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全てが白に覆われた一室は、潔白な様相とは反した清廉とは言えない沼底のようによどんだ気が常に漂っていた。
ただ、今日だけは、窓から入る風に洗われ、嘘のように澄んでいる。
全てが終わった後。部屋に人の意気配はない。誰も過ぎた者の後に残した名残を振り返らない。ここでは、常に同じことが繰り返される。
格子の窓辺でスツールに腰掛ける人影には誰も注意を払わなかった。
人在らざる者、ソレを神とか人はのたもう。蛭子神は手に残っている生々しい感触を反する。
命の火を握り潰したことに一切の感慨は湧かない。
両手にかけた首は、力を下手に込めれば直ぐに握りつぶしてしまいそうになる程細かった。先程までこの手にあった感触を反芻する。
徐々に力を込め、わざと時間をかけた。己がその瞳に映る。
際でも真っ直ぐ間近に迫る蛭子神の顔を熱心に見ていた。

いつ言ったか、時期は忘れた。一度だけ聞いた自分に向かって吐かれた吐露。直ぐに撤回し、寂しそうに笑った。蛭子神は黙っていた。胸の当たりが騒いだ。自分自身が望まれた願いを聞いたのは初めてだったから。
カーテンが風ではためくと、そこに蛭子神の姿はもう無かった。










夜卜さんがひよりちゃんに神懸って、やらかしたおかげでひよりちゃんの高校生活がえらい物になってると聞いてから、小福さんから突然出た「ひよりんのがっこ、遊びにいこーよお」という軽いお誘いを断ったことを後悔していた。小福さんと夜卜さん、そして雪音くんはあえて誘われていない、という状況からみて、察して叱るべしだったのに、私は主を不機嫌にはしたくなくって、家でおとなしく待っていますと断った。小福さんは部屋にこもってばかりの私に気分転換をさせたくて誘ってくれたのがわかっていたので、ソレを無下にするのは申し訳なかった。けど、その判断はひよりちゃんの今の様子を見ると間違っていたのかもしれない。夜卜さんも、ひよりちゃんの悪いようにはしないと思っていたが、調子に乗ってしまったみたい。
止められなかった申し訳なさ半分、同情半分でひよりちゃんの愚痴を私が聞いていて、苦労しているらしく際限なく飛び出してくる夜卜さんの呪詛は、なかなか終わらない。学校の話を聞いているのは楽しいし、大黒さんとはまだぎこちない私は主がいなければ逃げるみたいに部屋に引っ込んでいる。主不在は、ここに来た当初と何も変わっていないけど、前は本当に何も知らなかった。でも今はどうだ。
ヒルコさんの右腕は、無いでそのまま放置されている。周りの反応は薄く、ひよりちゃんに至っては、「え?元々だったような、うーん、良く覚えて無いです。最初、ちょっと怖かったので」の認識になっている。存在そのものが「無くなって」しまったのだった。
ぼっとしていると、聞いてます?とひよりちゃんが私の名前を呼び、心配そうにうかがう目には私を探るみたいな意思があった。楽しい話題、楽しい会話、そのはずなのに、この胸を焼く感覚は収まってくれない。しかし私には何が何でも思考や話に没頭して居なければ成らない理由があったーーー縁側に腰掛けるひよりちゃんのスカートから覗く両足の素肌とーーー髪から漂う何とも言えない、芳醇で何ともそそるーーいいニオイ。動きそうになる右手を左手で押さえつけるのに必死で、私は如何してしまったのか、ひよりちゃんの事は大切に思ってる筈なのにーーーめちゃくちゃにその清廉な存在を全て台無しにして、喰らってしまって、ええ、何でもないと首を振って、私はしたくもない夜卜さんのフォローも考えて、ああ、考えがまとまらない。

「あの、一凛さん…」

「なに、ひよりちゃん?」

「あの…、なんでも、ありません」

愚痴が引っ込めばひよりちゃんもぎこちない。何か言いたそうに口をごにょごにょする。学校が終わって、新しく出来ただろう友達の用事より優先して、この片隅の神器に会いにくる。ひよりちゃんは何か違う用事があるみたいだ。渡した新しい学業守りは喜んでた。でも、私に求められても多分ひよりちゃんの力になれることはないのだから。ひよりちゃんのやりたいままに任せていた。私はきっと酷い、酷い事をしてる。この心に張った壁をきっと、ひよりちゃんも感じている。

「ね、ひよりちゃん、学校楽しい?」

「え?あ、ごめんなさい、愚痴ばっかり言ってしまって。学校がつまらないとかそう言うじゃなくって、夜卜がーーほんっとに、しょうがなくって、つまらないですよね、こんな話」

しゅんとひよりちゃんは頭を下げる。

「そんな事ないですよ。篭ってばっかりだから、色んな話聞けて凄く楽しいです。
でも、それを聞いて安心した。ひよりちゃんが、せっかく頑張って入った学校だから、辛いんだったらかなしいなと思って。ちゃんと、楽しんでるんだね」

私の懸念を知って少し愚痴の度合いを誇張して言いすぎたと反省したみたいだった。本当に迷惑しているのは分かったけど、夜卜さんや学校の方は半分こじつけで、本当の理由は薄々感じていたのだ。これは、夜卜さんが悪い。あの時縁を切っていれば、私もひよりちゃんも傷付かず傷付けずに済んだのに。

「ならね、私の事は気にしなくても大丈夫ですよ。私より、ひよりちゃんは学校の、勉強とか、友達とどっかに遊びに行ったりとか、した方がいいと思いますよ。今しか出来ない事が、いっぱいあるんだから」

後日夜卜さんに「ひよりに何を言った」と詰め寄られたが何もと口を割らなかった。ひよりちゃんの私への関心と興味が失われれば良い。今は泣いても後よりずっとマシな筈。

『すごい、一凛さん!何でも知ってるんですね、じゃあ、これはこれは?!
私英語の方も詰まっちゃって‥‥‥、ちょっとでいいんで一緒にやってくれませんか‥??』

最初は妬ましくて堪らなかった、憎らしささえ感じた。私に向けられる純粋に慕ってくれる笑顔が、最後のショックに固まってそれでも気丈に振る舞う彼女が。庭に残された私だけの影。暗くなり、輪郭も薄くなる。最後に残るのはこのとおり、私だけになる。





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