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ーーアンタらとは遠いところに在るもの、と男は答えた。全く意味がわからなかったが、男の異様な存在感は私とは格別した隔たりがあった。でも、危険な感じはしない。
じゃあ、と去ろうとする男を引き止める。まって、少しでいいから、夜の間だけでいいから、ここにいて。
男は、呆気に取られた様子で、こちらをみた。言っている意味がよくわからないと言う感じで、もごもごと、何でオレが、と口をにごす。人間的な反応が意外だった。
今日会ったばかりなのに、図々しい頼みごとをしてしまった。でも、日常の延長の中の非日常がやってきて、逃さないように必死だった。
一人きりが怖い、夜が怖い、なんて、今まで誰にも言ったことはなかった。







強引に顔だけ上に引き上げられる、が、
反ばくの言葉を放つ寸前で呼吸と共に奪われた。
用意もなにもない、そのまま、突然息が詰まって、呼吸と一緒に時間も止まった気がした。
ふにゃんと言う柔らかい様な、弾力のある感触が温まりを持っていて、妙に生々しくて。
相手の閉じられた長い睫毛が間近にあった。
何が起こってるのか、理解が追いつかない。
猫っ毛の黒髮がおでこを触って、
おとがいを掬う親指の力が強かったのもあるけど、とっ散らかった頭では何も考えることが出来きず、抵抗も忘れた腕が中途半端に宙に浮いて、指先まで石になった。
限界まで見開いた目が痛くなって来た時、瞼から覗いた眼がふ、と緩んで唖然とする私を笑った。

咄嗟に胸板を力一杯押しやると、簡単に私の自由を奪っていた腕は離れ、体は半歩後ろに引き下がった。

「な、な、に…、して」

何が起こったか整理するために、さっきの感触を、掴まれて少し痛みが残る顎の辺りをを何回も思い出して、やっと、自分の奪われてしまったそれと、を隠して、どうにかしてくれと相手に答えを求めて、呆然とその方を見上げる。
悪いことに伸ばした足の膝の傷は、じくじくと痛みが酷くなってるけど、気にならなかった。

相手のブルゾンの男は、その場で踏み止まり、スダレの前髪で母全体は見えなくても、口元で、は、と喜を浮かべ息を吐く。

ぴゅう、と何処からかからかいの口笛がなる。往来のど真ん中で、私の心情などお構いなしに、うん、と唇に指をやり、何かを吟味して、私の質問に答えた曰く、

「したかったから」

ざわざわと人がはけてく。
むしろ堂々と胸を張って、そう宣言し、しかも、なんだか満足げですらある。
何の感慨もなく、浮かんだごく自然的な感情を言葉に表したように、神様は飾ることを知らず、かみ砕いた分かりやすい答えを用意したりしない。

そうですか、したかったらするんですか。

その行為にどんな意味が込められているかも知らない、で。


「……なんで泣くの」











ーー結局、外が白むまで、付き合わせてしまった。始終、ベッド脇には黒くぼんやりした男の気配があった。それだけで、暗いひとりぼっちだった夜を乗り越えられた。今は、二人だ。
居なくなる前に、せめて、名前を。
住む場所が違くても、名前を教えて欲しい、と私は彼に頼んだ。名前を知っていれば、また会える、そんな気がしたから。
男は言う。どうせ、アンタもオレのことなんざ、明日には忘れてる、意味がない。
それに、名乗れるようなのは、オレは持ち合わせてない。
引き下がらない私に、うるさい、めんどくさい、と邪険にする。






休憩所なんかに使われている場所らしい。
コーナーが設けられた区画ではタバコをふかしているお兄さんか携帯を熱心にいじっている。
適当にレンガの花壇の縁に座らされたが、花壇は雑草だらけで何も植わってない。
お囃子やマイク放送の喧騒は遠くに聞こえる。
膝はペットボトルの水とタオルで処置され、顔を見ないように。
「まだ痛む?」
不用意に触ると状況が悪化すると思ってるみたいで、もう無理矢理触れたりはしてこなかった。この状況はいかんしもがたく、ヒルコさんは相当困っているみたいで、がりがり、しきりに頭を掻いて、気になるのか首に手をやり、一定距離を保つ。

「ずっと、胸の辺りが痛かった。
ぎゅっと絞られるみたいな痛みだ。ずっとずっと苦しいやつだ。
今はもっと悲しい。なんで」

「…………」

ガリ、と足元の砂利を軽くける。

とうとう、居心地が悪くなったのか、ふらふらと目の前の半径5メートルをぐるぐる徘徊し始めた。

唇の感触がまだ残っている。
反面、今ここにある自分への罪悪感が、落差が浮き彫りになる。

「あの、……そんなんじゃ、ないんです。
ごめんなさい……ヒルコさんこそ、私のこと、嫌になったり、しないんですか」

「なんで」

「いっぱい、迷惑掛けて、お願い聞いてもらって、」

毘沙門さまのことで、と付け加え、思い至ったよう。
ああ、と深く嘆息して、腰に手をやって、呆れた顔に変わった。

「いまさらアンタの身勝手は、いつものことだ。
気にしてない」

「でも、…でも」

「なあ、アンタは、何が不満なんだ」

ぐっと、喉が詰まった。
自分が自分の事を全て、忘れられたなら。
弱音すら吐くことも許されず、心は徐々に死んでいく。
もし、私じゃなかったら、なんて、キリがない、何かが違ってれば、こんな目に合わないで済んだんだろうか。
陸巴先生を止められたかもしれない。
いっぱい、毘沙門様の神器達は死なくて、藍巴ちゃんはあんなことをせずに、済んだのかも知れない。

鈴巴くんは死なずに済んだのかも知れない。

哀悼と落着の安堵でうやむやにして、可能性を自分の落ち度を見ないようにしていた。

誰かに許しを請いたいのに、誰にも責められなくて、其れが苦しい。
本当は私を、憎んでるんじゃ無いかって。でも、こんな事悩んでいたって、どうせ、私は。
あ、だから良いのか。

「ヒルコさんが、私に嫌気がさしてるんじゃないかと、思って」

「そんなコト、ずっと考えてたのか。

アンタは、ホントに馬鹿だな」

今度は、俯いた視界を下から覗いてきて、不細工だろう顔を見られたくなくて、とっさにちっぽけな両手で顔を隠した。は、と鼻で笑う声がする。「ほら、こっち向け」背中を宥められて、そっと、閉じていた瞼を開く。
入ってきた、夕焼けに照らされる仕様がないと嘆息するヒルコさんの目が、柔らかい慈愛に満ちていた。

「アンタがそんなだと、オレも悲しい」

涙目を拭ってくれる、優しい手つき。
何の脈絡なく、微妙に甘えた声で名前読んでと言われ、困惑のまま呼びなれたソレを口にする。すると、私の主はうん、と頷いた後、

「ずっと、オレのだから。
安心していい」




ーーケダモノの驚いた顔が、目に焼き付いた。
何故、そんな顔をするんだろう、ただ、教えてもらったものを繰り返しただけだったのに。
去り際は素っ気なく、姿が消えた。また来てくれないかな、と朝日を浴びて背伸びして、久しぶりに自然と顔がほころんだ。


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