4

勢いで家を出て、商店街を抜け、何時もの公園に出る。結局私の探していた背広の後ろ姿、いや猫背のあの姿は見つからず私がぐすぐすしていたせいで居るべき場所へみんな揃って帰ってしまったみたいだった。勢いと思い立ちで長い間巣にしていた場所を出てしまって、判断力に乏しい頭は当てなく彷徨い、視界は綺麗な星空ばっかりを捉えて、おおよそ現実感がまったく湧かなかった。街灯で照らされたベンチに腰掛けると頭を抱えてうずくまる。いずれここも暗闇に覆われて境界のない外野では、私も魔に覆われてしまう。
それも良いと思えた。眠くて、頭も痛くて、もう許して欲しいと誰かに縋り付きたくなるくらい不安でたまらない。でも、それも一時の事であると身体が覚えて居る。だから、辛うじて耐えて居られる。
でも、自分の心の何処かに、まだ引っかかって居るものが邪魔をして、全部を手放すことが出来ないから、苦しい。
そして、この苦痛の嵐が去って行くのは何時もの。
あの囁きが、ああ、ずっと、ずっと聞こえて居た。あの甘く囁くあの声が。

ーーーー一凛ちゃん。良い子だねぇ。

あの言葉。安らぎを齎すあの声が引き金になって、もう、何も考えなくて良いんだと。苦しむ必要は無い、戦う必要は無いんだと。更に必ず伴う粉っぽくなる口と独特の苦味を思い出して自然に唾が迫り上がる。陸先生、陸先生、もう少しだけ、私にください。足りない、
気が遠くなって、次には別の何かになって、





「こんな所でどーしたの?一凛ちゃん」

彼女の周りに取り巻いていた不穏な物の気配が一斉に引く。それは声の主が引いた境界に依るものだが、その影は、音も無く影から現れた。笑みを湛え、歩みと共に鈴をしゃなりと鳴らす。
その神器は、毘沙門天から破門され行方不明であった陸巴その人。諸手を組んで逃亡者と言うには余りにも堂々、常夜灯に目を細め、かつて手解きをした神器の有り様をこれ以上なく冷徹に観ていた。

陸巴はソレは髪を無造作に掻きむしったまま沈黙してあり、不気味なほど大人しく静かだった。ガサゴソ、ガサゴソ音がする何かを食い破らんと、何かが生まれよう。不気味な夜だった。

「危ない、危ない。
不用心じゃないかな、こんな所時化ってる時分にさぁ、一人でいちゃあ。
こんな状態の一凛ちゃんなんかちょこっと大成した妖に一飲みだよ。

君の主様もさぞ心配なさっておいでだろう。早くお帰りなさい」

厳粛な神器たる口調で、いつかの神器の道司を気取っていたが、それも飽きたと見えて、ぶっと吹き出してから、

「なーぁんてな!
こんな所にノコノコ出てきて、馬鹿かなぁ。それとも俺に会いたかったとかぁ?

……何だよ、もーダメになっちゃうのかよぉ、つまんねぇなあ」

また反応はない。
興ざめだと首を振り、此れも予想していたと見えて無表情に戻った。
言葉と裏腹に差して荒くもなく、ただ事務的に右手を顎に上向けさせ具合を見る。
その手つきは元来陸巴が冠される薬師のそれだった。うむと頷いて、一歩距離を取る。

謀反を起こした陸巴は追われ、今も天からその行方を捜索されているが、まさか敵陣の近くに潜んでその機会を狙っているとは思われなかった。そして、その潜伏を手伝ったのは力を持つ強力な「協力者」。その力ありきで、今陸巴の身の安全は守られている。安全と引き換えに陸巴はその「協力者」の望みを気の済むように叶えてやっているに過ぎないのだが、陸巴にはその行為がただの気休め、無意味さを一番よく理解しているので、辛気臭いったらなく、元々あった仄かな憧れの幻想は、陸巴がそのように仕向けたのだかが、失墜して毛ほどもどうでも良くなっていた。ただ、これは“ととさま”の指示でもあった。陸巴が放たれてから、顔を見ていない「役(えだち)」の名を刻んでくれた“ととさま”。
陸巴の腕が自身を無意識に抱きしめる。そこには、怯えの色がある。紅いあの子からも連絡がないのは、「役」の名の通り、与えられた「役」がまだ続いているのか。それとも。

ベンチの元で不動だった忌む神器が思い出したように、ぴくりと肩を震わせてふ、と顔を上げた。魔を根付かせる神器は心因の罰が与える急速な転変と異なり、浮上と沈降の反復である。変動の中で、徐々に深く降下するのだ。危うい神器は、小さく唇をほころばせた。
何が神器にその名前を呼ばせたのか、陸巴の持つ最愛の主の残り香がそうさせたのだ。
陸巴は目を慈しみに変えて、小さい頭を撫でてやった。ソレが、それをするのを望んでいる気がして、陸巴はなるように任せた。歪な、そして正しく神と遣える神器の絆。自分が失ってしまったもの。
ぎり、と陸巴の奥歯が鳴る。後悔を振り切るように、無抵抗な相手の正にその横の崩れた金具を蹴った。

「お前さあ、ムカつくんだよ!!」

狂ったように喚き散らしながら、攻撃を加えるが、本人には当たらない。ガン、ガン、と無機物の壊れる音が闇に染まりつつある空にむなしく響く。神器の体はそのたびに揺れるが、陸巴を黙って見つめているだけだった。

「陸、先生……?」

「一凛ちゃん…」

自ら野良になり、唯一至高の名を奪われた陸巴。この意識薄弱の歪に生まれた神器もどき。何方も神器の道から外れた存在であることは変わらなかった。
「役」の名を持つ野良は、何か問い掛けたかったがその疑問も今の彼女に問うても意味ないことで。しかし彼女がもしそれを理解しても、答えは分かりきっている。「陸巴」「陸先生」と呼ぶのは皮肉にも自分が非情にも地に落としたこの神器しか無かった。遠く昔に寂しい冬に一人で途方にくれてたとき、姉様に尊い名を頂いた事が蘇る。

「じゃあね、一凛ちゃん。
もう、二度と会わないよ」





[ 90/95 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



TOPに戻る

×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -