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もうこんなに闇が近い。
「ああ、もう7時過ぎだからな。大分日は長くなった気がしたがまだ短い」
夕飯の時分を過ぎてしまったので会計を済ませ、ドアベルを鳴らし外へ出る。
気温は少し肌寒いくらいで、ブルゾンの袖を掻き集める。
流れた風に目をつむる。
「今夜は時化るな」ざわめきに紛れ不意に聞こえる下手くそな口笛。
申し訳なさそうに明るい声で取り成した夜卜さんにも空返事を返すしかなかった。
私の背後に忍び寄る空は暗いのに、今日はなんて明るい。白で、黒い、と表現すればいいんだろうか。
真上には街路樹の枝垂(しだ)れ桜が重そうな梢(こずえ)を夜気(やき)にそよがせており、この分だとピンク色の花弁の作り出す濃淡の何とも狂いだしそうな幻想的光景はしばらく続きそうだ。ソメイヨシノより少し濃い目のピンクは冷たく透き通る夜空によく映える。振ってこないかと阿呆の様に両手を上に上に大きく広げる。
『キキ、キキ』
妖たちの時分(じぶん)がクルよ。
コワイコワイ夜がやってクルよ。
あいつらが出るからだ。
『コワクナイヨ、コワクナイヨ』
オマエの背後に舌舐めずりをして。待っているヨ。此の世にあらざる物。
ぱっくりと口を開けて、シンエンが。
真っ暗。
『コッチにおイで、
ネェ、こっちはドンな気分カシら』
誘い、手招き。
絶対、夜道を歩くような事は避ける筈なのに。怖くて怖くてたまらないはずなのに。
いまは、ただ。
虚空を臨(のぞ)み、息を吸った―――。
「おい!!」
ふ、と止まった一瞬。
私の体は、後方に大きく跳躍していた。すくい上げられる様に上向きに浮上し、食い込んだ肋骨(ろっこつ)が軋んだ、その一速後に。どろりとした泥のような何かが地面を覆った。あ、と息を飲む。
「おい、大丈夫か?!」
痩せぎすの胸板に頬が押し付けられる。違う、鼻を擽(くすぐ)る心地よい芳香。
怒鳴る夜卜さんの声がする。ああ、夜卜さんがアレから私を遠ざけて……。
でも、そんな必要ないのに。
アレは私を呼んでいる。一つに成らないと。
アレは存在を無くしたもの、アレに私は成るんだ。
せせこましく夜卜さんが横から何か言うが泥濘(でいねい)の局地しか私の硝子の目には映らない。私の視線の先を見届けた夜卜さんがスッと黙り、顔色を変えた。
どうしたんだろう。
こんなに気持ちい、闇夜に。
吸い込まれる様な、漆黒が。
帰リタイ、帰リタイ、と。
「おい、一凛、其方側を視(み)るんじゃない!魅入られるぞ」
「………?」
「まさか…、
お前が呼応(よ)んだのかよっ、冗談じゃない!!巻き添えはごめんだぞ、おい!」
ちい、と舌を打つ。
重力が上を向いた。一瞬の跳躍で、塀を超え、更に電灯の灯を超え、私は町を眼下に望む電線の上に居たのである。
がくんと、体のバランスがおかしなことになって、芒洋としていた意識が一足飛びに浮上した。
「きゃあ!夜卜さん!!
何これどうしたんですか!!!こわいこわい!」
「暴れるな!
今更正気に戻るな、余計なモン呼びやがって!」
腕の中でばたばた暴れていると、触手のような物が頭上から叩きつけられ、間一髪横跳びでかわす。そのまま、重力に従って、側溝辺りに落下。
「夜卜さん、夜卜さん、下、した!」
「わあってる!」
ソレラ、の追随を華麗な身のこなしでかわし、身体を捻じった体制から蹴りを回し蹴りが容赦無く決まる。
「一凛、…境界を作れ!そんくらい出来るだろ!」
「ゴメンナサイ、全然わかんないんですっ」
ひょうひょうと風が吹き付けてくるので応える声が震える。
「マジかよ、クソ!!」私にどなった。第二派が私達を襲った。
化物の全貌が見えてくる。
アレは、大きい化蛙だ。こんな大きな妖初めてみる。ビルぐらいの大きさがあり、私たちを追い回すのはその一部。
触手を何本も何本ものばして、絡みつこうとする。
それを踏み台にして、一気に妖の正面に躍り出て、鼻ズラ三寸で踏み止まり、夜卜さんはどなった。
「いいな、俺の言うとおりにしろよ。
指をこう、相手を超える気組(きぐ)みを込めて、
一線(いっせん)!!!!」
二本指を立て、地面をなぞる様に夜卜さんの腕が振るう。
私は見よう見まねで、私たちを食わんとする、闇に向かって、
「……い、一線!!!!」
大声で、さけんだ。
するとーーー。
白い光輝く粒子の壁。指の示した先に光の斬撃が繰り出され、余りの眩さに反射的に目をつむった。
『ギャ、アア、アア』
其れがギリギリまで張った舌の根元を切り落とす。
軟体の舌はまるでびちびちと震え、地面にのたうちまわっている。
「うぉっしゃあ!!ナイス!よくやった!」
化蛙と私たちとを隔てた光の檻は、その他数多の妖共からも遠ざけてながら今尚残留物として残り、煌きながら私達を守っている。
光の線からは妖は近づいてこない。
これが、一線。
境界、魔を遠ざける力。
妖共も恨めしそうにたたらを踏んでいる様に見えた。
妖共が逡巡(しゅんじゅん)している内に、夜卜さんはビルからビルへと跳躍して、一気に距離を離した。
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