、悲しいですね」

自分が神様達を身近に感じている所為か、廃れた社を目の当たりにすると、悲しく理不尽さを感じてしまう。人の思いが神様を創り、人の記憶と共に葬られる。
私は知ってる。神様だって笑うんだ。怒ったり優しかったり、悲しかったりするんだ。
夜卜さんも人の願いが生んだ神様なら都合よく信心深くなる人間を恨んだりしないのかしら。

「神様だって忘れられたくなかった筈なのに」

元人間である、私達神器を憎んだりしないのかしら。
人の神器なんて置いて行ってしまえばいいのに。
主を刺す、なりそこないの神器のことなんて。
自分の事なら、分かる。
ここでやり過ごすことにそんなに意味は無い。
私は、此の儘行ったら、闇に溶ける。あの声から、逃れられる自信がない。
助けても言えず、静かに終わってしまうのだと。
必要とされない、役目も碌に果たせない神器など。
『連れていけない』と言われた、これ以上の答えがあるだろうか。
消えてなくなりたい、

深く、深く、深く、届かない彼岸のそこへ。

「な、なあ」

今まで黙って、足先で砂を集めていた少し向うの夜卜さんが、恐る恐る言葉を探すように口を開いた。

「一凛はさ、」

言いかけて、首を振る。

「いや、やめとく」寄せた膝がしらに額を擦り付ける。

もじもじして、どうしたのしら。
対外この人もお人よしだなあと思う。
迷惑になるのだったら、言ってしまった方がいいのかしら。

「あの、さ」

「えと、なんですか?」

「一凛は、本気で俺に乗り換える気、ない?」

膝頭に預けて傾けられた額がこちらを向く。
少し間があり、ざああと風が草露を揺らした。
冗談にしては、嫌に真剣な表情があった。

「夜卜」

りん、と鈴が鳴る。
闇から白い人影が浮かび上がる。
すとん、とそれは足を下ろした。

「何しているの、夜卜」

静謐な面立ちに、真白い白衣を身に纏う。幼い、少女。

「野良」

『野良』。夜卜さんにそう呼ばれた女の子は嫣然と赤い唇を撓らせる。

「夜卜、酷いわ。私が折角、こうして迎えに来てあげたのに。
貴方は他の女の子に目移りなんて」

「野良、お前、何しに来た」

「貴方に身が危ないと、知らせにきたの。
私が、必要でしょう?」

「危ないって、どういう」

野良さんの夜卜さんを素通りし、私へと視線を移した。
ガラスのような綺麗な双眸がじいっと私を見返している。この子の放つ、独特の雰囲気にのまれじりじりと半歩後じさった。野良さんは言った。
「貴方、空っぽね。
不具の子、忌み神の器には相応しい、障りの器。匂う、匂うわ、腐敗の匂い。
どうせ消えちゃうだろうけど、厄介だから大人しくしていてね」
「何を…」

可愛らしい顔が近づいたかと思うと耳元で、ぼそり、と小さく何かを呟いた。
額に落とされたそれは、意味の分からない文字の羅列で、耳の中に虫のように這いまわってくる。
一歩が判断を鈍らせて、一線を引く間もなく、
ひやりと何か電流のような物が走り抜け、私は指一本動かない。両足裏は地面に吸い付いたように固着してしまった。

「………っ!!」

声が出ない。動かない。

「野良?!」

「ほら、来た」

その一言が呼び水になったように。

「おいおいおいおい……読んでもいねえスペシャルゲストのご登場かよ」

傍らに佇立していた古木が、一瞬にして薙ぎ払われた。
濃い色のブルゾンの長い袖を風に翻し、一時息を沈めて
その顔は夜卜さんを一心に狙いを定め、大きく足を開いて、構えの格好を取った。
良く見た型だったが、違うのは全身に漲る氷点下の静かすぎる怒り。ちりちりと肌が焼ける。
その、隙のない人物に見覚えがあり過ぎる。
大声で、その名を呼ぼうとする。しかし、彼は必死な私の存在には全く気付かないのだ。
三歩先の距離があまりにも遠い。

「なんで、こう厄介なやつが……!」

「夜卜、私が必要でしょう?」

野良さんが手を差し向け、夜卜さんは悔しそうに唇を噛んだ。

「……っ、緋器!!!」

夜卜さんが叫ぶと女の子は形を無くし、夜卜さんの手の中に。その手には、白鞘の刀が握られていた。
女の子が、刀になった。
夜卜さんは、私の居る辺りを一瞥すると、「逃げろ」そう言い残して、その場を飛び退ってしまった。


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